井草八幡宮

井草八幡宮

社伝によれば元は春日社であったという。文治2年(1186)源頼朝が奥州の藤原泰衡の討伐に向かう途中、ここに立ち寄って戦勝祈願をした。それ以来、八幡大神を奉斎するようになった。武門の崇敬が篤く、太田道灌は豊島氏と戦うに当たって戦勝を祈願。徳川家光は朱印地6石余を寄進した。

正式名称 井草八幡宮〔いぐさはちまんぐう〕
御祭神 八幡大神
社格等 旧郷社 別表神社
鎮座地 東京都杉並区善福寺1-33-1 [Mapion|googlemap]
アクセス 上石神井駅(西武新宿線)より徒歩20分、またはバス
・西荻窪駅行き「桃井第四小学校」下車徒歩2分
西荻窪駅(JR中央線)より徒歩20分、またはバス
・大泉学園駅南口行き「桃井第四小学校」下車徒歩2分
荻窪駅(JR中央線)よりバス
・北裏・武蔵関駅・南善福寺・青梅街道営業所行き「井草八幡宮」下車徒歩1分
公式サイト http://www.igusahachimangu.jp/
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井草八幡宮の御由緒

上井草村及び下井草村の鎮守。かつてはこの附近の古地名から遅野井八幡宮とも呼ばれた。

社伝によれば、創建時は春日社であったという。文治2年(1186)源頼朝が藤原泰衡征討のために奥州へ下向する途中、当地に宿陣して戦勝を祈願した。

この時、将兵の飲み水を求め、頼朝自身も弓筈で各所を掘ったが水のでが遅く、弁財天に祈願してようやく水を得た。これによって当地を遅野井と呼ぶようになったという。

奥州から凱旋後の建久4年(1193)頼朝は社殿を建立して八幡大神を勧請・合祀し、後年、春日社は末社として祀られるようになった。

この時、頼朝が奉賽として社殿の前に植えた雌雄2本の松があったが、雌松(赤松)は明治初年に枯死した。雄松(黒松)は都の天然記念物に指定されていたが、昭和47年(1972)の強風で大松が折れ、翌年に枯れてしまった。現在は衝立として廻廊に保管されており、元の場所には二代目の松が植えられている。

武将の崇敬が篤く、太田道灌は石神井城に拠る豊島氏と戦うに当たって戦勝を祈願したと伝えられる。

寛永年間(1624~45)井上正利により社殿造営。慶安2年(1649)徳川家光より御朱印領を寄進された。

正保2年(1645)以降、上井草・下井草両村を領した奥高家・今川家は深く当社を崇敬し、毎年の例祭には幣帛を奉納した。寛文4年(1664)今川氏堯の寄進により本殿を造営。杉並区最古の木造建築で、現在も覆殿内部に納められている。。

明治5年(1872)村社に列格。大正15年(1926)社殿を改築し、昭和3年(1928)御大典を機に郷社に昇格した。昭和41年(1966)には神社本庁の別表神社に加列された。

井草八幡宮の御朱印

  • 井草八幡宮の御朱印

平成17年拝受の御朱印。中央の朱印は「井草八幡宮」。

写真帖

  • 大鳥居

    東参道の大鳥居

  • 大燈籠

    北参道の大燈籠

  • 楼門

    楼門

  • 神楽殿

    神楽殿

  • 境内社

    境内社

  • お手植えの松

    頼朝公お手植えの松(二代目)

  • 頼朝公お手植えの松の衝立

    頼朝公お手植えの松の衝立

  • 神門

    神門

  • 拝殿

    拝殿

メモ

旧郷社ではあるが、境内・社殿の景観は旧官国幣社に劣らない。由緒書きにも「明治以降も氏子崇敬者によって社殿の改修、境内の整備が行われ云々」とあるように、地域の人々の篤い崇敬の念を感じさせる神社である。

井草八幡宮の概要

名称 井草八幡宮
旧称 八幡神社 遅乃井(遅野井)八幡宮
御祭神 八幡大神〔やはたのおおかみ〕(応神天皇)
鎮座地 東京都杉並区善福寺一丁目33番1号
創建年代 不詳
社格等 旧郷社 別表神社
例祭 10月1日
※3年に一度、神幸祭。5年に一度、流鏑馬神事。
神事・行事 1月1日/歳旦祭
1月15日頃/御太鼓打初め式
2月3日/節分祭
2月11日/紀元祭
3月1日/祈年祭
5月1日/招神殿御霊祭
5月3日/太鼓祭
5月15日/人形感謝祭
6月30日/大祓式(夏越)
11月23日/人形感謝祭
12月1日/新嘗祭
12月31日/大祓式(年越)・除夜祭

※掲載の情報は最新のものとは限りません。ご自身で確認をお願いします。

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