高田馬場に鎮座する諏訪神社は、諏訪村・戸塚村・大久保百人町・西大久保村の総鎮守。社伝によれば、弘仁年間(810~20)小野篁が大国主命と事代主命を奉斎したことを創祀とし、元は松原神社と称していた。江戸時代の初め、尾張藩主・徳川義直が信濃の諏訪神を勧請・合祀し、諏訪神社と改称したという。
正式名称 | 諏訪神社〔すわじんじゃ〕 |
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御祭神 | 大国主命 事代主命 建御名方命 |
社格等 | 旧村社 |
鎮座地 | 東京都新宿区高田馬場1-12-6 [Mapion|googlemap] |
公式サイト | http://sinjukusuwa.jp/ |
御朱印
(1)平成17年に拝受した御朱印。中央の朱印は「諏訪神社 御璽」、右上は「東京諏訪森(すわのもり)鎮座」、左下は「諏訪神社社務所印」。
御由緒
新宿区高田馬場に鎮座する諏訪神社(新宿諏訪神社)は、豊島郡諏訪村・戸塚村・大久保百人町・西大久保村等の総鎮守であり、現在も高田馬場・大久保・西早稲田二丁目・新宿七丁目・百人町四丁目・下落合一丁目等を氏子とする。
なお、現在の高田馬場はJRの駅名に因んで名付けられたものであり、史跡としての高田の馬場は現在の西早稲田にあった。諏訪神社が鎮座していたのは諏訪村であり、神社の周辺は諏訪森と呼ばれていた。
社伝によれば、弘仁年間(810~20)小野篁が大国主命、事代主命を祀ったことにはじまる。承和年間(834~48)真雅僧正(弘法大師の弟)が再興したとされる。往時は奥羽街道の一部である松原街道に面していたので、松原神社と称されていたという。
武門の崇敬篤く、永承年間(1846~53)源頼義・義家父子が前九年の役で奥州に向かう途中、戦勝を祈願し、凱旋の際には武器を納めたと伝えられる。文治5年(1189)奥州征伐に向かった源頼朝も当社に祈願し、凱旋後、社殿を造営するとともに、境内に頼義・義家父子を祀って白旗社と称した。また、太田道灌も社殿を再建したという。
江戸時代の初め、尾張藩初代藩主・徳川義直が諏訪大社より御分霊を勧請・合祀し、社号を諏訪神社と改めた。寛永年間(1624~44)徳川家光が社殿を造営。
このあたりが鷹狩りの名所であったことから徳川家綱が手鷹を奉納し、以来、老鷹を当社に奉納するのが例になったという。明和年間(1764~72)には徳川家治が鷹狩りの際に参詣し、当社の御分霊を江戸城内の紅葉山と浜離宮の吹上御殿に勧請した。
安政3年(1856)境内に祀られていた天祖神社・八幡神社・阿多古神社・住吉神社・琴平神社・北野神社・須賀神社・白旗神社・御霊神社が嵐で破損したため、本殿に合祀した。
明治3年(1870)氏子により社殿の営繕を行った。同5年(1872)村社に列格。
明治15年(1882)諏訪森近衛射的場で射的砲術の天覧があり、明治天皇が行幸された。この時、神酒と鴨の奉納があったことから、社殿に菊の御紋がつけられるようになった。また、昭和18年(1943)には都の行幸史跡に指定された。
昭和55年(1980)旧社殿が老朽化したため、社殿を新築した。
なお、歌舞伎町二丁目の稲荷鬼王神社は諏訪神社の末社・福瑳稲荷を勧請して西大久保村新田町の鎮守としたことに始まるとされる。また『東京府豊多摩郡誌』によれば、百人町一丁目の皆中稲荷神社も元は当社の境外摂社であったという。
写真帖
メモ
高田馬場駅の東南500mほど、諏訪通りに面して鎮座する。往古、諏訪神社の一帯は諏訪の森と呼ばれていた。山手線に高田馬場駅が開業したとき、地元の要望案は所在地名である「上戸塚」か「諏訪森(すわのもり)」だったというが、鉄道院がこれを採用せずに、わざわざ駅から1kmほど離れた高田の馬場を駅名としたそうだ。有名な堀部安兵衛の「高田馬場の仇討ち」にあやかったのであろう。
史跡としての高田の馬場があったのは現在の西早稲田である。現在の町名としての高田馬場は史跡とは関係なく、駅があることによる。住居表示による町名変更の際、戸塚町・諏訪町などの伝統ある地名を廃し、駅名と同じ高田馬場になったそうだ。ひどい話である。
当社が高田馬場ではなく新宿の諏訪神社とするのもこのあたりの事情が背景にあるのではないかと推測する。ただ、新宿は区名といっても本来は内藤新宿のことであって、大久保・戸塚(内藤新宿より古い地名である)を氏子とする当社には相応しくないという気もする(あくまで筆者の個人的見解だが)。御朱印に「東京諏訪森鎮座」とあり、伝統地名の尊重とともに、もし駅名に「諏訪森」が採用されていれば住居表示でも諏訪森になったかもしれないという意味も含めて、諏訪森の諏訪神社ではどうだろうか。
諏訪神社の概要
名称 | 諏訪神社 |
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通称 | 新宿諏訪神社 |
旧称 | 松原神社 諏訪明神社 |
御祭神 | 大国主命〔おおくにぬしのみこと〕 事代主命〔ことしろぬしのみこと〕 建御名方命〔たけみなかたのみこと〕 〈合祀〉 天照皇大神〔あまてらすおおみかみ〕 品陀和気命〔ほんだわけのみこと〕 火産巣日命〔ほむすびのみこと〕 綿津見命〔わたつみのみこと〕 大物主命〔おおものぬしのみこと〕 菅原道真〔すがわらのみちざね〕 須佐之男命〔すさのおのみこと〕 源頼義〔みなもとのよりよし〕 源義家〔みなもとのよしいえ〕 日本武命〔やまとたけるのみこと〕 |
鎮座地 | 東京都新宿区高田馬場一丁目12番6号 |
創建年代 | 弘仁年間(810~20) |
社格等 | 旧村社 |
例祭 | 8月27日 |
神事・行事 | 1月1日/歳旦祭 1月2日/交通安全祈願祭 1月27日/中祭 2月節分/節分祭 2月11日/紀元節祭 旧暦初午/稲荷神社祭 5月27日/中祭 6月30日/大祓式 9月27日/中祭 11月23日/新嘗祭 12月31日/大祓式 |
交通アクセス
□西早稲田駅(副都心線)より徒歩1分
□高田馬場駅(JR・東西線・西武鉄道)より徒歩10分