今宮神社(紫野)

今宮神社本殿

今宮神社は、長保3年(1001)天下に疫病が流行したため、船岡山の北の紫野に社殿三宇を造営、平安遷都以前から当地に祀られていた疫神とともに三柱の神を祀り、盛大に御霊会を行ったことを創祀とする。徳川綱吉の生母・桂昌院(お玉の方)は西陣の八百屋の娘に産まれながら将軍の母となったことから「玉の輿」の由来といわれるが、産土神である当社を深く崇敬し、社殿の造営や祭礼の復興に尽力した。その縁から「玉の輿神社」の通称があり、良縁開運を願う人々の参詣が多い。
京都府の神社

正式名称 今宮神社〔いまみやじんじゃ〕
御祭神 大己貴命 事代主命 奇稲田姫命
社格等 旧府社
鎮座地 京都市北区紫野今宮町21 [Mapion|googlemap]
公式サイト http://www.imamiyajinja.org/
全国各地の神社の御朱印、由緒、アクセスなどの紹介
スポンサーリンク
サイト内検索
広告レクタングル(大)




御朱印

  • 今宮神社の御朱印

    (1)

(1)平成20年拝受の御朱印。中央の朱印は「紫野 今宮」、その上は桜花に「鎮花」。

  • 今宮神社の御朱印

    (2)

  • 今宮神社の御朱印

    (3)

(2)(3)オリジナル御朱印帳を拝受するといただける5面見開きの「やすらい祭」の御朱印。2頁目の朱印は「今宮神社」。4頁目はやすらい祭の花傘、5頁目は社号のみの御朱印と同じ「紫野 今宮」と「鎮花」の朱印。1・2頁の和歌は「白妙のとよみてぐらをとりもちて いはひぞ初むる紫の野に」。長保3年(1001)今宮神社御創祀の砌、勅使の藤原長能が詠進した和歌2首のうちの一つ。

昔の御朱印

大正・昭和の御朱印

  • 今宮神社の御朱印

    (1)

  • 今宮神社の御朱印

    (2)

  • 今宮神社の御朱印

    (3)

(1)大正8年の御朱印。中央の朱印は「紫埜(野)今宮神社」。この印は、上記5面見開きの御朱印にはさまれた和歌の解説に押されていた。左下は桜花に「鎮花」。

(2)時期不詳、昭和初期のものと思われる御朱印。中央の朱印は「紫野 今宮」で、現在用いられているものとほぼ同じ。左下は「社務所」。

(3)時期不詳の御朱印だが、当時の御朱印の傾向から考えて(2)より新しいのではないかと思われる。朱印は「今宮神社」で、やすらい祭5面見開きの御朱印の2頁目に押されている朱印とほぼ同じ。

明治の御朱印

  • 今宮神社明治の御朱印

    (1)

(1)明治16年の御朱印。中央の朱印は判読しづらいが九畳篆で「紫埜今宮」のようである。左下の印は判読できない。

御由緒

今宮神社楼門

御祭神

御本社
■中御座:大己貴命
■東御座:事代主命
■西御座:奇稲田姫命

御神徳は健康長寿・良縁開運。

疫社
■素盞嗚命

御神徳は厄除け・健康長寿。

御由緒

都名所図会今宮社

『都名所図会』今宮社(国会図書館デジタルコレクション)

今宮神社は船岡山の北の紫野に鎮座する。社伝によれば、この地には平安遷都以前から疫神を祀る社があったという。

遷都の後、平安京は都市として繁栄を極めたが、その一方でさまざまな災厄や疫病にも悩まされるようになった。これを鎮めるために神泉苑や御霊社、祇園社などで盛んに御霊会が行われたが、船岡山一帯で行われた紫野御霊会もその一つであった。

正暦5年(994)6月、国中に疫病が蔓延したため、朝廷は木工寮修理職に命じて当地の疫神のために2基の神輿を造り、船岡山に安置して御霊会を行った。これが紫野御霊会で、現在の今宮祭の起こりという。

長保3年(1001)5月9日、再び疫病が流行したため、朝廷は霊夢によって疫神を再び紫野に遷し祀るとともに、神殿を造営して3柱の神を祀って「今宮」と号し、盛大に御霊会を行った。これが当社の創祀とされる。今宮の名は、同じ疫神である東山の祇園社(八坂神社)に対する今の宮(新しい宮)であることによる。

以来、朝廷から庶民まで篤い崇敬を受け、5月9日の御霊会は今宮社御霊会あるいは紫野御霊会として官祭とされた。

紫野御霊会では、綾傘に風流を施し、囃子に合わせて歌い踊る夜須礼(やすらい)という風流が行われた。あまりに風流を凝らし、行装が華美であるとして久寿元年(1154)勅命により禁止されたが、鎌倉時代初めの承元4年(1210)に復活、旧暦3月10日の鎮花祭(やすらい祭)として定着した。

弘安7年(1284)正一位に極位する。室町時代には今宮の名から将軍家若君の守護神とされ、特別の崇敬を受けたという。足利義晴が社殿を修復。豊臣秀吉は今宮神社が聚楽第の産土神であったことから、秀頼誕生に際して御旅所を再興、御幸道を整備し、神輿を寄進した。江戸幕府からは朱印地50石が寄せられ、また例祭日には京都所司代より祭祀料として米5石の寄進があったという。

紫野の産土神であり、さらに京の市街が拡大する中で、西陣を中心とする地域が今宮神社の氏子となった。徳川綱吉の生母・桂昌院は西陣の生まれで、特に今宮神社への崇敬篤く、元禄7年(1694)社殿を造営するとともに、神輿・御鉾などを寄進、祭事の整備ややすらい祭の再興などに尽力した。

明治初年、郷社に列し、明治14年(1881)府社に昇格した。明治29年(1896)社殿を焼失したが、明治35年(1902)に再建。大正15年(1926)には楼門が造営された。

平成29年(2017)本殿・拝殿・若宮社など主要な建築物、及び御旅所の権殿・神輿奉安殿・能舞台・鏡の間などが国の登録文化財となった。

玉の輿神社

今宮神社桂昌院のレリーフ

桂昌院のレリーフ

貧しい、あるいは身分の低い女性が婚姻によって富貴な身分を得ることを「玉の輿に乗る」というが、その語源について「お玉の方」と呼ばれた徳川綱吉の生母・桂昌院に由来するという説がある。

桂昌院は寛永5年(1628)西陣の八百屋・仁左衛門の二女として生まれた。実父が亡くなった後、母は娘二人を伴って二条家の家司・本庄宗正のもとに賄い奉公に上がり、お手つきとなって後の本庄宗資を生んだ。娘二人は宗正の養女となり、お玉(桂昌院)は徳川家光の側室・お万の方の縁故により江戸城本丸奥勤となった。春日局の部屋子となり、家光の寵を受けて正保3年(1646)徳松(後の徳川綱吉)を生んだ。

家光の没後、剃髪して桂昌院と名乗る。綱吉が将軍に就任すると江戸城の三の丸に入り、綱吉の篤い孝養を受けた。元禄15年(1702)女性の最高位である従一位に上り、弟の本庄宗資をはじめ一族も幕臣として栄進した。

桂昌院は終生深く神仏を敬ったが、特に郷里・西陣の産土神である今宮神社を深く崇敬した。荒れていた社殿の造営や途絶えていたやすらい祭の再興、今宮祭のための牛車・鉾などの寄進や御幸道の改修、氏子区域の拡充などに努めたため、往時に優るほどの賑わいを取り戻した。また、江戸・音羽の護国寺境内に今宮神社の御分霊を勧請し、毎年今宮祭を執り行った(東京都文京区の今宮神社)。

今宮神社はこのような桂昌院との関わりから一名「玉の輿神社」とも呼ばれ、開運良縁の御利益で人気を集めている。

主な摂末社

今宮神社疫社

疫社

疫社(えやみしゃ)
御祭神は素盞嗚命。平安遷都以前から紫野に鎮座していたと伝えられる。正暦5年(994)紫野の疫神のために神輿を造り、船岡山でお祀りしたのが紫野御霊会の始まりである。長保3年(1001)霊夢により再び当地に遷座した。

若宮社
賀茂斎院ゆかりの社。紫野斎院の伝承地で、賀茂社に仕える未婚の皇女・賀茂斎院を祀る。

織姫神社
御祭神は織物の祖神とされる栲幡千千姫命。西陣の機業者によって祀られた。

八社
大国社・蛭子社・八幡社・熱田社・住吉社・香取社・鏡作社・諏訪社を祀る。

紫野大将軍社
御祭神は牛頭天王と八大王子で、素盞嗚尊と五男三女神と同一とされる。
平安京が建設された時、その鎮護として東西南北に方位神の大将軍を祀る大将軍社を建立した。当社はその内の北の大将軍社とされる(ただし西賀茂の大将軍神社とする説もある)。江戸時代以前は大徳寺門前にあったが、その後、今宮神社境内に遷されたという。

日吉社
御祭神は大山咋神と大物主神。かつて上野村に祀られていた上ノ御前・下ノ御前を明治初年に合祀した。やすらい祭の際にはここでも踊る。

織田稲荷社
織田信長を祀る。墓所である阿弥陀寺の移転元・西陣元伊佐町に鎮座していたが、昭和62年(1987)今宮神社境内に遷座した。

地主稲荷神社
御祭神は倉稲魂大神・猿田彦大神。今宮神社の地を守護する地主神として祀られている。

阿呆賢(あほかしさん)
古くから「神占石」といわれ、病の人は心を込めて病気平癒を祈り、手で軽く石を撫でて体の悪いところを摩ると、健康の回復が早くなると伝えられる。また「重軽石」ともいわれ、まず軽く手のひらで3度石を打って持ち上げると非常に重くなる。再度願い事を込め、手のひらで3度撫でて持ち上げる。軽くなれば願い事が叶うと言い伝えられている。

やすらい祭

都名所図会やすらい祭

『都名所図会』やすらい祭(国会図書館デジタルコレクション)

毎年4月に行われる「やすらい祭」は、鞍馬の火祭・太秦の牛祭とともに京都の三大奇祭に数えられ、国の重要無形民俗文化財に指定されている。

平安時代、紫野御霊会では綾傘の上に風流の花をさし、囃子に合わせて踊る「夜須礼(やすらい)」が行われた。あまりに行装が華美になったため久寿元年(1154)に禁止されたが、鎌倉時代初期の承元4年に復活、以後、3月10日の鎮花祭として定着した。応仁の乱で中絶するが、元禄7年(1694)桂昌院により再興された。

花が四散する季節は、悪疫や御霊も花の精にあおられて陽気の中で悪戯をして廻るという。それを囃子や歌舞によって花傘に惹き寄せ、今宮神社の疫社に鎮めて一年間の無病息災を祈る。また、花傘の下に入ると、その年は病気をせずに過ごせると伝えられる。

今宮祭

5月に行われる「今宮祭」は、平安時代の紫野御霊会の伝統を今に伝える祭である。往時は官祭として営まれていた。しかし、久寿元年(1154)付随する風流の「夜須礼(やすらい)」があまりに華美になったため勅命で禁止され、それとともに御霊会自体も衰微してしまったという。

それから100年ほどして再興され、室町時代を通じて営まれたようだ。応仁の乱や戦国時代の混乱により再び衰退するが、江戸時代に入り、西陣地域の台頭と桂昌院の後援によって往時のような賑わいを取り戻した。以来、町衆による西陣の祭として今日に続いている。

祭礼は5月1日の神輿出しに始まり、5日に神社から御旅所へ渡御する神幸祭、15日(現在は15日に近い日曜日)に御旅所から神社へ戻る還幸祭が行われる。また、御旅所では祭礼期間中に湯立祭が行われる。

写真帖

  • 今宮神社楼門

    楼門

  • 今宮神社神号額

    神号額

  • 今宮神社神馬舎

    神馬舎

  • 今宮神社宗像社

    宗像社

  • 今宮神社地主稲荷社

    地主稲荷社

  • 今宮神社月読社

    月読社

  • 今宮神社稲荷社・織田稲荷社

    紫野稲荷社・織田稲荷社

  • 今宮神社若宮社

    若宮社

  • 今宮神社日吉社

    日吉社

  • 今宮神社大将軍社

    大将軍社

  • 今宮神社八幡社

    八幡社

  • 今宮神社阿呆賢さん

    阿呆賢さん

  • 今宮神社八社

    八社

  • 今宮神社織姫社

    織姫社

  • 今宮神社疫社

    疫社

  • 今宮神社桂昌院のレリーフ

    桂昌院のレリーフ

  • 今宮神社拝殿

    拝殿

  • 今宮神社本殿

    本殿

メモ

大徳寺の北西に鎮座する。端正な印象の本社社殿の周囲に数多くの境内社が並ぶ。社殿などの建築物は江戸時代から明治・大正の再建だが、京成29年秋、近世・近代の景観がよく保たれていることから国の登録文化財となった。

今宮神社といえば、門前のあぶり餅もよく知られている。東門脇にある一文字屋和輔は長保2年(1000)、かざりやは江戸時代初期の創業と伝えられる。

今宮神社の概要

名称 今宮神社
旧称 紫野社 今宮社
御祭神 〈本社〉
中御座:大己貴命〔おおなむちのみこと〕
東御座:事代主命〔ことしろぬしのみこと〕
奇稲田姫命〔くしなだひめのみこと〕
〈疫社〉
素盞嗚命〔すさのおのみこと〕
鎮座地 京都市北区紫野今宮町21番地
創建年代 長保3年(1001)
社格等 旧府社
例祭 10月9日
神事・行事 1月1日/歳旦祭
1月19日/疫神社疫神祭
2月3日/節分祭
2月11日/紀元祭
2月17日/祈年祭
4月第2日曜日/やすらい祭
5月5日~第2もしくは第3日曜日/今宮祭
※5月5日/神幸祭
※祭礼期間中1日/湯立祭
※5月第2もしくは第3日曜日/還幸祭
6月30日/大祓(夏越祓)
7月23日/大将軍社例祭
8月7日/織姫社七夕祭
11月11日/織姫社西陣の日
11月23日/新嘗祭・大将軍社火焚祭
12月第1日曜日/地主稲荷社火焚祭
12月31日/除夜祭
文化財 〈重要文化財〉線刻四面石仏 〈重要無形民俗文化財〉やすらい祭 〈国登録文化財〉本殿 幣殿・拝所・廻廊 疫神社本殿 疫神社渡廊・門・廻廊 神楽殿 本殿築地塀 拝殿 絵馬舎 若宮社本殿 若宮社拝殿 若宮社門・透塀 月読社本殿 月読社拝所・透塀 八社 八幡社 大将軍社本殿・拝所 日吉社 宗像社 祭器庫 神輿庫 手水舎 楼門 楼門東廻廊 楼門西廻廊 東門 東門南北築地塀 御旅所権殿社 御旅所神輿奉安殿 御旅所能舞台 御旅所鏡の間
巡拝 神仏霊場96番

交通アクセス

□市営地下鉄「北大路駅」よりバス
■市バス1・北8・12・M1・204・205・206系統「船岡山」下車徒歩7分
□阪急京都線「烏丸駅」よりバス
■市バス46番上賀茂神社行き「今宮神社前」下車すぐ
□JR・近鉄「京都駅」よりバス
■市バス205・206系統「船岡山」下車徒歩7分
□京阪鴨東線「出町柳駅」よりバス
■市バス1系統「船岡山」下車徒歩7分

旧官幣大社 賀茂別雷神社 通称:上賀茂神社 鎮座地:京都市北区上賀茂本山 賀茂御祖神社 通称:下鴨神社...

※掲載の情報は最新のものとは限りません。ご自身で確認をお願いします。

スポンサーリンク
サイト内検索
広告レクタングル(大)




サイト内検索
広告レクタングル(大)




シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする