浅草橋の須賀神社は、推古天皇の御代、祠を建てて牛頭天王を奉斎したことに始まるという。かつて祭礼の日には氏子が団子を作り、笹の枝にさして神前に奉納した。それを参拝者が持ち帰って厄除けのお守りにしたことから、団子天王・笹団子天王と呼ばれた。
正式名称 | 須賀神社〔すがじんじゃ〕 |
---|---|
御祭神 | 素盞嗚尊 |
社格等 | 旧村社 |
鎮座地 | 東京都台東区浅草橋2-29-16 [Mapion|googlemap] |
公式サイト | http://www.k3.dion.ne.jp/~sugasuga/ |
御朱印
(1)平成17年拝受の御朱印。朱印は「須賀神社」。
(2)平成24年拝受の御朱印。中央の朱印は「須賀神社」だが、平成17年のものとは書体が違っている。下の印は五瓜に唐花の神紋。
昔の御朱印
昭和11年の御朱印。上の印は「須賀神社」、下は「社務所印」。
御由緒
社伝によれば、推古天皇9年(601)当地で疫病が流行した。里人が牛頭天王に病気平癒を祈願したところ、ことごとく快癒したことから、この地に祠を建てて奉斎したことに始まるという。
徳川家光の時代、松平信綱が奉行の神尾元勝・朝倉在重に命じて社殿を造営せしめ、寛永16年(1639)に完成したという。当時は寛永寺末の真鏡山大円寺が別当であった。
団子天王・笹団子天王の通称は、かつて祭礼の日に氏子の家々で団子を作り、笹の枝につけて神前に奉納したことに因む。奉納された団子は参拝者が持ち帰り、厄災除けのお守りにしたという。
当社は大蔵前の総鎮守で、氏子に札差(幕府から旗本・御家人に支給される蔵米を仲介する商人で、蔵米を担保に金融業も営むようになった)が多く、彼らの経済力に支えられて祭礼も盛大であったという。『江戸名所図会』には賑やかな祭礼の様子が描かれている。
明治元年(1868)神仏分離により大円寺より独立し、須賀神社と改称。明治5年(1872)村社に列格。関東大震災・東京大空襲の被害を受けたが、昭和36年(1961)現在の社殿が再建された。
写真帖
メモ
浅草橋駅東口から浅草方面に約250m、江戸通りに面して鎮座する。平成17年に御朱印をいただいた頃は、普段宮司さんがいらっしゃらず、祭礼の日に参拝してお忙しい中対応していただいた。
2度目の御朱印拝受は普段の日、社務所にて。気さくな宮司さんで、こちらも夕方最後の参拝だったということもあり、神社の由緒や御朱印のことなど、いろいろお話を伺うことができた。
例祭について、平成17年当時は6月第1金・土・日で、御朱印も6月5日付ですが、5月の下旬、近隣の神社と同日に行うようになったようだ。
須賀神社の概要
名称 | 須賀神社 |
---|---|
通称 | 浅草橋須賀神社 |
旧称 | 牛頭天王社 祇園社 蔵前天王社 団子天王社 |
御祭神 | 素盞嗚尊〔すさのおのみこと〕 〈合祀〉 大己貴命〔おおなむちのみこと〕 少彦名命〔すくなひこなのみこと〕 櫛石窓命〔くしいわまどのみこと〕 豊石窓命〔とよいわまどのみこと〕 市杵島姫命〔いちきしまひめのみこと〕 火産霊命〔ほむすびのみこと〕 奥津彦命〔おくつひこのみこと〕 奥津姫命〔おくつひめのみこと〕 倉稲魂命〔うかのみたまのみこと〕 |
鎮座地 | 東京都台東区浅草橋二丁目29番16号 |
創建年代 | 推古天皇9年(601) |
社格等 | 旧村社 |
例祭 | 6月8日(※近年は5月下旬、近隣の神社と同日に行っている模様) |
神事・行事 | 1月1日/歳旦祭・新年祭 1月15日/焼上祭(どんど焼き) 2月節分/節分祭 6月30日/大祓い 7月/盆踊り大会 11月23日/新嘗祭 12月31日/大祓い |
交通アクセス
□JR総武線・都営浅草線「浅草橋駅」より徒歩約3分