上渋谷村と上豊沢村の鎮守。創建年代は詳らかでないが、文明年間(1469~87)田中讃岐守直高が駿河国から移住した際、邸内に勧請したと伝えられる。現在の社殿は平成9年(1997)に完成したもの。シンプルな直線と曲線で構成され、オフィスビルと一体となった境内とともに従来の神社にはないモダンな景観を作り出している。
正式名称 | 北谷稲荷神社〔きたやいなりじんじゃ〕 |
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御祭神 | 宇迦之霊大神 〈相殿〉大己貴大神 大宮比売大神 神功皇后 大田大神 |
社格等 | 旧村社 |
鎮座地 | 東京都渋谷区神南1-4-1 [Mapion|googlemap] |
御朱印
(1)平成17年拝受の御朱印。朱印は「北谷稲荷神社」。
御由緒
上渋谷村及び上豊沢村の鎮守。北谷稲荷の名は上渋谷村字北谷に鎮座していたことに因む。
『新編武蔵風土記稿』には、文明(1469~87)の頃、名主・田中長吉の先祖・讃岐太郎直高が駿河国田中より移り住んだ際、邸内の艮の方に勧請したとある。しかし、万治3年(1660)再建時の棟札に「武州豊島郡渋谷村総鎮守稲荷大明神者往古当所何時不知勧請江戸山王社家小川織部持」とあり、文明以前からの鎮守だったのではないかという。
承応3年(1654)に直高の6代孫・佐平、宝永5年(1708)子孫の左平太が再建。享保13年(1728)松平左京大夫(伊予西条藩3代藩主・松平頼渡であろう)を願主として社殿を造営、明和8年(1771)同人(同5代藩主・松平頼淳、後の紀州藩主・徳川治貞か?)が再建した(以上、『新編武蔵風土記稿』による)。
かつては境内の周囲に神畑があったため「畑の稲荷」とも呼ばれていた。また社領十余町歩を拝領していたが、大永年間(1521~27)の兵火により証文を失ったという。氏子地域に火災が少なく、火伏せの神として信仰を集めていたとも伝えられる。
明治4年(1871)村社に列格。
昭和20年(1945)5月25日、戦災により社殿等一切を焼失した。同24年(1949)一部檜造亜鉛葺の本殿、同33年(1958)総檜造銅板葺拝殿及び社務所・神楽殿を再建した。
現在の社殿は旧社殿の老朽化に伴い、平成9年(1997)菊竹清訓設計事務所の設計により建造されたものである。
末社の天満宮は土師家(はじけ)天満宮と称する。御祭神・菅原道真の本姓である土師氏の名を冠したものだが、これを「はしか」の意にとり、麻疹・疱瘡に霊験があるとして広く信仰を集めた。安永5年(1776)、享和3年(1803)、特に文政7年(1824)の流行の時には多くの人々が参詣したという。
宇田川出世弁財天は、道玄坂の人食い松伝説ゆかりの祠。昭和5年(1930)東京市が区画整理のため、道玄坂下の松の大木を切ろうとしたところ、多数の負傷者が出た。法華信者の姉妹に降りたお告げに従い、弁財天と竜神の祠を作り、松とともに神南町に移して祀ったという。その後、松は枯れ、祠は行方不明となっていた。昭和50年(1975)渋谷郷土史研究会の人によって発見され、宇田川弁天講の人々により北谷稲荷神社の境内に遷された。
写真帖
メモ
NHK放送センターや国立代々木競技場にほど近い渋谷区神南に鎮座する。
境内はオフィスビルと一体になっており、平成9年に竣工したというモダンな外観の社殿とともに、伝統的な神社とはまったく違った景観となっている。とはいえ、シンプルな曲線と直線で構成された社殿は、社号額や鈴の緒ともうまく調和し、神社としての本質を継承しているのではないか。こういった形が主流になるのが望ましいとは思わないが、一つの試みとしては成功しているのではないかと思う。
手水盤や石灯籠、社殿前の天水桶などは改築以前のものを用いており、かつての名残をかすかに残している。
参道入り口の鳥居も独特な形状である。額束の正面に円形、背面に半円形の浮き彫りが施してあり、日月鳥居と称するという。
北谷稲荷神社の概要
名称 | 北谷稲荷神社 |
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通称 | 北谷神社 |
旧称 | 稲荷神社 |
御祭神 | 宇迦之霊大神〔うかのみたまのおおかみ〕 〈相殿〉 大己貴大神〔おおなむちのおおかみ〕 大宮比売大神〔おおみやひめのおおかみ〕 神功皇后〔じんぐうこうごう〕 大田大神〔おおたのおおかみ〕 |
鎮座地 | 東京都渋谷区神南一丁目4番1号 |
創建年代 | 不詳 |
社格等 | 旧村社 |
例祭 | 9月28日 |
神事・行事 | 1月1日/歳旦祭 2月28日/祈年祭 6月28日/大祓 11月28日/新嘗祭 12月28日/大祓 12月31日/晦日祭・除夜祭 ※『平成「祭」データ』による |
交通アクセス
□JR山手線・東急・東京メトロ「渋谷駅」より徒歩約10分
□JR山手線「原宿駅」より徒歩約10分
□東京メトロ千代田線「明治神宮前駅」より徒歩約10分