名称 | 金光山 最勝院 国分寺 |
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御本尊 | 薬師瑠璃光如来 |
所在地 | 愛媛県今治市国分4-1-33 [Mapion|googlemap] |
【本尊真言】
おん ころころ せんだり まとうぎ そわか
【御詠歌】
守護のため建ててあがむる国分寺 いよいよめぐむ薬師なりけり
【略縁起】
聖武天皇の勅願により全国に建立された国分寺の一つである。寺伝によれば行基菩薩の開基とされる。元は現在地より少し東にあり、現在も塔の礎石が残されている。第3世・智法律師の時に弘法大師が滞在し、五大尊明王の画像を奉納したと伝えられる。兵火のためにたびたび焼失し、その都度再興された。現在の本堂は寛政元年(1789)恵光上人によって再建されたものである。
伊豫国分寺の納経(御朱印)
(1)平成元年拝受の納経。揮毫は薬師如来の種字「バイ」に「薬師如来」。中央の宝印は蓮台上の宝珠に薬師如来の種字「バイ」。右上の印は「四国五拾九番」、左下は「伊豫之國別格本山國分寺印」。
(2)平成18年に拝受した納経。揮毫・朱印ともに平成元年のものと同じ。
江戸時代の納経
(1)天保11年(1840)の納経。版木押しで、「奉納大乗妙典」「本尊薬師如来」「豫州国分寺」。中央に宝印はなし。右上の印は「四国五拾九番」、右下は「伊豫国分密寺」。
(2)天保12年(1841)の納経。揮毫は「奉納経」「本尊薬師如来」「伊豫国 金光山国分寺」。朱印は天保11年のものと同じ。
明治時代の納経
(1)明治38年(1905)の納経。揮毫は「奉納経」「本尊薬師如来」「イヨ(伊豫)国分寺」。中央に宝印はない。右上の印は「四国五十九番」、左下は「伊豫國分密寺」。
伊豫国分寺について
山号 | 金光山(こんこうざん) |
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寺号 | 国分寺(こくぶんじ) |
院号 | 最勝院(さいしょういん) |
通称 | 伊予国分寺 |
御本尊 | 薬師如来 |
所在地 | 愛媛県今治市国分四丁目1番33号 |
創建年代 | 天平13年(741) |
開山 | 行基菩薩 |
宗派等 | 真言律宗 別格本山 |
文化財 | 〈史跡〉伊予国分寺塔跡 〈県有形文化財〉紙本著色柳橋図 国分寺文書 |
覚え書き
天平13年(741)聖武天皇の勅願により諸国に創建された国分寺の一つ。寺伝によれば、行基菩薩が下向して開創したという。『続日本紀』の天平勝宝8年(756)12月20日条に伊予国を含む26ヶ国の国分寺に法具などを下賜したとあることから、その頃には完成していたと考えられている。
元の伽藍は現在地より少し東にあり、境内から東100mほどのところに東塔(七重塔の)礎石が残っている(国の史跡)。全国でも屈指の規模を誇る伽藍であったらしい。
第3世・智法律師のときに弘法大師が滞在し、五大明王の画像を残した。また、真如法親王も当寺で法華経を書写して残したという。
その後、天慶の藤原純友の乱、源平の合戦、南北朝の動乱のために三度焼失したが、そのたびに領主等により再建された。しかし天正12年(1584)伊予に侵入した長宗我部の兵火にかかって炎上して後は、わずかに小庵が残るのみとなった。
現在の本堂は寛政元年(1789)恵光上人によって再建されたものである。境内は往時に比べて遥かに狭くなったとはいえ、堂々たる規模を誇る。近くには南朝の忠臣・脇屋義助(新田義貞の弟)の墓もある。