社伝によれば推古天皇の御代(592~628)の創建で、旧別当・龍眼寺開山の沙門良博が応永10年(1403)に再建したという。柳島(現在の江東区亀戸・墨田区錦糸・太平・横川・業平のそれぞれ一部)の総鎮守で、古くは砂原神明宮と呼ばれた。
正式名称 | 天祖神社〔てんそじんじゃ〕 |
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通称 | 江東天祖神社〔こうとう てんそじんじゃ〕 |
御祭神 | 天照皇大御神 |
社格等 | 旧村社 |
鎮座地 | 東京都江東区亀戸3-38-35 [Mapion|googlemap] |
公式サイト | http://www.tensojinja.com/ |
御朱印
(1)平成17年拝受の御朱印。上の朱印は「柳島総鎮守天祖神社印」、下は「天祖神社」。
(2)平成22年拝受の御朱印。上の印は三つ巴の神紋、下は「天祖神社」。右脇に「柳しま」の墨書が入る。
(3)平成30年拝受の御朱印。上の印は「柳島総鎮守天祖神社印」。下は「天祖神社」だが新調したようである。
(4)平成30年拝受、太郎稲荷神社の御朱印。上の朱印は抱き稲の神紋、下は「太郎稲荷」。文字はスタンプで「太郎稲荷神社」。
(5)亀戸七福神、福禄寿の御朱印。平成19年拝受。朱印は通常と同じで、揮毫のみ「福禄寿」。
御由緒
柳島(旧・葛飾郡柳島村と柳島五か町の総称、現在の江東区亀戸及び墨田区錦糸・泰平・横川・業平のそれぞれ一部)の総鎮守。往古は砂原神明宮、柳島総鎮守神明宮と称した。
社伝によれば、創建は推古天皇の御代で、聖徳太子御作という神像を祀ったことに始まり、応永10年(1403) 旧別当・慈雲山龍眼寺の開山・沙門良博が再興したとされる。
龍眼寺の縁起によれば、比叡山での修行を終えた良博大和尚が郷里に帰る途中、柳島で一夜を過ごした。すると夢に観世音菩薩が現れ、「この堂の下に、汝の守るべき御本尊と村の守護神となる御神体がある」とお告げがあった。翌朝、夢告通りに観世音菩薩像と御神体を授かった良博が一心に祈願すると、村を襲っていた流行病が治まった。そこで、一宇を建立して観世音菩薩を奉安し、柳源寺と称するとともに、御神体を祀って神明宮としたという。
天正年間(1573~1593)疫病が大流行した際、織田信長が使いを参向させ、流鏑馬を神前に奉納したと伝えられる。これが恒例となり、現在も秋の例祭に氏子児童による流鏑馬神事が行われている(馬場が確保できないため、歩射を行う)。
現在の社殿は昭和4年(1929)の建造。日本最初の防災建築の社殿で、外部は鉄筋コンクリート、内部は総檜造り、俗に金庫造りといわれる。
境内社の太郎稲荷神社は、柳川藩立花家の下屋敷の邸内社を江戸末期に遷したものという。流行神として広く信仰を集めたことで知られる。ただし、太郎稲荷は柳川藩下屋敷のあった入谷二丁目のほか、大島五丁目の大島稲荷神社などにも祀られている。
写真帖
メモ
亀戸天神社の北500mほどの住宅地の中に鎮座する。すぐ北には北十間川が流れる。境内に入って目に入るのは、あちこちに道祖神と童子の石像である。「おもいで」や「ありがとう」といった名前がつけられ、なんとなく懐かしい雰囲気を漂わせている。
江東天祖神社の概要
名称 | 天祖神社 |
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通称 | 江東天祖神社 |
旧称 | 神明宮 砂原神明宮 |
御祭神 | 天照皇大御神〔あまてらすおおみかみ〕 |
鎮座地 | 東京都江東区亀戸三丁目38番35号 |
創建年代 | 伝・推古天皇の御代(592~628) |
社格等 | 旧村社 |
例祭 | 9月16日(お歩射) |
神事・行事 | 1月1日/歳旦祭 2月節分/節分祭 2月17日/祈年祭 4月午の日/太郎稲荷祭 5月15日/夏季例大祭(団子祭) 6月30日/大祓い 11月23日/新嘗祭 12月30日/大祓い |
巡拝 | 亀戸七福神(福禄寿) |
交通アクセス
□JR総武線「亀戸駅」より徒歩約15分
□JR総武線・東京メトロ半蔵門線「錦糸町駅」より徒歩約15分