平河天満宮は文明10年(1478)太田道灌が川越の三芳野天神を勧請し、江戸城内に祀ったことに始まる。徳川家康の時代、江戸城拡張工事のため平川門外を経て慶長12年(1607)現在地に遷座した。江戸時代は徳川幕府をはじめ、紀州・尾張・井伊家などの祈願所とされていた。『群書類従』を編纂した塙保己一が深く信仰していたことでも知られている。
正式名称 | 平河天満宮〔ひらかわてんまんぐう〕 |
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御祭神 | 菅原朝臣道真公 〈相殿〉誉田別命 徳川家康公 |
社格等 | 旧村社 |
鎮座地 | 東京都千代田区平河町1-7-5 [Mapion | googlemap] |
公式サイト | http://hirakawatenjin.or.jp/ |
御朱印
(1)平成17年拝受の御朱印。中央の朱印は「平河天満宮」だが、鏡文字になった珍しいもの。
(2)平成24年拝受の御朱印。中央の印は平成17年のものと同じ書体で「平河天満宮」だが、鏡文字ではなくなっている。左下の印は「平河天満宮社務所印」。梅鉢の神紋と梅花のスタンプを配する。
(3)平成28年拝受の御朱印。基本的に平成24年の御朱印と同じだが、梅花の代わりに菅公人形のスタンプを配す。
摂末社の御朱印
(4)末社・平河稲荷神社の御朱印。中央の朱印は「平河稲荷神社」。左上に抱き稲の神紋、下に神狐。午の日のみの授与。
御由緒
平河天満宮は、文明10年(1478)太田道潅が菅原道真公の霊夢を見たことに感銘を受け、河越(川越)の三芳野天神を勧請し、江戸城(平河城)内に祀ったことを創祀とする(現在の皇居平川門内)。その周囲に梅をたくさん植えたので、ここを梅林坂と呼ぶようになった。
徳川家康が江戸に入った後、江戸城拡張のために平川門外に遷座。慶長12年(1607)本丸の拡張にともなって半蔵門外の現在地に鎮座することになった。もと平川口にあったので平川天神と称し、周辺の地名も当社に因んで平河町とされた。
江戸時代には広大な境内を有し、幕府をはじめ紀州徳川家・尾張徳川家・井伊家などの祈願所となった。別当は寛永寺末の長松山龍眼寺であった。
明治5年(1872)平河神社と改称、昭和48年(1973)平河天満宮の旧称に復した。
『群書類従』を編纂した盲目の国学者・塙保己一が深く崇敬したことでも知られている。
写真帖
メモ
初めて参拝・御朱印をいただいたのは、偶然、例大祭の日であった。この時いただいた御朱印は、文字が左右反対の鏡文字という珍しいものだった。その後、普通の印に変わったようである。
平河天満宮の概要
名称 | 平河天満宮 |
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通称 | 平河天神 |
旧称 | 平川天神 平川(平河)天満宮 平河神社 |
御祭神 | 菅原朝臣道真公〔すがわらのあそん みちざねこう〕 〈相殿〉 誉田別命〔ほんだわけのみこと〕 徳川家康公〔とくがわいえやすこう〕 |
鎮座地 | 東京都千代田区平河町一丁目7-5 |
創建年代 | 文明10年(1478) |
社格等 | 旧村社 |
例祭 | 4月25日 |
神事・行事 | 1月1日/歳旦祭 1月25日/初天神 3月/梅花祭 6月30日/大祓式 7月7日/七夕祭 8月/夏祭 10月/平河稲荷神社例祭 12月13日/大祓式・除夜祭 |
交通アクセス
□半蔵門駅(半蔵門線)より徒歩1分
□麹町駅(有楽町線)より徒歩3分
□四ッ谷駅(JR・丸ノ内線・南北線)より徒歩10分