名称 | 由霊山 慈尊院 三角寺 |
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御本尊 | 十一面観世音菩薩 |
所在地 | 愛媛県四国中央市金田町三角寺甲75 [Mapion|googlemap] |
【本尊真言】
おん まか きゃろにきゃ そわか
【御詠歌】
おそろしや三つの角にもいるならば 心をまろく慈悲を念ぜよ
【略縁起】
寺伝によれば、天平年間(729~49)聖武天皇の勅願により行基菩薩が開創した。弘仁6年(815)弘法大師が訪れ、十一面観音と不動明王の像を安置した。そして三角の護摩壇を築き、三七日の降伏護摩を修した。これに因んで三角寺と号する。嵯峨天皇の信仰を得て寺運は興隆したが、天正9年(1581)長宗我部の兵火で焼失した。現在の本堂は嘉永2年(1849)の再建。「子宝杓子」の信仰でも知られる。
三角寺の納経(御朱印)
(1)平成元年拝受の納経。揮毫は十一面観音の種字「キャ」に「大悲殿」。中央の宝印は蓮台上の火炎宝珠に梵字「キャ」。右上の印は「四国六十五番」、左下は「由霊山三角寺」。
(2)平成18年に拝受した納経。揮毫・朱印ともに平成元年のものと同じ。
江戸時代の納経
(1)天保11年(1840)の納経。揮毫は「奉納経」「本尊十一面観音」「伊よ(伊与)三角寺」。中央の宝印は蓮台上の火炎宝珠に十一面観音の種字「キャ」、不動明王の種字「カーン」、毘沙門天の種字「ベイ」。右上の印は「四国六十五番」、左下は「慈尊院印」。
(2)天保12年(1841)の納経。揮毫は「奉納」「本尊十一面観音」「豫州 三角寺」。朱印は天保11年のものと同じ。
明治時代の納経
(1)明治38年(1905)の納経。揮毫は「奉納」十一面観音の種字「キャ」に「十一面大士」「東ヨ(東豫)三角寺」。東予は東伊豫・愛媛県東部のこと。中央の宝印は中央の宝印は蓮台上の火炎宝珠に十一面観音の種字「キャ」、不動明王の種字「カーン」、毘沙門天の種字「ベイ」。右上の印は「四国六十五番」、左下は「慈尊院印」。
三角寺について
山号 | 由霊山(ゆれいざん) |
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寺号 | 三角寺(さんかくじ) |
院号 | 慈尊院(じそんいん) |
御本尊 | 十一面観世音菩薩 |
所在地 | 愛媛県四国中央市金田町三角寺甲75番地 |
創建年代 | 天平年間(729~49) |
開山 | 行基菩薩 |
宗派等 | 高野山真言宗 別格本山 |
文化財 | 〈県有形文化財〉木造十一面観世音菩薩像 |
覚え書き
伊予国・菩提の道場最後の札所で、関所寺。山号は由霊山だが『四国徧礼霊場記』には「庾嶺山(ゆれいざん)」とあり、江戸時代の納経帳には「幽霊山」と記されているものもある。
寺伝によれば、天平年間(729~49)聖武天皇の勅願により、行基菩薩が弥勒浄土を現すために開いたという。
弘仁6年(815)弘法大師が留錫し、十一面観音と不動明王を刻んで安置。また、三角の護摩壇を築いて21日間の降伏護摩を修された。その跡が境内の三角池だという。三角寺という寺号もこれに因む。
嵯峨天皇は寺領300町歩を寄進し、七堂伽藍を建立。最盛期は山内に子院12坊を数え、寺運は興隆したが、天正9年(1581)長宗我部の兵火により烏有に帰した。現在の堂宇は嘉永2年(1849)の再建である。
本尊は子授け、安産の観音として信仰を集める。杓子を授かり、その杓子を使って夫婦仲良く食事をすると子宝を授かるという。本来は、寺で使っている杓子を誰にも見つからずにを持ち出して使うと御利益があると伝えられていたが、現在は御札とともに授かる形になっている。子宝を授かると、新しい杓子を添えてお礼参りをする。
三角寺の奥之院は別格13番仙龍寺である。