櫻木神社 | 東京都文京区

櫻木神社

社伝によれば、文明年間(1469~87)太田道灌が北野天満宮より御分霊を勧請し、江戸城内に祀ったことに始まる。2代将軍秀忠の時代、湯島台坂上の旧・桜の馬場に遷された。さらに元禄3年(1960)湯島聖堂の造営・昌平坂学問所の設立に伴い、本郷真砂町の真光寺境内(現社地)に遷座した。明治の神仏分離により真光寺から独立、櫻木神社と改称した。

正式名称 櫻木神社〔さくらぎじんじゃ〕
御祭神 菅原道真公
社格等 旧村社
鎮座地 東京都文京区本郷4-3-1 [Mapion|googlemap]
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目次

御朱印

櫻木神社の御朱印
(1)
櫻木神社の御朱印
(2)

(1)平成17年拝受の御朱印。朱印は「櫻木神社」。

(2)平成22年拝受の御朱印。上の朱印は梅鉢の神紋、下は平成17年のものと同じ「櫻木神社」。

御由緒

櫻木神社は、社伝によれば文明年間(1469~87)に太田道潅が江戸城を築城した際、北野天満宮より御分霊を城内に勧請したことを創祀とする。

その後、二代将軍・秀忠の時代に湯島台坂上の旧・桜の馬場に遷座。さらに元禄3年(1690)同地に湯島聖堂・昌平坂学問所が設立されたのに伴い、本郷真砂町の富元山真光寺(戦後、世田谷区給田に移転)境内の現社地に遷された。当時は真光寺境内の南にあって、北ノ天神・本郷天神社と通称されていたという。

明治維新の後、真光寺から独立して櫻木神社と改称、明治5年(1872)村社に列格。桜木の社号については、菅公が太宰府に配流される際、自ら形見として桜の木に刻んだ自刻の像を御神体とするとする説と、桜の馬場に鎮座していたことに由来するという説がある。

旧社殿は元禄年間(1688~1704)の建立、宝暦3年(1753)に改築されたものであったが、昭和20年(1945)米軍の空襲により焼失。現在の社殿は昭和34年(1959)の再建である。

補足

真光寺は慈覚大師円仁の創建と伝わる古刹で、藤堂高虎の助力によって再興され、藤堂家の菩提寺として寺運興隆したという。しかし、先の大戦の戦災により伽藍等焼失し、薬師堂(本郷薬師)と露座の十一面観音像、墓地のみを残して世田谷区給田に移転した。
櫻木神社の由緒によれば、現社地に遷座したのは元禄3年(1690)となっているが、天台宗東京教区の真光寺の紹介を見ると、「正保4年 (1647年) 諸堂宇、 及び天神社 (現在の本郷桜木神社) が落慶されました」とある。この辺りについては検討の余地があろう。

写真帖

鳥居
鳥居
拝殿
拝殿
本殿と末社・見送稲荷神社
本殿と末社・見送稲荷神社

メモ

東京ドームや東京大学にほど近く、春日通り沿いに鎮座する。周囲を住宅に囲まれ、社殿が窮屈そうに収まる。狭いながらも緑の多い境内である。

櫻木神社の概要

名称 櫻木神社
通称 櫻木天神
旧称 天神社
御祭神 菅原道真公〔すがわらのみちざねこう〕
鎮座地 東京都文京区本郷四丁目3番1号
創建年代 文明年間(1469~87)
社格等 旧村社
例祭 9月第4土・日曜日
神事・行事 1月1日/歳旦祭
2月3日/節分祭
4月上旬/稲荷祭
6月30日/大祓
8月不定日/子供夏祭り
12月31日/大祓

交通アクセス

□東京メトロ丸ノ内線・都営大江戸線「本郷三丁目駅」より徒歩2分

更新履歴

2006.01.29.公開
2010.12.08.改訂、御朱印と画像を追加。
2016.09.29.更新、Wordpressへ移行。

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