志演尊空神社 | 東京都江東区

志演尊空神社

八右衛門新田の鎮守。寛永元年(1624)当地を訪れた菅原長寛が村民の願いを受け、稲荷神を祀って深川稲荷と称したことに始まる。元禄の頃、5代将軍綱吉が鷹狩りの際に立ち寄り、御祭神と縁起を聞いて「民の志を演ぶること殊勝なり」と賞したことから志演神社と改称した。昭和22年(1947)戦災で焼失した尊空稲荷神社を合祀し、志演尊空神社と称するようになった。

正式名称 志演神社〔しのぶじんじゃ〕
通称 志演尊空神社〔しのぶ そんくうじんじゃ〕
御祭神 宇迦御魂命 須佐之男命 伊邪那美命 田力男命 〈合祀〉尊空親王
社格等 旧村社
鎮座地 東京都江東区北砂2-1-37 [Mapion|googlemap]
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目次

御朱印

志演尊空神社の御朱印
(1)

(1)平成18年拝受の御朱印。中央の朱印は神璽。左下は判読しづらいが「御璽」のように見える。

御由緒

志演神社は八右衛門新田の鎮守。寛永元年(1624)当地の開発が行われていたところに訪れた菅原長寛が、村民の願いを受けて稲荷神を祀り、深川稲荷と称したことに始まる。

元禄年間、5代将軍綱吉が鷹狩りの途中に当社を参拝し、御祭神と縁起を聞いて「民の志を演ぶること殊勝なり」と賞し、社号を志演神社と改めさせた。もとは横十間川の東にあったが、元禄8年(1695)現社地に遷座した。

正徳2年(1712)、当地に伝染病が流行し、死者が多数多数出た。そこで5代目別当・菅原快圓が柴灯護摩を修したところ、病が治まったので、人びとは「ごまの稲荷」と呼んだという。

合祀の尊空親王は伏見宮邦頼親王の御子で知恩院の第36代住持であったが、寛文3年(1663)故あって関東へ下向し、深川に隠棲した。その没後、村人が親王の徳を敬慕し、邸跡に祠を建て、村の鎮守として祀ったという。その後、松平伊豆守の屋敷にあった稲荷祠が寄進され、尊空稲荷と称した。

昭和20年(1945)、戦災により志演・尊空稲荷両社が焼失したため、同22年(1947)尊空稲荷神社を合祀し、志演尊空神社と称するようになった。

写真帖

鳥居
鳥居
手水舎
手水舎
拝殿
拝殿
本殿
本殿

メモ

広い境内ではないが、立派な公孫樹の木が数本、枝を繁らせて境内を覆っている。

志演尊空神社の概要

名称 志演神社
通称 志演尊空神社
旧称 深川稲荷 志演稲荷 ごまの稲荷
御祭神 宇迦御魂命〔うかのみたまのみこと〕
須佐之男命〔すさのおのみこと〕
伊邪那美命〔いざなみのみこと〕
田力男命〔たぢからおのみこと〕
〈合祀〉
尊空親王〔そんくうしんのう〕
鎮座地 東京都江東区北砂二丁目1番37号
創建年代 寛永元年(1624)
社格等 旧村社
例祭 8月下旬日曜日
神事・行事 1月1日/歳旦祭
2月節分/節分祭
旧2月上午の日/初午祭
5月下旬日曜日/春季大祭
※『平成「祭」データ』による

交通アクセス

□東京メトロ東西線「南砂町駅」より徒歩約15分
□都営新宿線「西大島駅」より徒歩約15分
□JR総武線「亀戸駅」よりバス
■都営バス臨海車庫行き・なぎさニュータウン行き「境川」下車徒歩1分

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