名称 | 青峰山 千手院 根香寺 |
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御本尊 | 千手観世音菩薩 |
所在地 | 香川県高松市中山町1506 [Mapion|googlemap] |
公式サイト | http://www1.plala.or.jp/negoro/ |
【本尊真言】
おん ころころ せんだり まとうぎ そわか
【御詠歌】
宵の間の妙降る霜の消えぬれば 後こそ鉦の勤行の声
【略縁起】
寺伝によれば、弘仁年間(810~24)弘法大師が五色台の五つの峰に金剛界の五智如来を感得し、青峰に五大明王を祀って花蔵院を創建した。天長9年(832)智証大師円珍が市之瀬明神の託宣により、霊木で刻んだ千手観音を本尊として千手院を開いた。この花蔵院と千手院を合わせて根香寺と称するようになったという。戦国時代に戦火で焼失し、高松藩主となった生駒氏・松平氏によって再興された。寛文4年(1664)真言宗から天台宗に改められた。
根香寺の納経(御朱印)
(1)平成元年拝受の納経。揮毫は「大悲殿」。中央の宝印は円に千手観音の種字「キリーク」。右上の印は「四国八十二番」、左下は「根香教寺之印」。
(2)平成19年に拝受した納経。揮毫・朱印ともに平成元年のものと同じ。
江戸時代の納経
(1)天保11年(1840)の納経。揮毫は「奉納経」「本尊千手観音」「智証大師御作」「東讃州青峰山」「根香寺」「役者」。中央の宝印は勅願所であることを示す十六菊の御紋。右上の印は「四国八十二番」、左下は「仏法僧宝」の三宝印。
(2)天保12年(1841)の納経。版木押しで「本尊千手観世音菩薩」「讃州」「青峰山」「根香寺」。朱印は天保11年のものと同じ。
明治時代の納経
(1)明治38年(1905)の納経。版木押しで「奉納経」「本尊千手観音」「讃岐」「根香寺」。朱印は現在のものとほぼ同じで、中央の宝印は円に千手観音の種字「キリーク」。右上の印は「四国八十二番」、左下は「根香教寺之印」。
根香寺について
山号 | 青峰山(あおみねさん) |
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寺号 | 根香寺(ねごろじ) |
院号 | 千手院(せんじゅいん) |
旧称 | 花蔵院・千手院 |
御本尊 | 千手観世音菩薩 |
所在地 | 香川県高松市中山町1506番地 |
創建年代 | 弘仁年間(810~24) |
開山 | 弘法大師・智証大師 |
宗派等 | 単立(天台系) |
文化財 | 〈重文〉木造千手観音立像 〈史跡〉讃岐遍路道(根香寺道) 〈県有形文化財〉木造五大尊像 木造智証大師坐像 |
覚え書き
五色台の青峰にある。五色台の名は、この地を訪れた弘法大師が、五つの峰に金剛界の五智如来を感得し、密教相応の地として、五智如来の色にちなんで青峰(東)・赤峰(南)・黄峰(中央)・黒峰(北)・白峰(西)と名付けたことによる(五行説によるともいうが、色と方角の対応は同じ)。そして、青峰に五大明王を祀り、花蔵院を創建した。
天長9年(832)智証大師〔ちしょうだいし〕が市之瀬明神の託宣により、霊木に千手観音を刻み、千手院を建立して本尊とした。このとき、ケヤキの木に山王権現が現れ、白い猿が降りてきて大師を守護したという。そのケヤキは白猴欅〔はっこうけやき〕と呼ばれ、香川県の天然記念物に指定されていたが枯れてしまい、現在は保存のために根を切り、屋根をつけて、元の場所に立てられている。
この花蔵院と千手院を合わせて根香寺と称するようになったが、その名は千手観音を刻んだ霊木の根元が香気を放っていたことに由来するという。
後白河法皇の勅願所となり寺運興隆するが、戦国時代に兵火で焼失。その後、高松藩主の生駒氏・松平氏によって再建された。寛文4年(1664)松平頼重により真言宗から天台宗に改められ、聖護院の末寺となる。
この寺は牛鬼伝説でも知られる。
今から400あまり前、この付近に牛鬼という怪物が棲み、人や家畜に害をなしていた。そこで人々は、弓の名人として名高い山田蔵人高清〔やまだ くらんど たかきよ〕に牛鬼退治を依頼した。高清は根来寺の本尊に二十一日の願をかけ、無事、牛鬼を退治することができた。現在も高清が奉納した牛鬼の角が寺に伝わっている。
仁王門の前には牛鬼塚があり、かつての牛鬼像が建てられている。かつての怪獣映画を彷彿とさせる姿だが、寺に伝わる掛け軸に描かれた牛鬼の姿を再現したものである。