名称 | 五台山 金色院 竹林寺 |
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御本尊 | 文殊菩薩 |
所在地 | 高知県高知市五台山3577 [Mapion|googlemap] |
公式サイト | http://www.chikurinji.com/ |
【本尊真言】
おん あらはしゃ なう
【御詠歌】
南無文殊三世の仏の母ときく 我も子なれば乳こそほしけれ
【略縁起】
寺伝によれば、聖武天皇が中国の五台山に登り、文殊菩薩より教えを受けるという夢を見た。そこで行基菩薩に五台山に似た山を探して寺を建立するよう命じた。諸国を巡った行基菩薩は当地こそそれにふさわしいと報告し、自ら刻んだ文殊菩薩像を本尊として寺を建立した。大同年間(806~10)に弘法大師が再興、その後も領主・藩主の厚い帰依を受けた。
竹林寺の納経(御朱印)
(1)平成元年拝受の納経。揮毫は文殊菩薩の種字「マン」に「文殊大士(※大士は菩薩と同じ意味)」。寺号ではなく山号の「五台山」を記す。中央の宝印は火炎宝珠に梵字の「マン」。右上の朱印は「四国第三十一番」、左下は「竹林密寺」。
(2)平成19年に拝受した納経。揮毫・朱印ともに平成元年のものと同じ。
江戸時代の納経
(1)天保11年(1840)の納経。揮毫は「奉納経」「マン(文殊菩薩の種字)文殊大士」「土州」「五台山」。中央の宝印は火炎宝珠に文殊菩薩の種字「マン」。右上の朱印は「第三十一番」、左下は「竹林密寺」。
(2)天保12年(1841)の納経。揮毫は「奉納」「本尊文殊大士」「土州 五台山」「竹林寺」。朱印は天保11年のものと同じ。
明治時代の納経
(1)明治38年(1905)の納経。揮毫は「奉納」「本尊文殊菩薩」「五台山」。中央の宝印は火炎宝珠に文殊菩薩の種字「マン」。右上の朱印は「第三十一番」、左下は「竹林密寺」。
竹林寺について
山号 | 五台山(ごだいさん) |
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寺号 | 竹林寺(ちくりんじ) |
院号 | 金色院(こんじきいん) |
御本尊 | 文殊菩薩 |
所在地 | 高知県高知市五台山3577番地 |
創建年代 | 神亀元年(724) |
開山 | 行基菩薩 |
宗派等 | 真言宗智山派 |
文化財 | 〈重文〉本堂 書院 木造文殊菩薩及び侍者像 木造阿弥陀如来坐像 木造阿弥陀如来立像 木造大威徳明王像 木造十一面観音立像 木造釈迦如来坐像 木造勢至菩薩立像 木造増長天立像・木造多聞天立像 木造愛染明王坐像 木造千手観音立像 木造薬師如来坐像 木造白衣観音立像 木造馬頭観音立像 木造大日如来坐像 〈名勝〉庭園 〈県有形文化財〉梵鐘 文殊菩薩坐像懸仏 |
覚え書き
五台山竹林寺は高知を代表する名刹である。そもそも高知という地名も、元は「河中山城(こうちやまじょう)」と呼ばれていた高知城を、土佐藩二代藩主・山内忠義が、竹林寺の本尊・文殊菩薩の智慧に因んで「高智山城」と改めたことに由来する。後に山が略され、「智」が「知」と書かれるようになり、城下町の名前も「高知」となったのである。五台山の山号で呼ばれることが多い。
聖武天皇の勅願により、行基菩薩が開創した。寺伝によれば、ある時、聖武天皇が唐の五台山(文殊菩薩の霊場として名高い)に登り、文殊菩薩より三解脱の法門を授かる夢を見た。天皇は行基菩薩にこの夢のことを語り、五台山に似た地に寺を建立するよう命じた。諸国を巡錫した行基菩薩は当地を天皇に推挙して寺院を建立し、自ら刻んだ文殊菩薩を本尊として安置したという。
大同年間(806~10)弘法大師によって再興され、真言密教の道場となった。文保2年(1318)夢窓国師が五台山の西麓に吸江庵を結んで滞在。国の名勝に指定されている竹林寺の庭園は、この時に夢窓国師が作庭したと伝えられている。
その後も領主・藩主の帰依篤く、土佐藩の祈願所にも定められた。随所に山内氏の家紋である「三つ柏」が使われている。
重要文化財の本堂をはじめ、五重塔や大師堂などが立ち並び、夢窓疎石禅師の手になる庭園は国の名称である。日本最古の文殊五尊像とされる御本尊の他、数多くの仏像が重要文化財に指定されている。
竹林寺の奥の院は、五重塔の横から少し奥に入ったところにある船岡堂である。