名称 | 桑多山 明王院 道隆寺 |
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御本尊 | 薬師如来 |
所在地 | 香川県仲多度郡多度津町北鴨1-3-30 [Mapion|googlemap] |
【本尊真言】
おん ころころ せんだり まとうぎ そわか
【御詠歌】
ねがいをば仏道隆に入りはてて 菩提の月を見まくほしさに
【略縁起】
寺伝によれば、和銅5年(712)和気道隆が桑の木で薬師如来を彫り、一堂を建立して安置したことに始まる。大同2年(807)弘法大師は道隆の孫・朝佑の懇請を受け、薬師如来の像を刻んで道隆の薬師像を胎内に納めた。朝佑は大師より受戒して第二世住職となり、先祖伝来の田園財宝を用いて伽藍を整備、祖父の名に因んで道隆寺と名付けたという。
道隆寺の納経(御朱印)
(1)平成元年拝受の納経。揮毫は薬師如来の種字「バイ」に「薬師仏」か。中央の宝印は蓮台上の宝珠に薬師如来の種字「バイ」。右上の印は「第七十七番」、左下は「讃岐国道隆寺」。
(2)平成19年拝受の納経。揮毫は薬師如来の種字「バイ」に「薬師如来」。朱印は平成元年のものと同じ。
江戸時代の納経
(1)天保11年(1840)の納経。揮毫は「奉納経」「本尊薬師如来」「西讃州桑多山」「道隆寺 役者」。中央の宝印は薬師如来の種字「バイ」に宝珠光。右上の印は「四国第七十七番」、左下は「道隆寺役者」。
(2)天保12年(1841)の納経。揮毫は「奉納経」「本尊薬師如来」「讃州桒多山」「道隆寺」。朱印は天保11年のものと同じ。
明治時代の納経
(1)明治38年(1905)の納経。版木押しで「奉納経」「本尊薬師如来」「讃岐国 道隆寺堂司」。中央の宝印は蓮台上の円に薬師如来の種字「バイ」。右上の印は「第七十七番」、左下は「讃岐国道隆寺」。
道隆寺について
山号 | 桑多山(そうたざん) |
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寺号 | 道隆寺(どうりゅうじ) |
院号 | 明王院(みょうおういん) |
御本尊 | 薬師如来 |
所在地 | 香川県仲多度郡多度津町北鴨一丁目3番30号 |
創建年代 | 和銅5年(712) |
開山 | 和気道隆 |
宗派等 | 真言宗醍醐派 大本山 |
文化財 | 〈重文〉絹本著色星曼荼羅図 |
覚え書き
元明天皇の御代(707~15)に和気道隆(金倉寺を建立した和気道善の弟)が開創したという。天平勝宝元年(749)という説もある。
伝承によれば、当時、この辺りは桑畑であった。ある時、桑の大木から怪しい光が発していた。和気道隆が弓で射たところ、悲鳴が上がり、乳母が死んでいた。悲しんだ道隆はその桑の木で薬師像を刻み、堂を建てて安置したという。
大同2年(807)唐より帰朝した弘法大師は道隆の孫・朝佑の懇請を受け、薬師如来の像を造立し、その胎内に道隆の薬師像を納めた。朝佑は弘法大師より授戒し、第二世住職となった。そして先祖伝来の田園財宝を投じて伽藍を整え、祖父の名に因んで道隆寺と名付けた。
その後、法光大師(弘法大師の弟の真雅僧正)、智証大師、理源大師が止住し、大いに栄えたという。地震や兵火により寺運は衰退するが、歴代住職の尽力によって再建され、四十九代智隆大僧正の時に醍醐派の大本山となった。