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西浅草八幡神社 | 東京都台東区

西浅草八幡神社

西浅草の八幡神社は、浄土宗江戸四ヶ寺の一つである田島山誓願寺(関東大震災の後、府中市紅葉丘に移転)の伽藍鎮守として元禄13年(1700)に創建されたと伝えられる。明治の神仏分離後は浅草神社の兼務社となり、田島町(現・西浅草二丁目)の氏神として崇敬を受ける。現在の社殿は昭和47年(1972)に再建されたもの。

正式名称 八幡神社〔はちまんじんじゃ〕
御祭神 応神天皇
社格等 旧無格社
鎮座地 御鎮座地の住所  [Mapion|googlemap]
https://goshuin.net/tokyo-jinja/taito-jinja/
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御朱印

西浅草八幡神社の御朱印 none none
(1)    

(1)平成30年拝受の御朱印、書き置きで例大祭期間のみ、数量限定の授与だった。中央の朱印は三つ巴の神紋。右上に「東京浅草」、左下の印は「神籬(ひもろぎ)」。

西浅草八幡神社について

社殿

例大祭時の社頭風景

 

御祭神

■応神天皇

『御府内寺社備考』によれば、田島山誓願寺の鎮守は「八幡弁天稲荷合社」だが、現在の御祭神は八幡神(応神天皇)のみである。

神社の由緒では元禄13年(1700)に誓願寺が宇佐八幡より御分霊を勧請して鎮守としたとするが、『文政寺社書上』には八幡宮・弁財天・稲荷明神は誓願寺が慶長元年(1596)神田白銀町から須田町に移転した際に勧請し、一山の総鎮守としたとある。とすると、明治初めに誓願寺から分離した際、御祭神を応神天皇一柱とし、改めて宇佐神宮より御分霊を勧請したという可能性も考えられるが、資料が乏しく確認できない。

御由緒

天水桶の装飾
天水桶に鋳込まれた「田嶋」の文字

社伝によれば、元禄13年(1300)8月9日、田島山快楽院誓願寺が宇佐八幡より御分霊を勧請し、誓願寺及び田島町の鎮守として創建されたという。

明治の神仏分離により誓願寺から分離し、明治6年(1873)浅草神社の兼務社となった。

昭和20年(1945)3月、空襲により社殿等灰燼に帰したが、地域住民の協力により昭和24年(1949)2月に再建された。さらに昭和47年(1972)5月、現在の鉄筋コンクリート造の社殿が造営された。

補足考察

社伝では元禄13年の創建とするが、『文政寺社書上』によると、誓願寺鎮守の八幡宮・弁財天・稲荷明神は慶長元年(1596)神田白銀町から須田町に移転した際に勧請し、一山の総鎮守としたとある。

誓願寺は浄土宗知恩院末の触頭・江戸四ヶ寺の一つであった。元は相模国小田原にあったが、住職の東誉魯水和尚が徳川家康の命により江戸に移転、文禄元年(1592)神田白銀町に寺地を賜って創建した。慶長元年(1596)神田須田町に移るが明暦の大火で焼失し、浅草北寺町に移転、再興した。寺地は拝領地で1万7千坪余り、浅草を代表する名刹の一つであった。

切絵図

『今戸箕輪浅草絵図』より(国会図書館デジタルコレクション)

徳川家康・秀忠による崇敬のほか、殊に徳川綱吉と生母・桂昌院の帰依を受けた。元禄9年(1696)桂昌院の先祖位牌所となり、朱印地200石を寄進された。さらに元禄16年(1703)に200石を寄進され、合計400石となった。つまり、社伝で創建年代とされる元禄の頃は、誓願寺が将軍家の帰依を得て経済的に豊かになった時代である。

『江戸名所図会』誓願寺

『江戸名所図会』誓願寺・日輪寺(部分)(国会図書館デジタルコレクション)

『江戸名所図会』を見ると、誓願寺境内の東南の一角に鎮守の社がある。

鎮守社

『江戸名所図会』誓願寺・日輪寺(部分)(国会図書館デジタルコレクション)

拡大すると「くまの(熊野)」と書いているのだが、誓願寺の鎮守は八幡弁天稲荷合社で、熊野社はない。つまり、この社が鎮守・八幡弁天稲荷合社だと考えられる。瓦葺きの入母屋造で、かなり立派な社殿である。石の鳥居や狛犬が見え、境内も区画されており、独立の神社並みの規模を持っている。

今のところ資料が見つからないので確認はできないのだが、社伝による元禄13年(1700)の創建は、この社殿が造営されたときのことではないだろうか。

なお、浅草田島町は、明治2年(1869)浅草誓願寺門前(誓願寺境内の南・東・北に立てられた門前長屋)が改称して成立し、明治5年(1872)誓願寺の寺地と、その西の元大番組大縄地を合併した。町名は誓願寺の山号に因んでいる。誓願寺は関東大震災で被災した後、現在の府中市紅葉丘に移転し、塔頭11ヶ寺は練馬区に移転して寺町を形成している。

大黒天像

大黒天神像の写真

西浅草八幡神社には、浅草神社から奉納されたという大黒天の神像が奉安されている。昭和11年(1936)に浅草名所七福神が開創されたとき、西浅草八幡神社は浅草寺とともに大黒天の札所となっていた。その大黒天が戦災をくぐり抜けて今も祀られているようである。なお浅草名所七福神は、昭和52年(1977)の復活に際し、浅草寺弁天堂(老女弁財天)と西浅草八幡神社が外れ、今戸神社(福禄寿)と鷲神社(寿老人)が加入した。

境内風景

西浅草八幡神社

社頭風景。国際通りの一本西側の通りに西面して鎮座する。境内には梅やアジサイなど花の咲く木が多いようだ。

鳥居

鳥居。縣額の文字は「八幡神社」。

社殿

鳥居を潜ると、鮮やかな朱色の社殿が建っている。

狛犬

狛犬

天水桶

青く塗装された天水桶。昭和6年(1931)に奉納されたもので、戦火を免れて今に残っている。

天水桶の装飾

天水桶の縁の装飾は「田嶋」の文字をデザインしたもの。関東大震災の後に田島山誓願寺が移転し、昭和40年(1965)に住居表示が実施されたことで、由緒ある「田島山」「田島町」の名は消滅した。この天水桶に残る「田嶋」の文字は貴重な歴史の生き証人だ。

扁額

拝殿の扁額「八幡神社」。「八」の字が鳩の姿(鳩文字)になっているようだ。

メモ

西浅草八幡神社は国際通りから西に入り、一本目の通りに面して鎮座する。浅草ROXやつくばエクスプレスの浅草駅や歩いてすぐのところである。

祭礼時社頭風景

御朱印拝受は平成30年の例大祭。例大祭中期間中、枚数限定で御朱印を授与するという情報がSNSにあったので参拝した。ただし初日だったので、まだ氏子さんが準備をしている最中だった。

社殿

周囲の町内は浅草神社の氏子だが、西浅草二丁目(旧田島町)のみは八幡神社の氏子で、浅草神社と同日に祭礼が行われるとのこと。普段無人の社殿は幕が張られ、高張り提灯が掲げられていた。

曳太鼓

境内には子ども神輿と曳太鼓。

神輿の準備風景

神社の隣の駐車場では神輿の準備が行われていた。

西浅草八幡神社の概要

名称 八幡神社
通称 西浅草八幡神社
旧称 八幡弁天稲荷合社
御祭神 応神天皇〔おうじんてんのう〕
鎮座地 東京都台東区西浅草2丁目14番5号
創建年代 元禄13年(1700)
社格等 旧無格社
例祭 5月第3土・日曜日

交通アクセス

□東京メトロ銀座線「田原町駅」より徒歩約5分。
□つくばエクスプレス「浅草駅」より徒歩約1分。
□東京メトロ銀座線・都営浅草線・東武スカイツリーライン「浅草駅」より徒歩約10分。

https://goshuin.net/tokyo-jinja/

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