第77番 桑多山 道隆寺 | 香川県仲多度郡多度津町

77番道隆寺

寺伝によれば、和銅5年(712)和気道隆が桑の木で薬師如来を彫り、一堂を建立して安置したことに始まる。大同2年(807)弘法大師は道隆の孫・朝佑の懇請を受け、薬師如来の像を刻んで道隆の薬師像を胎内に納めた。朝佑は大師より受戒して第二世住職となり、先祖伝来の田園財宝を用いて伽藍を整備、祖父の名に因んで道隆寺と名付けたという。

名称 桑多山 明王院 道隆寺
御本尊 薬師如来
本尊真言 おん ころころ せんだり まとうぎ そわか
御詠歌 ねがいをば仏道隆に入りはてて 菩提の月を見まくほしさに
所在地 香川県仲多度郡多度津町北鴨1-3-30 [Mapion|googlemap]
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目次

道隆寺の納経(御朱印)

77番道隆寺の納経
(1)
77番道隆寺の納経
(2)

(1)平成元年拝受の納経。揮毫は薬師如来の種字「バイ」に「薬師仏」か。中央の宝印は蓮台上の宝珠に薬師如来の種字「バイ」。右上の印は「第七十七番」、左下は「讃岐国道隆寺」。

(2)平成19年拝受の納経。揮毫は薬師如来の種字「バイ」に「薬師如来」。朱印は平成元年のものと同じ。

昔の納経

天保11年の納経
(3)
天保12年の納経
(4)
明治38年の納経
(5)

(3)天保11年(1840)の納経。揮毫は「奉納経」「本尊薬師如来」「西讃州桑多山」「道隆寺 役者」。中央の宝印は薬師如来の種字「バイ」に宝珠光。右上の印は「四国第七十七番」、左下は「道隆寺役者」。

(4)天保12年(1841)の納経。揮毫は「奉納経」「本尊薬師如来」「讃州桒多山」「道隆寺」。朱印は天保11年のものと同じ。

(5)明治38年(1905)の納経。版木押しで「奉納経」「本尊薬師如来」「讃岐国 道隆寺堂司」。中央の宝印は蓮台上の円に薬師如来の種字「バイ」。右上の印は「第七十七番」、左下は「讃岐国道隆寺」。

略縁起

元明天皇の御代(707~15)に和気道隆(金倉寺を建立した和気道善の弟)が開創したという。天平勝宝元年(749)という説もある。

伝承によれば、当時、この辺りは桑畑であった。ある時、桑の大木から怪しい光が発していた。和気道隆が弓で射たところ、悲鳴が上がり、乳母が死んでいた。悲しんだ道隆はその桑の木で薬師像を刻み、堂を建てて安置したという。

大同2年(807)唐より帰朝した弘法大師は道隆の孫・朝佑の懇請を受け、薬師如来の像を造立し、その胎内に道隆の薬師像を納めた。朝佑は弘法大師より授戒し、第二世住職となった。そして先祖伝来の田園財宝を投じて伽藍を整え、祖父の名に因んで道隆寺と名付けた。

その後、法光大師(弘法大師の弟の真雅僧正)、智証大師、理源大師が止住し、大いに栄えたという。地震や兵火により寺運は衰退するが、歴代住職の尽力によって再建され、四十九代智隆大僧正の時に醍醐派の大本山となった。

写真帖

山門
山門
多宝塔
多宝塔
道隆公御廟
道隆公御廟
潜徳院殿堂
潜徳院殿堂
戻り観音
戻り観音
大師堂
大師堂
本堂
本堂

道隆寺の概要

山号 桑多山(そうたざん)
寺号 道隆寺(どうりゅうじ)
院号 明王院(みょうおういん)
御本尊 薬師如来
所在地 香川県仲多度郡多度津町北鴨一丁目3番30号
創建年代 和銅5年(712)
開山 和気道隆
宗派等 真言宗醍醐派 大本山
文化財 〈重文〉絹本著色星曼荼羅図

交通アクセス

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