正式名称 | 稲荷神社〔いなりじんじゃ〕 |
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御祭神 | 宇迦之御魂命 須佐之男命 |
社格等 | 旧村社 |
鎮座地 | 東京都足立区足立3-28-13 [Mapion|googlemap] |
公式サイト | https://nishinomiya.tokyo/ |
【由緒概要】
西之宮稲荷神社は天正2年(1574)京都の伏見稲荷より御分霊を勧請したことに始まる。江戸時代後期、弥五郎新田には西の宮・本田の宮・東の宮の稲荷神社3社と氷川神社がった。明治3年(1870)東の宮を合祀、大正元年(1912)すでに氷川神社を合祀していた本田の宮を合祀し、弥五郎新田の総鎮守となった。
西之宮稲荷神社の御朱印
(1)平成19年拝受の御朱印。中央の朱印は「西之宮稲荷神社之印」、上は丸に違い稲の神紋。
(2)平成29年拝受の御朱印。中央の朱印は「西之宮稲荷神社之印」、左下は「西宮」。右下の梅と鶏のスタンプは酉年の正月限定。
西之宮稲荷神社について
名称 | 稲荷神社 |
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通称 | 西之宮稲荷神社 |
旧称 | 西の宮 |
御祭神 | 宇迦之御魂命〔うかのみたまのみこと〕 須佐之男命〔すさのおのみこと〕 |
鎮座地 | 東京都足立区足立三丁目28番13号 |
創建年代 | 天正2年(1574) |
社格等 | 旧村社 |
例祭 | 9月15日 |
神事・行事 | 1月1日/歳旦祭 1月10日/浅間神社大祭(寒山祭・冬山祭) 2月3日/節分祭 2月上午の日/初午祭 2月上旬/八幡神社例祭 4月7日/梵天 4月15日/春季祭 5月25日/奉賽祭 6月30日/大祓式 7月1日/浅間神社大祭(山開き・夏山祭) 11月23日/新嘗祭 12月31日/大祓式 ※『平成「祭」データ』による |
御由緒
西之宮稲荷神社は、社伝によれば天正2年(1574)2月、山城国伏見稲荷より御分霊を勧請したことに始まるという。
当地はもともと河川の氾濫原であったが、慶長から元和の頃(1596~1624)千葉氏の旧臣・京極弥五郎によって開発され、弥五郎新田と名付けられた(現在の足立区足立2・3丁目、日ノ出町、西綾瀬1~4丁目、弘道1・2丁目、青井3・4丁目の各一部)。
江戸時代の後期、弥五郎新田には東の宮・本田の宮・西の宮の稲荷神社3社と氷川神社があったという。
明治の初めまでに氷川神社は本田の宮に合祀され、明治3年(1870)東の宮が西の宮に合祀された。明治5年(1872)には本田の宮が村社に列格した(字本田の村社稲荷神社)。
ところが大正元年(1912)本田の宮(村社稲荷神社)の鎮座していた本田の地が荒川放水路の開削のため河川敷として買収されることとなり、西の宮(字新田の無格社稲荷神社、現在の西之宮稲荷神社)に合祀された。これによって西之宮稲荷神社が弥五郎新田の総鎮守となった。
昭和20年(1945)戦災のため社殿が焼失、氏子崇敬者の寄進により昭和30年(1955)再建された。現在の社殿は平成12年(2000)の造営、神楽殿は平成11年(1999)再建されたものである。
写真帖
メモ
すっきりとした境内に新しい社殿が鎮座する。『東京都神社名鑑』には「西の宮森に鎮まっている」とあるが、今は森はなく、広場のようになっている。社殿を新しくした際に変わったものだろうか。拝殿の脇には浅間神社(富士塚)がある。
参拝時、神楽殿でお囃子を演奏していた。何かあったのかと思ったら、どうもお囃子のメンバーの子供さんが七五三の参拝だったらしく、それを祝うためだったようだ。