第72番 我拝師山 曼荼羅寺 | 香川県善通寺市

72番曼荼羅寺

推古天皇4年(596)佐伯氏(弘法大師の一族)の氏寺として創建された世坂寺を起源とする。大同2年(807)弘法大師が長安の青龍寺に倣って伽藍を建立し、唐より持ち帰った金剛界と胎蔵界の曼荼羅を奉安して、寺号を曼荼羅寺に改めたという。大師の手植えと伝えられる不老松は2002年に枯死、その後には不老松の幹に大師の姿を刻んだ笠松大師が安置されている。

名称 我拝師山 延命院 曼荼羅寺
御本尊 大日如来
本尊真言 おん あびらうんけん ばざらだどばん
御詠歌 わずかにも曼荼羅拝む人はただ 再び三度帰らざらまし
所在地 香川県善通寺市吉原町1380-1 [Mapion|googlemap]
公式サイト http://www.mandaraji.jp/
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目次

曼荼羅寺の納経(御朱印)

72番曼荼羅寺の納経
(1)
72番曼荼羅寺の納経
(2)

(1)平成元年拝受の納経。揮毫は金剛界大日如来の種字「バン」に「大日如来」。中央の宝印は宝珠に種字「バン」。右上の印は「四国七十二番」、左下は「曼荼羅寺」。

(2)平成19年に拝受した納経。揮毫・朱印ともに平成元年のものと同じ。

昔の納経

天保11年の納経
(3)
天保12年の納経
(4)
明治38年の納経
(5)

(3)天保11年(1840)の納経。揮毫は「奉納経」「本尊大日如来」「讃州 我拝師山」「曼荼羅寺」。中央の宝印はない。右上の印は「四国七十二番」、左下は梵字で「マン・ダ・ラ・ジ」。

(4)天保12年(1841)の納経。版木押しで「奉納経」「本尊大日如来」「我拝師山」「讃州 曼荼羅寺」。朱印は天保11年のものと同じで、中央の宝印はない。

(5)明治38年(1905)の納経。揮毫は「奉拝」「本尊大日如来」「まんたら寺(「た」は変体仮名)」。中央に宝印はない。右上の印は「四国七十二番」、左下は「曼荼羅寺」。

略縁起

弘法大師の先祖である佐伯氏の氏寺として推古天皇4年(596)に建立された世坂寺を起源とする。

大同2年(807)唐から帰朝した弘法大師が、長安の青龍寺を模して伽藍を建立し、大日如来を刻んで本尊とした。亡き母・玉依御前の菩提を弔うためともいわれる。さらに唐より将来した両界曼荼羅を安置したので、これに因んで曼荼羅寺と改めたと伝えられる。

讃岐を訪れた西行法師はこの近く水茎の岡の庵に7年余り滞在し、しばしばこの寺を訪れたという。境内には西行ゆかりの昼寝石と笠懸桜がある。また『山家集』には西行法師が「曼荼羅寺の行道所(我拝師山の捨身ヶ嶽禅定)」に登った様子が記されている。また、一遍上人は正応2年(1289)善通寺と曼荼羅寺に参拝している。

笠松とも呼ばれる不老松は高さは4mだが南北17m、東西18mで菅笠を地面に伏せたような形をしており、弘法大師のお手植えと伝えられていた。残念ながら平成14年に枯死、今はその幹に弘法大師の像を刻んだ笠松大師が安置されている。

写真帖

山門
山門
観音堂
観音堂
笠松大師
笠松大師
大師堂
大師堂
本堂
本堂

メモ

初めて参拝したときはまだ笠松が元気で境内を広く覆っており、その印象が強く残っていた。2度目の参拝時、笠松が枯死したことを知らなかったため、境内ががらんとした印象になっていることに戸惑った。3度目は番外・七仏寺の御朱印をいただくために参拝。

曼荼羅寺の概要

山号 我拝師山(がばいしざん)
寺号 曼荼羅寺(まんだらじ)
院号 延命院(えんめいいん)
旧称 世坂寺(よさかでら)
御本尊 大日如来
所在地 香川県善通寺市吉原町1380番地1号
創建年代 推古天皇4年(596)
開山 弘法大師
宗派等 真言宗善通寺派
文化財 〈県有形文化財〉木造聖観音立像

交通アクセス

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