第20番 霊鷲山 鶴林寺 | 徳島県勝浦郡勝浦町

20番鶴林寺

遍路ころがしと呼ばれる阿波国有数の難所。延暦17年(798)桓武天皇の勅願により弘法大師が開創したと伝えられる。弘法大師がこの山を訪れた時、雌雄2羽の鶴が黄金の地蔵菩薩像を守護していた。大師は3尺(約90cm)の地蔵菩薩像を刻み、その胎内に黄金の菩薩像を納め、これを本尊として一寺を建立したことに始まるという。

名称 霊鷲山 宝珠院 鶴林寺
御本尊 地蔵菩薩
本尊真言 おん かかかび さんまえい そわか
御詠歌 しげりつる鶴の林をしるべにて 大師ぞいます地蔵帝釈
所在地 徳島県勝浦郡勝浦町生名14 [Mapion|googlemap]
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目次

鶴林寺の納経(御朱印)

鶴林寺の納経
(1)
20番鶴林寺の納経
(2)

(1)平成元年拝受の納経。揮毫は地蔵菩薩の種字「カ」に「地蔵大士」。中央の宝印は鶴。右上の朱印は「四国二十番」、左下は「霊鷲山鶴林寺」。

(2)平成18年拝受の納経。揮毫・朱印ともに平成元年のものと同じ。

昔の納経

天保11年の納経
(3)
天保12年の納経
(4)
明治38年の納経
(5)

(3)天保11年(1840)の納経。揮毫は「奉納」「本尊地蔵大士」「阿州霊鷲山」「鶴林寺」。中央の宝印は鶴、ただしデザインは現在のものと違う。右上の朱印は錫杖に「二十番」、左下は「宝珠院」。

(4)天保12年(1841)の納経。揮毫は「奉納」「本尊地蔵大士」「阿波 鶴林寺」。朱印は天保11年のものと同じ。

(5)明治38年(1905)の納経。揮毫は「奉納」「南無地蔵大士」「つる山」。中央の宝印は鶴で、現在のデザインに近くなっている。右上の朱印は宝珠に「第二十番」、左下は「霊鷲山鶴林寺」。

略縁起

延暦17年(798)桓武天皇の勅願により、弘法大師が七堂伽藍を建立したとされる。

伝承によれば、弘法大師が当地を訪れたとき、杉の梢で雌雄二羽の鶴が1寸8分(約5.5cm)の黄金の地蔵菩薩像を守っていた。そこで3尺(約90cm)の地蔵菩薩像を刻み、その黄金の地蔵菩薩像を納めて本尊としたという。寺号はこの伝承に基づくとされる。また、山号はこの山がインドの霊鷲山に似ているからという。

山門や本堂の前など、あちこちに寺の縁起に基づく大きな鶴の像が建つ。また、鶴林寺の納経にも鶴の絵が使われている。デザインは変わっているが、既に約200年前の文政年間には使われていた。

ただ、故・五来重博士も指摘されているように、鶴林は釈尊が入滅されたクシナガラ郊外の沙羅双樹の林のこと、霊鷲山は釈尊がたびたび説法された場所であり、山号・寺号からは釈尊のイメージが強い。

鶴林寺の奥の院は、別格3番の慈眼寺である。

写真帖

山門
山門
三重塔
三重塔
大師堂
大師堂
本堂
本堂

メモ

標高570メートルの山上にある。「一に焼山(焼山寺)、二にお鶴(20番鶴林寺)、三に太龍(21番太龍寺)」といわれるように、阿波では焼山寺に次ぐ難所とされる。

参道はきれいに整備されており、門前まで車で上れるが、急坂が続き、なかなか大変である。一回目の遍路で」徒歩で上ったときは、最初は見上げていた勝浦川対岸の山をいつの間にか見下ろしていることに気づき、登りの大変さを実感したものである。

鶴林寺の概要

山号 霊鷲山(りょうじゅざん)
寺号 鶴林寺(かくりんじ)
院号 宝珠院(ほうじゅいん)
御本尊 薬師如来
所在地 正式な所在地の住所
創建年代 延暦17年(798)
開山 弘法大師
宗派等 高野山真言宗 別格本山
文化財 〈重文〉木造地蔵菩薩立像 〈重要美術品〉絹本著色釈迦三尊像〈史跡〉阿波遍路道 〈県有形文化財〉絹本著色地蔵来迎図 三重塔

交通アクセス

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