今戸神社は、康平6年(1063)源頼義・義家父子が奥州に下向する際、今之津(今戸)の地に石清水八幡宮の御分霊を勧請したことに始まると伝えられる。昭和12年(1937)白山神社を合祀し、今戸神社と改称した。
正式名称 | 今戸神社〔いまどじんじゃ〕 |
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御祭神 | 応神天皇 〈合祀〉伊弉諾尊 伊弉冉尊 福禄寿 |
社格等 | 旧村社 |
鎮座地 | 東京都台東区今戸1-5-22 [Mapion|googlemap] |
公式サイト | http://members2.jcom.home.ne.jp/imadojinja/ |
御朱印
(1)平成17年拝受の御朱印。中央の朱印は「今戸神社」。右下にペアの招き猫と「招き猫発祥の地」、左上に「平成十七年」。
(2)平成21年拝受の御朱印。ほぼ平成十七年のものと同じで、左下に福禄寿のスタンプと「今戸神社」。
(3)浅草名所七福神、福禄寿の御朱印。平成19年拝受。
御由緒
古くは今戸八幡宮と称した。康平6年(1063)安倍氏征伐のために奥州へ赴く源頼義・義家父子が、今之津(今戸)の地に石清水八幡を勧請したのが創祀という。永保元年(1081)源義家が陸奥守兼鎮守府将軍として奥州に下向する際にも、今之津八幡(今戸八幡)に参拝したと伝えられる。
当地は軍事上の要地のため、戦乱に巻き込まれて社殿烏有に帰すこと度々であったが、その度に再建された。寛永13年(1636)には徳川家光の命により、江戸城改築で不要となった官材を下賜され、舟越伊予守と八木但馬守によって社殿が造営された。
大正12年(1923)関東大震災で社殿が焼失するが、間もなく復興。昭和12年(1937)には亀岡町(現・今戸)の村社・白山神社を合祀、今戸神社と改称した。
さらに昭和15年(1940)総檜造の荘厳な社殿に改築されたが、20年(1945)東京大空襲により、またも灰燼に帰す。現在の社殿は昭和46年(1971)に造営されたものである。
当地は今戸焼きで知られ、今戸神社は招き猫発祥の地としても知られる。拝殿には大きなペアの招き猫が飾られている。また、伊弉諾尊・伊弉冉尊を祀ることから縁結びの御神徳でも信仰を集める。
資料
浅草区誌
村社 白山神社
亀岡町にあり。旧時白山権現と称し、伊弉諾尊・伊弉冉尊を祀る。嘉永元年九月の創立に係るといふ。祭日は九月十九日。明治五年村社に列せらる。
村社 今戸八幡神社
今戸町にあり。社伝に康平六年○後冷泉天皇御宇源頼義の創立といふ。後に掲げたる碑文に永承六年とあり如何にや尚文正元年足利成氏が管領上杉房顕を討ちし時待乳山に陣し火を近辺に放つ。其時当社又退転し、元和年中法印祐海再興すと。応神天皇を祭り、もと八幡山無量寺松林院天台宗之が別当たり。明治五年十二月村社に列せらる。例祭八月十五日。境内千八百六十八坪区内の大社たり。社前に亀井鵬斎撰文の今戸八幡廟碑あり。(後略)
写真帖
メモ
早くから新しい神社のイメージ作りに取り組んできた神社の一つ。初めて参拝した頃には、すでにユニークな神社として徐々に知られるようになっていた。それでも当時は沖田総司終焉の地としての知名度のほうが高かったように思うが、今ではすっかり招き猫と縁結びの人気スポットとして定着している。
今戸神社の概要
名称 | 今戸神社 |
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旧称 | 八幡宮 今之津八幡 八幡神社 今戸八幡神社 |
御祭神 | 応神天皇〔おうじんてんのう〕 〈合祀〉 伊弉諾尊〔いざなぎのみこと〕 伊弉冉尊〔いざなみのみこと〕 福禄寿〔ふくろくじゅ〕 |
鎮座地 | 東京都台東区今戸一丁目5番22号 |
創建年代 | 康平6年(1063) |
社格等 | 旧村社 |
例祭 | 6月第1土・日曜日 |
神事・行事 | 1月1日/歳旦祭 1月15日/成人祭 2月3(4)日/節分祭 2月11日/紀元祭 2月17日/祈年祭 6月30日/大祓式 11月23日/新嘗祭 12月31日/大祓式・古神札焼納式・除夜祭 |
巡拝 | 浅草名所七福神(福禄寿) 東京下町八社福参り |
交通アクセス
□東京メトロ銀座線・都営浅草線「浅草駅」より徒歩約15分、またはバス
■都営バス東42-3系統南千住行き「リバーサイドスポーツセンター前」下車徒歩1分
■都営バス東42-1・東42-2系統南千住行き「浅草七丁目」下車徒歩5分