日本武尊が東征の途中、この地で休息した。後世、土地の人々が尊を慕って社を建立し、神明宮として祀ったという。建久年間(1190~98)この地の農民・横井兵部が伊勢神宮を参拝し、神告により宮川から霊石を持ち帰り、神明宮に安置して御神体とした。その後、祇海という僧が現社地に遷座したと伝えられる。
正式名称 | 神明宮〔しんめいぐう〕 |
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通称 | 阿佐ヶ谷神明宮〔あさがや しんめいぐう〕 |
御祭神 | 天照大御神 |
社格等 | 旧村社 |
鎮座地 | 東京都杉並区阿佐谷北1-25-5 [Mapion|googlemap] |
公式サイト | http://shinmeiguu.com/ |
御朱印
(1)平成17年拝受の御朱印。上の朱印は菊の神紋、下は隷書で「神明宮印」。
(2)平成22年拝受の御朱印。上の朱印は菊の御紋、下は古印体で「神明宮印」、その右に「八難除」。
(3)平成28年8月拝受の御朱印。朱印は平成22年のものと同じ。「阿佐谷」と墨書するかわりに朱印になっている。
(4)神宮御神宝拝受記念の御朱印、平成28年9月拝受。朱印は隷書の「神明宮印」で、平成21年まで使われていたもの。下は御神宝を運んだ牛車の図。
(5)平成28年拝受、新嘗祭の御朱印。上の朱印は「神明宮印」。右下は金で稲穂と俵、左下に朱で「五穀豊穣」。
摂社の御朱印
(1)摂社・月読社の御朱印、平成28年拝受。朱印は「月読社印」。
(2)摂社・月読社、観月祭の御朱印。平成28年拝受。中央の「月読社印」が黄色になっている。
(3)平成28年観月祭の御朱印に、いただいた挟み紙を重ねた状態。挟み紙にススキを持った兎と月見団子が描かれている。「月読社印」の黄色い印を月に見立てて、兎が月見をしているという趣向になっている。
御由緒
阿佐ヶ谷村の鎮守。旧別当は真言宗の阿谷山世尊院だった。
『江戸名所図会』によれば、日本武尊御東征の砌、この地で休息されたことから、後世、土地の人々が尊の武功を慕い、旧社地・お伊勢の森(現在の阿佐谷北五丁目、区立杉森中学校からお伊勢の森児童遊園の一帯)に社を建立し、神明宮として祀ったという。
建久年間(1190~98)当地の土豪・横井兵部(あるいは横川兵部とも)が伊勢神宮に参詣した。その途中、伊勢の能褒野(日本武尊がお亡くなりになったところ)で大神宮の夢告を受け、宮川から霊石を持ち帰って神明宮に安置した。これが、今も御神体として本殿に祀られている。
明治5年(1872)村社に列格。明治7年(1874)村内字小山の神明社、字本村の北野神社、字東向の日枝神社を合祀した。また、明治になって社号が天祖神社と改められていたが、平成2年(1990)旧に復して神明宮とした。
昭和63年(1988)社殿・神門等を整備、さらに平成21年(2009)境内を再整備した。新たに設けられた祈祷殿には天照大御神の荒御魂と豊受大神を奉斎、また、正殿の東西の御殿には月読尊と須佐之男尊が祀られ、天照大御神とともに三貴子を祀るようになった。
写真帖
メモ
初めて参拝したのは平成17年で、大改修の前だった。当時は阿佐ヶ谷駅の至近にありながら、いかにも鎮守の森らしい憩いの空間であった。再整備後は素木の社殿がすっきりとした印象を与える清浄な神域となっている。
平成28年神宮の御神宝を拝受、阿佐ヶ谷駅から神明宮まで牛車の行列で運ばれた。
阿佐ヶ谷神明宮神社の概要
名称 | 神明宮 |
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通称 | 阿佐ヶ谷神明宮 |
旧称 | 天祖神社 |
御祭神 | 天照大御神〔あまてらすおおみかみ〕 |
鎮座地 | 東京都杉並区阿佐谷北一丁目25番5号 |
創建年代 | 伝・景行天皇44年(114) |
社格等 | 旧村社 |
例祭 | 9月第2日曜日 |
神事・行事 | 1月1日/元旦祭 1月2日/初能 2月17日/祈年祭 3月春分の日/合同祖霊祭 4月29日/春祭 5月/グリーンマーケット 6月28日/夏越大祓 8月/奉納バリダンス 9月秋分の日/合同祖霊祭 旧9月13日/観月祭 10月/グリーンマーケット・ジャズストリート 11月23日/新嘗祭 12月28日/年越大祓 |
交通アクセス
□JR中央線「阿佐ヶ谷駅」より徒歩約2分