正式名称 | 氷川神社〔ひかわじんじゃ〕 |
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通称 | 江北氷川神社〔こうほく ひかわじんじゃ〕 |
御祭神 | 素盞嗚尊 奇稲田姫命 大己貴命 天照大御神 伊邪那美命 淤母陀琉命 |
社格等 | 旧村社 |
鎮座地 | 東京都足立区江北2-43-8 [Mapion|googlemap] |
公式サイト | http://www.hikawajinja.com/ |
【由緒概要】
江北氷川神社は沼田村(上・下沼田)の鎮守で、下沼田氷川神社とも呼ばれた。創建年代は詳らかでない。明治初年に村社に列格し、周辺の神社を兼務。明治22年(1889)に江北村が成立すると、その総鎮守とされた。地域の神社17社を兼務する。
江北氷川神社の御朱印
江北氷川神社の御朱印は、名誉宮司の道歌を見開きに書くというもので、非常に人気が高い。道歌は毎年変わる。
(1)平成18年拝受の御朱印。右頁右下・左頁中央の朱印はどちらも「氷川神社」。道歌は「みどりなす 鎮守の森 詣でしは 願いかなえと 心安らぐ」
(2)平成28年拝受の御朱印。朱印は平成18年のものとほぼ同じだが、右上に「福寿」の印が押されている。道歌は「願はくは 一字にたくす せそうとは安 穏やかな日々 魔去りて 天地安らに」。
江北氷川神社について
名称 | 氷川神社 |
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通称 | 江北氷川神社 下沼田氷川神社 |
御祭神 | 素盞嗚尊〔すさのおのみこと〕 奇稲田姫命〔くしなだひめのみこと〕 大己貴命〔おおなむちのみこと〕 天照大御神〔あまてらすおおみかみ〕 伊邪那美命〔いざなみのみこと〕 淤母陀琉命〔おもだるのみこと〕 |
鎮座地 | 東京都足立区江北二丁目43番8号 |
創建年代 | 不詳 |
社格等 | 旧村社 |
例祭 | 9月17日 |
神事・行事 | 1月1日/歳旦祭 2月3日/節分祭 ※『平成「祭」データ』による |
御由緒
江北氷川神社は、足立区西部(江北地域)の総鎮守で、この地域の17社を兼務する。
創建年代は不詳。荒川流域には大宮の氷川神社を中心として多数の氷川神社が鎮座している。出雲系の武蔵国造が関東に移り住んだ際、荒川を出雲の簸川(現在の斐伊川)に見立て、信仰対象にしたのが氷川信仰の起こりであろうという。その流れの中で、当地の鎮守として奉斎されたものであろうと推測されている。
江戸時代は沼田村(上沼田・下沼田)の鎮守で、別当は隣接する草堂山地福寺(真言宗)であった。元禄12年(1699)年に奉納された手水鉢が現存する。庚申塔を兼ねた珍しいものという。
明治5年(1872)村社に列格。谷在家村の赤城神社、堀ノ内村の氷川神社、宮城村の氷川神社、高野村の胡禄神社などを兼務した。明治22年(1889)鹿浜村・鹿浜新田村・加賀皿沼村・高野村・沼田村・谷在家村・宮城村・小台村・堀ノ内村が合併して江北村が成立すると、その総鎮守となった。
現在の本殿は天保4年(1833)、拝殿は明治8年(1875)に再建されたものとされ、関東大震災・東京大空襲を免れて現在に至る。
貞明皇太后が崩御されたとき、宮中よりゆかりの羽二重が下賜された。これを社号額として保存している。また、境内に奉納された社号幟はこの故事に因むものという。
写真帖
メモ
江北氷川神社の鳥居が見えると、まず目につくのが緑の社号幟である。拝殿には雅楽が流れている。積極的に教化活動に取り組んでいるという印象を受ける神社である。
参拝したときは宮司さん(※現在は名誉宮司)が不在だった。あまり交通の便がいい場所というわけでもないので、朱印帳を預けて、後日郵送していただいた。同封の手紙を読み、御朱印を拝見させていただいて、これは再度参拝して、ぜひ宮司さんにお目にかかりたいものだと思った。(※初回参拝時)
10年経った平成28年、再度の参拝で名誉宮司さんから御朱印を拝受することができた。