吹上稲荷神社は、元和8年(1622)徳川秀忠が日光山より江戸城内・紅葉山吹上御殿に勧請したことを創祀とする。その後、神田一ツ橋外の護持院ヶ原から小石川の守山藩松平家の邸内に遷され、宝暦元年(1751)大塚村民が鎮守として拝領、善仁寺境内に祀った。さらに護国寺境内に遷された。明治の神仏分離後も遷座を繰り返し、明治45年(1912)現社地に鎮座した。
正式名称 | 吹上稲荷神社〔ふきあげ いなりじんじゃ〕 |
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御祭神 | 保食之大神 |
社格等 | 旧無格社 |
鎮座地 | 東京都文京区大塚5-21-11 [Mapion|googlemap] |
御朱印
平成17年に拝受した御朱印。朱印は「吹上神社」。
御由緒
吹上稲荷神社の創建は元和8年(1622)、2代将軍・徳川秀忠が日光山から稲荷大神の御神体をいただいて、江戸城の紅葉山吹上御殿に祀り、「東稲荷宮」と称したことに始まる。
5代将軍・綱吉の頃、神田一ツ橋外の護持院ヶ原に遷され、その後、水戸家の分家である松平大学頭(守山藩松平家)が拝領して小石川御組屋敷御箪笥町の邸内(現在の教育の森公園)に祀られた。
宝暦元年(1751)、大塚村民の鎮守として松平家より拝領し、現・小石川四丁目の善仁寺に奉遷。この時、当社がもともと江戸城内吹上御殿に祀られていたことから吹上稲荷社と称されるようになり、善仁寺前の坂も吹上坂と呼ばれるようになったという(異説あり)。さらにその後、年代はわからないが、護国寺境内の月光殿・薬師寺(薬師堂か?)付近に遷されたという。
明治5年(1872)神仏分離のため大塚上町に仮遷座。同15年(1882)大塚仲町(現・大塚三丁目)に遷り、さらに同45年(1912)市区改正に伴い大塚坂下町の現社地に遷座した。
補足
上記の由緒は『平成「祭」データ』に基づく。一方、『礫川要覧』(明治43年)や『小石川区史』(昭和10年)など明治から昭和戦前の資料は当社の由緒を不詳とし、嘉永7年(1854)の江戸切絵図に小石川大塚吹上という地名が見えること(旧大塚窪町、現在の大塚三丁目のあたり)などから、吹上の名はこのあたりの旧地名によるものであろうとする。また、『小石川志料』に見える智香寺(大塚3-28-12)境内の吹上稲荷大明神が当社の起こりで、それが護国寺境内に遷されたのではないかと推測している。
写真帖
メモ
大通りから少し離れた住宅街に鎮座する。社殿の背後は豊島岡墓地から護国寺へと続く緑豊かな森であり、広い境内ではないが神域らしい風情がある。参道に立てられた紺色の幟も印象的である。
吹上稲荷神社の概要
名称 | 吹上稲荷神社 |
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通称 | 吹上神社 |
旧称 | 稲荷神社 東稲荷宮 |
御祭神 | 保食之大神〔うけもちのおおかみ〕 |
鎮座地 | 東京都文京区大塚五丁目21番11号 |
創建年代 | 元和8年(1622) |
社格等 | 旧無格社 |
例祭 | 9月21日・22日 |
神事・行事 | 1月1日/歳旦祭 2月22日/祈年祭・初午祭・二月小祭 5月22日/五月中祭 ※『平成「祭」データ』による |
交通アクセス
□東京メトロ有楽町線「護国寺駅」より徒歩3分
□東京メトロ丸ノ内線「新大塚駅」より徒歩3分