音羽の今宮神社は、今宮五社と通称される。元禄10年(1697)桂昌院(5代将軍綱吉の生母)の発願により、京都紫野の今宮神社の御分霊を護国寺境内に勧請したことに始まる。明治6年(1873)田中八幡(氷川神社と合祀して小日向神社となる)のあった現社地に遷座した。
正式名称 | 今宮神社〔いまみやじんじゃ〕 |
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通称 | 今宮五社〔いまみやごしゃ〕 |
御祭神 | 天照大御神 素盞嗚尊 伊弉冉尊 誉田別尊 天児屋根命 大国主命 事代主命 速玉大神 少毘古那命 大宮比売命 猿田彦命 |
社格等 | 旧村社 |
鎮座地 | 東京都文京区音羽1-4-4 [Mapion|googlemap] |
御朱印
(1)平成17年に拝受した御朱印。中央の朱印は「五社今宮」。
御由緒
御祭神
■天照大御神(天照皇太神宮)
■素盞嗚尊(今宮大明神・熊野三所権現)
■伊弉冉尊(熊野三所権現)
■誉田別尊(八幡大神)
■天児屋根命(春日大明神)
■大国主命(今宮大明神)
■事代主命(今宮大明神)
■速玉大神(熊野三所権現)
■少毘古那命
■大宮比売命
■猿田彦命
以上、十一柱を祭る。
『江戸名所図会』には、「天照太神宮、八幡大神、春日大明神、今宮大明神、三部大権現(熊野三所権現のことか?)五社を祭る」とある。
御由緒
今宮神社は、元禄10年(1697)桂昌院(五代将軍徳川綱吉の生母)の発願により、護国寺建立に際して京都紫野の今宮神社から御分霊を勧請したことを創祀とする。桂昌院は西陣の出身で産土神である今宮神社への崇敬の念が篤く、社殿の再興や祭礼の整備なども行っている。
旧称は五社今宮大明神で、今宮五社と通称されるが、五社とは天照大神宮・八幡大神・春日大明神・今宮大明神・熊野三所権現である。護国寺の伽藍鎮守であるとともに、近辺の桜木町・青柳町・音羽町(現在の文京区音羽一・二丁目と大塚二丁目の一部)の鎮守であった。
『江戸名所図会』の護国寺の挿絵を見ると、本堂のすぐそばに今宮の社殿と鳥居がある。鳥居は三ツ鳥居(三輪鳥居)のようである。
明治初めの神仏分離により、明治6年(1873)田中八幡(明治2年に氷川神社と合祀して小日向神社となった)が鎮座していた音羽九丁目(現・音羽一丁目)の現社地に遷座した。明治5年(1972)村社に列格。
明治12年(1879)コレラ伝染除けの祭典が行われ、京都の今宮神社と同じく病気平癒の霊験があったという。
昭和20年(1945)の東京大空襲で、手水舎以外の建物を焼失。昭和25年(1950)に社殿・社務所を再建した。
末社の天日鷲神社は明治9年(1876)阿波の忌部神社から勧請されたもので、11月の酉の日には酉の市が行われ、商売繁盛の熊手を授与する。
写真帖
メモ
目白通りと高台の間のこぢんまりとした境内に鎮座する。拝殿の扁額は鳩山一郎元首相の書。音羽御殿と称される鳩山会館(元鳩山邸)がすぐ近くにあり、たぶん当社が氏神になると思われる。
今宮神社の概要
名称 | 今宮神社 |
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通称 | 今宮五社 |
旧称 | 五社今宮大明神 |
御祭神 | 天照大御神〔あまてらすおおみかみ〕 素盞嗚尊〔すさのおのみこと〕 伊弉冉尊〔いざなみのみこと〕 誉田別尊〔ほんだわけのみこと〕 天児屋根命〔あめのこやねのみこと〕 大国主命〔おおくにぬしのみこと〕 事代主命〔ことしろぬしのみこと〕 速玉大神〔はやたまのおおかみ〕 少毘古那命〔すくなひこなのみこと〕 大宮比売命〔おおみやひめのみこと〕 猿田彦命〔さるたひこのみこと〕 |
鎮座地 | 東京都文京区音羽一丁目4番4号 |
創建年代 | 元禄10年(1697) |
社格等 | 旧村社 |
例祭 | 9月第1度・日曜日 |
神事・行事 | 1月1日/歳旦祭 1月7日/新年祭 2月第1土曜日/節分祭 5月7日/中祭 6月30日/大祓 11月酉の日/天日鷲神社例祭 12月31日/大祓 ※『平成「祭」データ』による |
交通アクセス
□東京メトロ有楽町線「江戸川橋」より徒歩5分