浅草名所七福神は、江戸の庶民文化の中心地ともいうべき浅草近辺(台東区・荒川区)を巡る七福神霊場。「浅草名所」は「あさくさなどころ」と読ませる。
■浅草寺:大黒天
■浅草神社:恵比須
■本龍院(待乳山聖天):毘沙門天
■今戸神社:福禄寿
■不動院(橋場不動尊):布袋尊
■石浜神社:寿老神
■吉原神社:弁財天
■鷲神社:寿老人
■矢先稲荷神社:福禄寿
以上の6社3ヶ寺、合計9ヶ所を巡拝する。浅草寺や浅草神社、鷲神社など有名な神社仏閣も多く、人気が高い。
浅草名所七福神について
浅草名所七福神は昭和11年(1937)1月に開創された。
管見の限り、浅草名所七福神に関する資料にこの年代は出てこないのだが(『江戸・東京札所事典』は昭和8年、今戸神社の公式サイトは昭和12年など)、国会図書館デジタルコレクションで調べると、昭和11年(1936)の『集古 丙子第二集』に、第204回例会の出品物として「浅草七福神順拝図 同縁起添、昭和十一年一月開創」があった。また、昭和11年(1936)の『社会教育パンフレット 第240輯』に「中にも七福神詣りは近頃益々盛んであるが、歴史の古いのは墨堤の七福神、新らしいのは品川の東海七福神、麻布の七福神、四谷、牛込に跨る新山七福神等々、いづれも土地繁栄策から新しく勧請されたのであるが、来春新に出現するのに、新浅草名所七福神がある」という一文が「昨年暮の某新聞の記事」として引用されている。よって浅草名所七福神の開創は昭和11年として間違いないだろう。
昭和12年(1937)の『東京の四季 年中行事と近郊の行楽地』東京市設案内所(東京市役所)によれば、当時の札所は以下の9ヶ所だった。
■弁天堂:別格老女弁財天(浅草区浅草公園内弁天山=浅草寺弁天山)
■観音堂:大黒天(浅草公園内=浅草寺)
■浅草神社:恵比須(浅草公園内)
■本龍院:毘沙門天(浅草区聖天町待乳山公園内)
■不動院:布袋(浅草区橋場三丁目)
■石濱神社:寿老人(荒川区南千住三丁目)
■吉原神社:花園弁財天(浅草区吉原公園内)
■矢先神社:福禄寿(浅草区松葉町)
■八幡神社:別座大黒天(浅草区田島町=西浅草八幡神社)
開創当初から9ヶ所だが、当時は弁財天(浅草寺弁天山と吉原神社)と大黒天(浅草寺と西浅草八幡神社)が重複していたことがわかる。
第二次大戦後に中断したが、昭和52年(1977)浅草寺弁天堂と西浅草八幡神社に代わって今戸神社と鷲神社を加えた9ヶ所で再興された。そのため、現在では福禄寿と寿老人が重複している(ただし寿老人については、石浜神社が寿老神、鷲神社が寿老人と表記する)。
「九」という数字について、「九は数のきわみ、一は変じて七、七変じて九と為す。九は鳩でありあつまる意味をもち、また、天地の至数、易では陽を表す」という故事に基づくという。
なお、公式サイト等では江戸時代に隆盛を極め、戦後に中断したとある。前述の通り、実際の浅草名所七福神の開創は昭和11年なのだが、江戸時代の七福神詣では隅田川七福神のように完全に札所が固定している方が例外的で、付近の七福神を祀った寺社から適宜選んで巡拝するのが一般的だった。浅草でも、正法寺の毘沙門天(江戸三大毘沙門天)や宝蔵院の弁財天など古くから知られたものも多かった。江戸時代から浅草寺を含む近辺の寺社で七福神詣でが行われていたことは考えられるだろう。
因みに昭和52年(1977)の『台東区史跡散歩』(学生社)には、「浅草七福神のコースは比較的新しい。関東大震災以後、浅草の復興をはかる意味で、昭和初期、コースが定められたと聞いている。もちろん、江戸時代にも、それに似たコースはあったに違いないが、それほど有名にならなかったのだろう」とある。
巡拝情報
浅草名所七福神では、年間を通して御朱印や授与品の対応をしている。対応時間は下記の通りである。
■元旦:0時~18時
■1月2日~7日:9時~17時
■1月8日以降:9時~16時
御開帳は元旦から1月中旬だが、各寺社によって異なる。ただし浅草神社の恵比寿神は御開帳をしておらず、社務所に写真が飾られる。
巡拝にかかる時間は3時間から4時間だが、御朱印などの待ち時間によって大きく違う場合があるので気をつける必要がある。
廻る順番は決まっていない。各寺社はほぼ円環上になっており、どこから始めても支障はないので、ご自身の都合のよいところから始めるとよいだろう。
浅草寺(大黒天)
■金龍山 浅草寺
御本尊:聖観世音菩薩
札所本尊:大黒天(米櫃大黒天)
創建年代:推古天皇36年(628)
開基:土師真中知・檜前浜成・檜前竹成
宗派:聖観音宗総本山
所在地:東京都台東区浅草2-3-6 [Mapion|googlemap]
公式サイト:http://www.senso-ji.jp/
略縁起
「浅草の観音様」として名高い浅草寺。推古天皇の御代、漁師の檜前浜成・竹成兄弟が隅田川の駒形のあたりで漁をしていると、一寸八分の観音像がかかった。土師真中知が自宅を寺に改め、その尊像を祀ったのが浅草寺の開創と伝えられる。江戸(東京)で最も古い由緒を持つ寺院である。
札所本尊の大黒天は「米びつ大黒天」として信仰を集めている。現在は影向堂に祀られているが、平成19年に巡拝したときは、本堂前の授与所に祀られていた。当時は御朱印を授与所でいただいていたが、これも現在は影向堂に変更されている。
御朱印
平成19年拝受の御朱印。中央の朱印は宝珠に「米櫃大黒天」。右上の印は「浅草名所七福神」、左下は「浅草寺印」。
アクセス
□矢先稲荷神社(福禄寿)より徒歩12分
□浅草神社(恵比須)より徒歩1分
□東京メトロ銀座線・都営浅草線「浅草駅」より徒歩5分
□東武スカイツリーライン「浅草駅」より徒歩5分
□つくばエクスプレス「浅草駅」より徒歩5分
浅草神社(恵比須)
■浅草神社
旧称:三社権現
御祭神:土師真中知命・桧前浜成命・桧前竹成命/相殿:徳川家康・大国主命
札所本尊:恵比須
創建年代:舒明天皇11年(639)
社格等:旧郷社
鎮座地:東京都台東区浅草2-3-1 [Mapion|googlemap]
公式サイト:http://www.asakusajinja.jp/
御由緒
浅草神社は、古くは三社権現と称し、浅草寺の開創に関わった土師真中知、桧前浜成・竹成兄弟を祀る。創建は、社殿では土師真中知没後の舒明天皇11年(639)と伝えられるが、実際には平安時代の末から鎌倉時代の初期であろうと考えられている。以来、明治の神仏分離まで浅草寺の鎮守として繁栄した。また、現在の社殿は慶安2年(1649)に徳川家光が再建したもので、この時、浅草東照宮に祀られていた徳川家康を合祀した。
札所本尊の恵比須神は浅草寺の大黒天と対をなして信仰を集めてきたということだが、正月期間も御開帳はされないようである。また、正月期間の巡拝では、七福神巡りの人のみならず、一般の初詣客も多く、意外に時間がかかるため注意が必要である。
御朱印
平成19年拝受の御朱印。中央の朱印は魚籠と釣り竿に三つ蔓柏の神紋(恵比寿紋)と「恵比須神)。右上の印は「浅草名所七福神」。左下は「浅草神社」で、「艸」は「草」の本字。
アクセス
□浅草寺(大黒天)より徒歩1分
□待乳山聖天(毘沙門天)より徒歩13分
□東京メトロ銀座線・都営浅草線「浅草駅」より徒歩5分
□東武スカイツリーライン「浅草駅」より徒歩5分
□つくばエクスプレス「浅草駅」より徒歩6分
待乳山聖天(毘沙門天)
■待乳山 本龍院
通称:待乳山聖天
御本尊:大聖歓喜天・十一面観世音菩薩
札所本尊:毘沙門天
創建年代:推古天皇3年(595)
開山:-
宗派:聖観音宗
所在地:東京都台東区浅草7-4-1 [Mapion|googlemap]
公式サイト:http://www.matsuchiyama.jp/
略縁起
待乳山聖天は浅草寺の子院で、正式には待乳山本龍院と称する。待乳山は高さ9メートル余りの丘で、元は真土山と書かれた。浅草観音の示現に先立つ推古天皇3年(595)9月20日、一夜のうちに出現し、そこへ金龍が舞い降りたと伝えられる。推古天皇9年(601)この地方が干ばつに襲われた際、十一面観音が大聖歓喜天として降臨し、人々の苦悩を救済したという。江戸時代には衆庶の信仰を集めて繁栄し、堂塔十数棟を数えたというが、関東大震災・東京大空襲で烏有に帰した。現在の境内は戦後の再建によるものである。
札所本尊の毘沙門天は大聖歓喜天の守り神として古くから奉安されてきたもので、正月期間中、本堂内にて御開帳されている。
御朱印
平成19年拝受の御朱印。中央の朱印は毘沙門天を表す宝塔に「毘沙門天」。右上の印は「浅草名所七福神」、左下は「待乳山本龍院」。
アクセス
□浅草神社(恵比須)より徒歩8分
□今戸神社(福禄寿)より徒歩4分
□東武スカイツリーライン「浅草駅」より徒歩9分
□東京メトロ銀座線・都営浅草線「浅草駅」より徒歩10分
■都営バス「隅田公園」「リバーサイドスポーツセンター」下車
今戸神社(福禄寿)
■今戸神社
旧称:今戸八幡
御祭神:応神天皇・伊弉諾尊・伊弉冉尊
札所本尊:福禄寿
創建年代:康平6年(1063)
社格等:旧村社
鎮座地:東京都台東区今戸1-5-22 [Mapion|googlemap]
公式サイト:http://imadojinja1063.crayonsite.net/
御由緒
今戸神社は、康平6年(1063)奥州の安倍氏討伐に向かう源頼義・義家父子が石清水八幡を勧請したことに始まると伝えられる。戦乱によりたびたび社殿が焼失したが、その度に再建されたという。昭和12年(1937)白山神社を合祀し、今戸神社と改称した。今戸焼の招き猫発祥の地として、拝殿には大きな一対の招き猫を飾っている。
札所本尊の福禄寿は、正月期間中、拝殿正面に祀られる。
御朱印
平成19年拝受の御朱印。中央の朱印は鶴と「福禄寿」。左上の印は「浅草名所七福神」、右上は「平成十九年」。左下は福禄寿の御姿と「今戸神社」。
アクセス
□待乳山聖天(毘沙門天)より徒歩4分
□橋場不動尊(布袋尊)より徒歩14分
□東武スカイツリーライン「浅草駅」より徒歩15分
□東京メトロ銀座線・都営浅草線「浅草駅」より徒歩15分
■都営バス「リバーサイドスポーツセンター前」「浅草七丁目」下車
橋場不動尊(布袋尊)
■砂尾山 橋場寺 不動院
通称:橋場不動尊
御本尊:不動明王
札所本尊:布袋尊
創建年代:宝亀4年(773)
開山:寂昇上人
宗派:天台宗
所在地:東京都台東区橋場2-14-19 [Mapion|googlemap]
公式サイト:https://www.fudoin.jp/
略縁起
橋場不動尊は、正式には砂尾山橋場寺不動院と称する。寺伝によれば、良弁僧都が相模国の大山寺に留錫していたとき、不動明王の霊告を受け、一本の霊木から一刀三礼して3体の不動明王像を刻んだ。そのうち1体を大山寺に納め、1体を自らの念持仏として、残る1体を寂昇上人に託した。寂昇上人はこの不動尊像を奉じて上総国へ向かったが、途中、この地で不動明王の夢告を受け、ここが有縁の地であることを悟った。そこで村人に呼びかけて一宇を建立し、尊像に安置したのが橋場不動の草創であるという。
正月期間中、札所本尊の布袋尊は本堂内で御開帳されている。江戸時代の頃から伝わる像で、袋を持たず、腹が袋代わりの形をしている珍しいものとのことである。
御朱印
平成19年拝受の御朱印。中央の朱印は唐扇に「布袋尊」。右上の印は「浅草名所七福神」、左下は「橋場不動尊」。
アクセス
□今戸神社(福禄寿)より徒歩14分
□石浜神社(寿老神)より徒歩5分
□東京メトロ日比谷線「南千住駅」より徒歩16分
□JR常磐線・つくばエクスプレス「南千住駅」より徒歩18分
□東武スカイツリーライン「東向島駅」より徒歩16分
石濱神社(寿老神)
■石浜神社
御祭神:天照大御神・豊受姫神
札所本尊:寿老神
創建年代:神亀元年(724)
社格等:旧郷社
鎮座地:東京都荒川区南千住3-28-58 [Mapion|googlemap]
公式サイト:http://www.ishihamajinja.jp/
御由緒
石浜神社は朝日神明宮とも称され、神亀元年(724)9月11日、聖武天皇の勅願によって創建されたと伝えられる。文治5年(1189)源頼朝は奥州征伐に際して社殿を寄進。弘安の役では、鎌倉幕府の取り次ぎにより官幣を奉られた。千葉氏、宇都宮氏なども篤く崇敬し、また関八州の庶民は伊勢神宮の代わりに参拝し、お祓いを受けたという。
札所本尊の寿老神は玄鹿を従えた木像で、拝殿脇の末社に祀られている。正月期間中は開扉され、御尊像を拝することができる。
御朱印
平成19年拝受の御朱印。中央の朱印は鹿と巻物に「寿老神」。右上の印は「浅草名所七福神」、左下は「石浜社印」。
アクセス
□橋場不動尊(布袋尊)より徒歩5分
□吉原神社(弁財天)より徒歩24分
□東京メトロ日比谷線「南千住駅」より徒歩15分
□JR常磐線・つくばエクスプレス「南千住駅」より徒歩18分
□東武スカイツリーライン「東向島駅」より徒歩16分
吉原神社(弁財天)
■吉原神社
御祭神:倉稲魂命・市杵嶋姫命(弁財天)
札所本尊:弁財天
創建年代:明治5年(1872)合祀
社格等:旧無格社
鎮座地:東京都台東区千束3-20-2 [Mapion|googlemap]
公式サイト:http://yoshiwarajinja.tokyo-jinjacho.or.jp/
御由緒
吉原神社は、吉原遊郭の四隅の守護神として祀られていた明石・開運・榎本・九郎助の四つの稲荷社と、遊郭移転以前から千束村に祀られていた玄徳稲荷を、明治5年(1872)に合祀したことに始まる。関東大震災の後、現在地に遷座した。華やかで悲しい吉原遊郭の歴史を今に偲ぶ神社である。
札所本尊の弁財天は、弁天池(花園池。現在は埋め立てられている)畔に祀られていた吉原弁財天で、関東大震災の後に合祀された。
御朱印
平成19年拝受の御朱印。揮毫は「よしわら弁財天」で、「よし」が蛇になっている。中央の朱印は琵琶と被帛に「弁財天」。右上の印は「浅草名所七福神」、下は「吉原神社」。
アクセス
□石浜神社(寿老神)より徒歩24分
□鷲神社(寿老人)より徒歩3分
□東京メトロ日比谷線「三ノ輪駅」より徒歩15分
鷲神社(寿老人)
■鷲神社
御祭神:天日鷲命・日本武尊
札所本尊:寿老人
創建年代:不詳
社格等:旧村社
鎮座地:東京都台東区千束3-18-7 [Mapion|googlemap]
公式サイト:http://www.otorisama.or.jp/
御由緒
鷲神社は「おとりさま」と呼ばれ、11月に行われる酉の市で名高い。社伝によれば、天日鷲命が諸国を開拓して、この地に祀られるようになった。後に日本武尊が東夷征討に際して戦勝を祈願し、その帰途、社前の松に武具の熊手を懸けて感謝した。その日が11月の酉の日だったことから例祭日と定めたのが「酉の市」の始まりだと伝えられる。
一方、旧別当・長国寺の縁起によれば、日蓮聖人が上総国鷲巣(法華宗本門流大本山・鷲山寺の地、千葉県茂原市)の小早川家で感得した鷲妙見大菩薩を長国寺に勧請し、鷲大明神と称したことに始まるとされる。明治の神仏分離で独立し、鷲神社と称するようになったという。
鷲神社の寿老人は、長寿の福徳を記した巻物をつけた杖を持つ木像で、昭和52年に浅草名所七福神が再興された時に加わった。
御朱印
平成19年拝受の御朱印。中央の朱印は鹿に「寿老人」。右上の印は「浅草名所七福神」、左下は「浅草田甫 鷲神社」。
アクセス
□吉原神社(弁財天)より徒歩3分
□矢先稲荷神社(福禄寿)より徒歩15分
□東京メトロ日比谷線「入谷駅」より徒歩7分
□つくばエクスプレス「浅草駅」より徒歩8分
矢先稲荷神社(福禄寿)
■矢先稲荷神社
御祭神:宇賀御魂命
札所本尊:福禄寿
創建年代:寛永19年(1642)
旧社格:旧村社
鎮座地:東京都台東区松が谷2-14-1 [Mapion|googlemap]
公式サイト:http://members2.jcom.home.ne.jp/uma490/(※リンク切れ)
御由緒
矢先稲荷神社は、寛永19年(1642)徳川家光は京都の三十三間堂を模して、浅草に三十三間堂を建立、伽藍鎮守として稲荷大明神を勧請したことに始まる。三十三間堂では「通し矢」が行われ、その的先にあったことから矢先稲荷と呼ばれるようになった。元禄11年(1698)三十三間堂は元禄11年の勅額火事で焼失、深川に再建されたが、矢先稲荷は地元町民の要望により、当地に残った。拝殿に日本の馬乗史の天井画があることでも知られる。
札所本尊は鶴を従えた福禄寿。正月期間中は拝殿内で御開帳される。
御朱印
平成19年拝受の御朱印。中央の朱印は、鶴に「福禄寿」。右上は「浅草名所七福神」、左下は「矢先稲荷神社」。
アクセス
□鷲神社(寿老人)より徒歩15分
□浅草寺(大黒天)より徒歩12分
□つくばエクスプレス「浅草駅」より徒歩6分
□東京メトロ銀座線「田原町駅」より徒歩8分
□東京メトロ銀座線「稲荷町駅」より徒歩9分
更新情報
2007.01.27.公開
2017.12.10.改訂、WPへ移行
2017.07.14.改訂