鎧神社は、醍醐天皇の御代(898~929)理源大師の弟子・貞崇僧都が円照寺を開創した際、その鬼門鎮護として創建されたと伝えられる。鎧明神の号については、日本武尊が東征の際に甲冑六具を埋められた跡に建立されたことに因む、あるいは天慶の乱の後、平將門の鎧を埋めたことによる等の説がある。
正式名称 | 鎧神社〔よろいじんじゃ〕 |
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御祭神 | 日本武尊 大己貴命 少彦名命 〈相殿〉平將門公 |
社格等 | 旧村社 |
鎮座地 | 東京都新宿区北新宿3-16-18 [Mapion|googlemap] |
公式サイト | http://yoroi.or.jp/ |
御朱印
(1)平成17年に拝受した御朱印。宮司さんが不在だったため、揮毫ではなく「鎧大明神」のスタンプになっている。朱印は「鎧神社印」。
(2)平成22年拝受の御朱印。朱印は「鎧神社印」で、平成17年のものと同じ。
御由緒
鎧神社は柏木村の鎮守である。醍醐天皇の御代(898~929)、理源大師の弟子・筑波の貞崇僧都が行基菩薩の作と伝えられる薬師如来像をこの地に安置した。これが医王山円照寺の開創と伝えられる。鎧神社は、その鬼門鎮護のために創建されたという。
往古は鎧大明神と称した。その名は、日本武尊が東征された折、この地に甲冑六具を納めたことに因むと伝えられる。あるいは、天暦年間(947~957)平将門を慕う人々が、この地に将門の鎧を埋めたとも伝えられる。
また、藤原秀郷が重病となり、円照寺に参詣し、将門公の神霊の祟りなることを畏れ、その鎧を円照寺の境内に埋め、一祠を建立して将門公の霊を弔った、あるいは秀郷着用の鎧を祀ったという伝承もある。
あるいは平将頼(平將門の弟で御厨三郎と称した)が当地に陣を敷いていたところ、藤原秀郷の子・千晴の奇襲を受け、奮戦むなしく討ち死にした。その後、この地に霊気が留まって人々を悩ませたため、里人が祠を建てて将頼を祀った、あるいは一族の当主である將門を祀ったとする説もある。
明治維新に際し、社号を鎧神社と改称。明治7年(1874)3月、祭神の平將門を末社に遷し、同年4月、村社に列格した。第二次大戦後、氏子の願いにより平將門を本社に復す。
ところで、もともと柏木成子地区も当社の氏子であったが、北新宿一丁目の柏木公園に鎮座していた摂社の天神社を迎えて氏神とした。これが成子天神社である。なお、この天神社は明治の中頃に柏木公園から鎧神社境内に遷されている。成子天神社の元宮であることから、元天神とも呼ばれる。
写真帖
メモ
摂社・天神社の狛犬は、ただの狛犬ではなく、狛犬型の庚申塔である。狛犬型庚申塔というのは非常に珍しく、新宿区の文化財に指定されている。
鎧神社の境内には幼稚園があり、昼間は子ども達の声で賑やかである。初めての参拝時、拝殿前で保母さんたちが赤ちゃんの世話をしていたのだが、カメラを見て、わざわざ写真を撮りやすいように場所を移動してくださった。
平成17年に御朱印をいただいたときは宮司さんが留守ということで、墨書ではなくスタンプになっている。
鎧神社の概要
名称 | 鎧神社 |
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旧称 | 鎧明神社 |
御祭神 | 日本武尊〔やまとたけるのみこと〕 大己貴命〔おおなむちのみこと〕 少彦名命〔すくなひこなのみこと〕 〈相殿〉 平將門公〔たいらのまさかどこう〕 |
鎮座地 | 東京都新宿区北新宿三丁目16番18号 |
創建年代 | 醍醐天皇の御宇(898~929) |
社格等 | 旧村社 |
例祭 | 9月吉日 |
神事・行事 | 1月1日/歳旦祭 2月3日/節分祭 2月二の午日/祈年祭・末社例祭 11月25日/新嘗祭・摂社天神社例祭 |
交通アクセス
□JR「大久保駅」より徒歩11分
□JR・都営大江戸線「東中野駅」より徒歩14分