奥戸天祖神社は、奥戸村の鎮守。江戸時代以前は三社明神社と称した。葛西御厨の時代に、伊勢より皇大神宮を勧請し、鹿島・香取の神を合わせ祀って村の鎮守としたと考えられている。明治初年に天祖神社と改称した。社殿前の大〆縄は、10月の例大祭で行われる大しめ縄神事(区登録無形民俗文化財)で掛けられるものである。
正式名称 | 天祖神社〔てんそじんじゃ〕 |
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通称 | 奥戸天祖神社〔おくど てんそじんじゃ〕 |
御祭神 | 天照皇大御神 武甕槌命 経津主命 |
社格等 | 旧村社 |
鎮座地 | 東京都葛飾区奥戸2-35-16 [Mapion|googlemap] |
最寄り駅 | 青砥(京成) |
御由緒
奥戸村の鎮守。旧別当は真言宗の金剛山西光院(廃寺)であった。
創建年代は不詳だが、寛永5年(1628)10月再建という棟札が残されていることから(『平成「祭」データ』所載の由緒による)、それ以前にさかのぼるだろうと考えられている。古くは三社明神社と称し、当地が葛西御厨(伊勢神宮の神領)であった頃に皇大神宮を勧請し、さらに鹿島・香取の神を合わせ祀って、村の鎮守としたものであろうという。
明治2年(1869)現社号に改め(『葛飾区史』(昭和11年)によるが、東京都公文書館の資料から明治6年ではないかと思われる)、明治7年(1874)村社に列した。
寛永17年(1640)2月、同18年(1641)9月に社殿の造営があり、その後、寛文・宝永・正徳・享保・天明・寛政・文政・天保・安政の10回にわたって社殿の再建または修復が行われた。大正11年(1922)11月には拝殿が再建された。現在の社殿は昭和49年(1974)の改築である。
当社の例大祭には区の登録無形民俗文化財第一号の「大しめ縄神事(神社の行事予定には「大〆縄神事」とあった)」が行われる。稲藁で約6メートルの大しめ縄を作り、「アクマバライ」と称して氏子地内を巡り、その後、神社に納められる。
神社に保存されている『年番帳』によれば、明治27年(1894)までは2月1日に行われていたが、翌年から取り決めにより10月に行われるようになったという。
かつては「雄しめ」「雌しめ」と呼ばれる2本の大注連縄を作り、氏子地内を巡ったあとは境内の榎に掛けていた。その後、大注連縄は1本になり、正面の鳥居に掛けられるようになった。さらに平成9年(1997)からは、新しく拝殿前に建てられた注連柱に掛けられている。
御朱印
平成24年拝受の御朱印。朱印は「天祖神社之印」。
写真帖
メモ
葛飾区総合スポーツセンター運動公園のすぐそばに鎮座する。奥戸街道から向かうと正面に鳥居があるが、拝殿は向かって右にずれた位置にあり、その前に大注連縄を掛けた柱が立つ。
拝殿、本殿は神明造。末社はいずれも石の祠である。本殿脇の稲荷神社のほか、諏訪神社・御岳神社・浅間神社・大六天社・風雨神社・出羽三山神社がある。また、境内にある「奥戸連 句碑」は区の登録有形民俗文化財。
平成21年4月に初めて参拝したときは、御朱印はないということであった。ところが、後にネット上で奥戸天祖神社の御朱印の画像があったので、平成24年5月に再度参拝、社務所で宮守の方から無事にいただくことができた。元から対応していたのか、新たに対応するようになったのかは不明。
奥戸天祖神社の概要
名称 | 天祖神社 |
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通称 | 奥戸天祖神社 |
旧称 | 三社明神社 三社神社 |
御祭神 | 天照皇大御神〔あまてらすすめおおみかみ〕 武甕槌命〔たけみかづちのみこと〕 経津主命〔ふつぬしのみこと〕 |
鎮座地 | 東京都葛飾区奥戸二丁目35番16号 |
創建年代 | 寛永5年(1628)以前 |
社格等 | 旧村社 |
例祭 | 10月15日前後の日曜日 ※前日の土曜日/大〆縄神事 |
神事・行事 | 2月/春の祈願祭 4月/末社大六天神社祭礼 7月/末社水神社祭礼 11月/秋の祈願祭 |
交通アクセス
□青砥駅(京成)より徒歩20分
□新小岩駅(JR総武線)よりバス
■京成タウンバス環七線亀有駅行き「スポーツセンター」下車徒歩2分
□亀有駅(JR常磐線)よりバス
■京成タウンバス環七線新小岩駅行き「スポーツセンター」下車徒歩2分