
田園調布八幡神社は旧上沼部村の鎮守。社伝によれば建長年間(1249~56)の創建とされる。小田原北条氏が滅びた時、八王子城主北条氏照に仕えていた落合某が当地に土着し、寛永年間(1624~44)その孫・落合弥左衛門が社殿を造営し、御神体を祀ったという。あるいは一説には、上沼部村の知行主となった神谷縫殿助が寛永5年(1628)本地より八幡大神を勧請し、氏神として崇敬したとも言う。
| 正式名称 | 八幡神社〔はちまんじんじゃ〕 |
|---|---|
| 御祭神 | 誉田別之命 |
| 社格等 | 旧無格社 |
| 鎮座地 | 東京都大田区田園調布5-30-16 [Mapion|googlemap] |
| 公式サイト | https://www.dencho8.com/ |

御朱印

(1)平成28年拝受の御朱印、書き置き。朱印は三つ巴の神紋。
※御朱印は本務社の雪ヶ谷八幡神社でいただいた。
田園調布八幡神社について

御祭神
■誉田別之命
御由緒(歴史)
田園調布八幡神社は旧上沼部村の鎮守。
社伝によれば、慶長年間(1249~56)の創建とされる。当時、当地の西には篭谷戸という入り江があり、多摩川の良港として盛んに船が出入りしていた。また、村の高台には鎌倉街道が通り、篭谷戸の港と接続して交通の要衝となっていた。当社の鎮座地は港の入口に突き出した台地であり、この要地に鎌倉武士が八幡大神を奉斎したという。
天正18年(1590)豊臣秀吉に小田原北条氏が滅ぼされた時、八王子城の北条氏照に仕えていた落合某は当地に落ち延び、庵を結んで主家の菩提を弔った。寛永年間(1624~44)その孫の落合弥左衛門が八幡神を祀っていた地に社殿を新築し、村の鎮守とした。上沼部村の知行主となった神谷氏も当社を氏神として崇敬したという。
『大森区史』によれば、小田原北条氏が滅びた時、北条氏照麾下のものは八王子城に向かったが、既に城は落ちていたため、やむなく近郷に離散した。その中に落合雅楽助・弥三郎・弥兵衛の三兄弟があり、当地に庵を結んで陣没した父の菩提を弔うとともに、稲荷大明神を勧請して守護神とした。寛永2年(1625)旗本の神谷縫殿助(神谷正次か)が上沼部村の知行主となり、寛永5年(1628)本地より八幡大神を勧請し、氏神として崇敬した。以来、稲荷大明神とともに上沼部村一帯の鎮守となったとされる。
拝殿・本殿は明治33年(1900)頃の建造。昭和46年(1971)境内と社殿の整備が行われ、本殿の覆殿と幣殿が設けられた。
写真帖

一の鳥居。昭和15年(1940)の建造。

参道の石段。このあたりは国分寺崖線(ハケ)の南端だが、その様子がよくわかる。

二の鳥居。享和2年(1802)の建立。

手水舎。

拝殿。瓦葺きの入母屋造。明治33年(1900)頃の建造とのことである。

拝殿前の狛犬。大正10年(1921)に寄進されたもの。

御本社の右側には稲荷神社がある。

本殿(覆殿)。モルタル造の流造、瓦葺き。昭和46年(1971)の建造で、中に一間社流造の本殿が収められているとのこと。
メモ
武蔵野台地の南端、国分寺崖線(ハケ)の上に鎮座する。田園調布の街を歩いて約15分、住宅街の中に鎮守の森がある。現代風な住宅が建ち並ぶ田園調布の一角に、そこだけタイムスリップしたかのような農村の鎮守様を思わせる境内である。社殿も古風な木造瓦葺きで、とてもよい雰囲気の神社であった。
田園調布八幡神社の概要
| 名称 | 八幡神社 |
|---|---|
| 通称 | 田園調布八幡神社 |
| 旧称 | 八幡社 |
| 御祭神 | 誉田別之命〔ほんだわけのみこと〕 |
| 鎮座地 | 東京都大田区田園調布5丁目30番16号 |
| 創建年代 | 建長年間(1249~56) |
| 社格等 | 旧無格社 |
| 例祭 | 9月第1土・日曜日 |
| 神事・行事 | 2月上午の日/初午祭 2月3日/節分祭 11月15日/七五三祭 12月31日/除夜祭 |
交通アクセス
□東急東横線・目黒線「田園調布駅」より徒歩約15分。
参考文献
・田園調布八幡神社公式サイト
・『新編武蔵風土記稿』
・『神谷氏系譜』神谷大周(明治29年)
・『大森区史』東京市大森区(昭和14年)
・日本歴史地名大系『東京都の地名』
・『平成「祭」データ』
・Wikipedia

