第73番 我拝師山 出釈迦寺

73番出釈迦寺

名称 我拝師山 求聞持院 出釈迦寺
御本尊 釈迦如来
所在地 香川県善通寺市吉原町1091 [Mapion|googlemap]
公式サイト http://www.shushakaji.jp/

【本尊真言】
のうまく さんまんだ ぼだなん ばく

【御詠歌】
迷いぬる六道衆生救わんと 尊き山に出ずる釈迦寺

【略縁起】
弘法大師が真魚と呼ばれていた7歳の時、仏門に入って衆生を救うという誓願が叶うならば霊験を現すよう念じ、我拝師山の断崖から身を投じた。すると釈迦如来と天女が現れて真魚を受け止め、「一生成仏」と願いが成就することを告げた。これに感激して釈迦如来の姿を刻み、一寺を建立したのが始まりと伝えられる。

目次

出釈迦寺の納経(御朱印)

  • 73番出釈迦寺の納経

    (1)

  • 73番出釈迦寺の納経

    (2)

(1)平成元年拝受の納経。揮毫は釈迦如来の種字「バク」に「釈迦如来」。中央の宝印は円の中の蓮華座に種字「バク」。右上の印は「第七十三番」、左下は「我拝師山求聞持院出釈迦寺」。

(2)平成19年にいただいた納経。揮毫・朱印ともに平成元年のものと同じ。

江戸時代の納経

  • 天保11年の納経

    (1)

  • 天保12年の納経

    (2)

(1)天保11年(1840)の納経。版木押しで「奉納経」「本尊 釈迦如来」「西讃 我拝師山」「出釈迦寺」。中央の宝印はない。右上の印は「第七十三番」、左下は白抜きで「我拝師山出釈迦寺」。

(2)天保12年(1841)の納経。版木・朱印ともに天保11年のものと同じ。

明治時代の納経

  • 明治38年の納経

    (1)

(1)明治38年(1905)の納経。版木押しで「奉納経」「本尊釈迦如来」「西讃我拝師山」「出釈迦寺」。中央の宝印はない。右上の印は「第七十三番」、左下は白抜きで「我拝師山出釈迦寺」。

出釈迦寺について

山号 我拝師山(がばいしざん)
寺号 出釈迦寺(しゅっしゃかじ)
院号 求聞持院(ぐもんじいん)
御本尊 釈迦如来
所在地 香川県善通寺市吉原町1091番地
創建年代 奈良時代後期~平安時代初期
開山 弘法大師
宗派等 真言宗御室派

覚え書き

72番曼荼羅寺から500mほど、我拝師山〔がばいしざん〕のふもとにある。『四国徧礼霊場記』によれば曼荼羅寺の奥之院で、西行法師の『山家集』には「曼荼羅寺の行道所」と記されている。
標高481mの我拝師山は、もともと倭斯濃山〔わしのやま〕といったという。弘法大師が真魚〔まお〕と呼ばれていた7歳のとき、この山に登り、「もし仏門に入って衆生を救済したいという願いが叶うならば霊験を現わし給え、叶わないのであれば我が身を持って諸仏を供養しよう」と念じ、捨身ヶ嶽の断崖より飛び降りた。すると紫雲が湧き起こって釈迦如来が出現し、天女が真魚を受けとめた。そして釈迦如来は「一生成仏」と告げ、願いが成就することを示した。
願いが成就することを告げられた大師は感激し、釈迦如来の姿を刻んで一宇を建立した。これが出釈迦寺の開創とされる。この時、倭斯濃山も我拝師山と改められたという。
大師が身を投じた捨身ヶ嶽禅定は我拝師山の山頂近くにあり、その手前にある根本御堂が釈迦如来出現の場所とされる。元はここが札所であったが、今から300年ほど前、山麓の現在地に寺が建立された。
承応2年(1653)に四国を巡拝した澄禅の『四国辺路日記』には魔風のために一夜にして堂舎が倒壊し、その残骸が残っていると記している。一方、貞享4年(1687)に刊行された真念の『四国辺路道指南』には、由緒はあっても堂舎がないので、近年、麓に堂と寺が建てられ、そちらで札を納めるとある。
奥の院は我拝師山の捨身ヶ嶽禅定。出釈迦寺の境内奥には捨身ヶ嶽の遙拝所がある。

写真帖

  • 我拝師山

    我拝師山

  • 求聞持大師像

    求聞持大師像

  • 本堂

    本堂

  • 捨身ヶ嶽遙拝所

    捨身ヶ嶽遙拝所

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