末廣神社 | 東京都中央区

末廣神社

末廣神社は慶長元年(1596)以前から当地に鎮座していたという。元和3年(1617)庄司甚右衛門らが幕府の許可を得て沼地であったこの近辺を開拓し、葭原(元葭原)の遊女町を開いた。当社はその氏神として信仰された。明暦3年(1657)遊女町が浅草の新吉原に移転した後も当地に残り、この付近に住む幕府の役人たちから氏神として崇敬された。

正式名称 末廣神社〔すえひろじんじゃ〕
御祭神 宇賀之美多麻命 武甕槌命
社格等 旧無格社
鎮座地 東京都中央区日本橋人形町2-25-20 [Mapion | googlemap]
巡拝等 日本橋七福神(毘沙門天)
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目次

御朱印

末廣神社の御朱印
(1)
毘沙門天の御朱印
(2)

(1)平成17年拝受の御朱印。上の朱印は「末廣神社」、下は「末廣神社神璽」。

(2)日本橋七福神の毘沙門天の御朱印。平成18年拝受。

御由緒

末廣神社は元葭原の総鎮守。

慶長元年(1596)にはすでに稲荷祠が鎮座していた。延宝3年(1675)に社殿を修復した際、本殿から中啓(末廣扇)が出たことに因み、末廣神社と称するようになったと伝えられる。

元和3年(1617)、庄司甚右衛門らが、幕府の許可を得て、沼地であった近辺を開拓し、遊女町を開いた。これが葭原(吉原)の起こりであり(後の新吉原に対して元葭原と称される)、末廣神社は氏神として信仰を集めた。

明暦3年(1657)、幕府の命により、葭原の遊女町は浅草の新吉原へ移転。その後、近辺には幕府に仕える役人が多く住むようになり、当地に残った末廣神社は、その氏神として崇敬されたという。

写真帖

手水舎
手水舎
拝殿
拝殿
鳥居と幟
鳥居と例大祭の幟

メモ

役職上、宮司さんは外に出ていることが多いとのこと。普段でも半紙の日本橋七福神の御朱印はいただけるが、直接書いていただきたいときは、宮司さんがいらっしゃることを確認したほうがよいようだ(※平成17年時点)。お祭りの日にはいらっしゃるということだったので、教えていただいた例大祭の日(神田祭と同じ日)に伺った。

末廣神社の概要

名称 末廣神社
旧称 稲荷神社
御祭神 宇賀之美多麻命〔うがのみたまのみこと〕(お稲荷様)
武甕槌命〔たけみかづちのみこと〕(毘沙門天)
鎮座地 東京都中央区日本橋人形町二丁目25-20
創建年代 慶長元年(1596)以前
社格等 旧無格社
例祭 5月22日
神事・行事 1月1日/歳旦祭
2月3日/節分祭
6月30日/大祓式
12月31日/大祓式・除夜祭
巡拝 日本橋七福神(毘沙門天)

交通アクセス

□人形町駅(日比谷線・都営浅草線)より徒歩2分
□水天宮前駅(半蔵門線)より徒歩5分
□浜町駅(都営新宿線)より徒歩6分

更新履歴

2006.01.29.公開
2016.09.29.更新、Wordpressへ移行。

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