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熊川神社 | 東京都福生市

熊川神社

熊川神社は、平安時代の初期に宇賀神を祀ったことに始まり、江戸時代以前は礼拝大明神と称された。御祭神は大国主命(大黒天)と市杵島姫命(弁財天)で、後に五福神を合祀し、福生七福神と称する。本殿は慶長2年(1597)の建築で、東京都の有形文化財に指定されている。

正式名称 熊川神社〔くまがわじんじゃ〕
御祭神 大国主命 市杵島姫命(福生七福神)
社格等 旧村社
鎮座地 御東京都福生市熊川660 [Mapion|googlemap]
最寄り駅 拝島(JR青梅線・西武拝島線)
熊川(JR五日市線)
バス停:内出
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御朱印

熊川神社の御朱印 熊川神社の御朱印 none
(1) (2)

(1)平成17年拝受の御朱印。中央の朱印は「神章」。右上は「富貴長寿」、左下は「熊川神社宮司之印」。揮毫は「福生七福神」。

(2)平成29年拝受の御朱印。中央の朱印は平成17年のものと同じく「神章」だが、新しくなっているようだ。右上は「富貴長寿」、左下は龍と「熊川神社」。

御由緒

熊川神社社号標と鳥居

御祭神

■大国主命
■市杵島姫命

上記は『平成「祭」データ』や東京都神社庁のホームページなどによる。現在では毘沙門天・恵比寿・福禄寿・布袋・寿老人の五福神を合わせ祀り、福生七福神と称する。因みに明治の神社明細帳では大国主大神一座となっている。

拝殿前の掲示では、古来より神仏習合の神社であったとして以下の御祭神の名を記している。

〈平安時代鎮座〉
■礼拝大明神(宇賀神)
〈室町時代鎮座〉
■弁財天
■大黒天
■薬師如来
〈平成時代鎮座〉
■不動明王

不動明王は拝島不動尊と称し、昭和35年(1960)元衆議院議員の津雲国利氏が交通安全を祈願して拝島駅に祀ったものという。平成18年(2006)拝島駅の駅舎改修に伴い、熊川神社に遷された。

御由緒

熊川神社拝殿

拝殿(平成17年)

熊川神社は旧熊川村中央部の小名・鍋ヶ谷戸に鎮座し、江戸時代以前は礼拝〔らいはい〕大明神・礼拝明神社と称していた。創建については資料によって違いがあるので、以下に列挙する。

1.創建年代不詳。社伝によれば、その昔、十数日にわたり多摩川の水面で霊光が発していた。ある夕、衣冠厳粛たる老翁が現れ、「我、このところに降臨して長く本土の守護神となり、疾疫及び諸災害を消除すべし」と告げて姿を消した。そこにあった霊石を大国主大神の荒魂・生石命〔おふいしのみこと〕と称し、一社を創建して礼拝した。(東京都神社名鑑・東京府市町村概観など)

2.平安時代の初期、現在の拝島駅の西南に屋敷を構えていた松原長者が、守護神として弁財天を祀ったことに始まる。中世には大黒天を祀り、後に毘沙門天・恵比寿・福禄寿・布袋・寿老人を加えて現在に至る。(『平成「祭」データ』など)

3.平安時代の初め、多摩川で鉄の生産をしていた部族が、鉄神として白蛇神(宇賀神)を祀ったことに始まる。古代の礼拝塚(糠塚)を神社としたもので、古代の多摩川の砂鉄による製鉄に深く関わっていた。(東京都神社庁のホームページなど)

いずれにせよ、江戸時代には翁の頭部に蛇の体を持つ宇賀神の石像を御神体として「生石命」と称し、大国主大神の荒魂として祀っていたようである。

明治3年(1870)熊川神社と改称、明治6年(1873)村社に列格する。

平成11年(1999)拝殿を新築。旧拝殿は改修の上、幣殿とされた。

補足

上記の創建に関する3つの説について、1は福生市の有形民俗文化財に指定されている「熊川神社祭神生石命画像」の詞書きによるものである。

熊川神社福生市教育委員会掲示

福生市教育委員会の掲示「熊川神社祭神生石命画像」

熊川神社境内の福生市教育委員会の掲示にモノクロの写真があるのだが、これを見ると生石命は宇賀神の石像である。宇賀神は稲荷または弁財天と深く関わるのだが、この図では八千戈命(大国主命の異名の一つ)が蛇神であることから大国主大神のこととし、大国主命と少彦名命の事績について記している。また、大国主命の本地が薬師如来であることにも触れている。

この点から考えると、熊川神社は平安時代の宇賀神の信仰から始まったが(上記3説の内の2と3)、その後、衰退してしまったのであろう。

その後、宇賀神の石像が発見され、大国主命の荒魂・生石命として祀られるようになったのではないだろうか。生石命という神名も、日本三奇の一つ・石の宝殿がある播磨国の生石神社(御祭神は大己貴命と少彦名命)を意識しているように思われる。拝殿前の掲示で、室町時代に祀られたという薬師如来は大国主命の本地仏であろう。

これに従って明治以降も御祭神を大国主大神としていたが、御神体が宇賀神であることから、宇賀神=弁財天と同一視される市杵島姫命も御祭神とするようになったのだと思われる。

本殿

熊川神社本殿

本殿

東京都指定有形文化財。一間社見世棚造で、簡素だが見世棚造としては大型のものである。附として正長2年(1429)、慶長2年(1597)、寛文11年(1671)の3枚の棟札が指定されており、建築様式から慶長2年に造営されたものと考えられている。都内に現存する神社建築としては東大和市の豊鹿島神社本殿に次いで古いものである。

覆屋の金網越しに見ることができるが、『新編武蔵風土記稿』にも「二間に一間半の覆屋」という記述があり、当時から覆屋があったことがわかる。

境内社

熊川神社琴平神社

琴平神社

■琴平神社
明治13年(1880)神職・野口重納により讃岐の金刀比羅宮から勧請された。毎月10日の縁日は、当時熊川にあった製糸工場の女工たちの憩いの場として賑わった。また、養蚕の神として西多摩地域で広く信仰を集め、各地に講が作られたという。

■稲荷神社・山神社(合殿)
いずれも由緒は不詳。稲荷神社の御祭神は正一位稲荷大明神(明治の神社明細帳では豊受比売命)、山神社の御祭神は蔵王権現(明治の神社明細帳では大山祇命)。

■天王社・天神社(合殿)
天王社の御祭神は牛頭天王。八雲神社とする資料もあるが、『平成「祭」データ』には天王社とあるので、それに従う。天神社の御祭神は菅原道真公。

福生七福神

熊川神社大黒天

福生大黒天

御祭神の大国主命(大黒天)・市杵島姫命(弁財天)に毘沙門天・恵比寿・福禄寿・布袋・寿老人の五福神を合わせ祀り、福生七福神と称する。境内に七福神の石像が安置されているが、本殿にも祀られているという。

写真帖

熊川神社社号標と鳥居

社号標と鳥居

熊川神社手水舎

手水舎

熊川神社境内社

天王社・天神社、稲荷神社・山神社

熊川神社御神木

御神木 アラカシ

熊川神社神楽殿

神楽殿

熊川神社琴平神社

琴平神社

熊川神社恵比寿

福生恵比寿

熊川神社大黒天

福生大黒天

熊川神社寿老人

福生寿老人

熊川神社弁財天

福生弁財天

熊川神社毘沙門天

福生毘沙門天

熊川神社福禄寿

福生福禄寿

熊川神社布袋

福生布袋

熊川神社狛犬

狛犬

熊川神社狛犬

狛犬

熊川神社拝殿

拝殿

熊川神社拝殿

拝殿(正面)

熊川神社社号額

社号額

熊川神社本殿(覆殿)

本殿(覆殿)

熊川神社本殿

本殿

メモ

拝島駅から徒歩約15分、のどかな郊外の住宅地に鎮座する。境内の傍を熊川分水が流れ、地酒・多満自慢の石川酒造やみずくらいど公園(玉川上水開削跡)などを巡る散策コースになっている。
初めての参拝時は平成17年の晩秋、夕方暗くなっての参拝で、半ば御朱印拝受は諦めていたのだが快く対応してくださった。

熊川神社の概要

名称 熊川神社
旧称 礼拝大明神
御祭神 大国主命〔おおくにぬしのみこと〕
市杵島姫命〔いちきしまひめのみこと〕(福生七福神)
鎮座地 東京都福生市熊川660番地
創建年代 不詳
社格等 旧村社
例祭 9月1日
神事・行事 1月1日/白矢祭(橘家相伝蟇目神事)
1月15日/左義長祭(どんど焼き)
2月11日/初午祭
4月10日/春季大祭
7月下旬土曜/天王祭(夏祭)
11月23日/新嘗祭
※『平成「祭」データ』による
文化財 〈都有形文化財〉本殿(附:棟札3枚)

交通アクセス

□JR青梅線・西武拝島線「拝島駅」より徒歩約15分
□JR五日市線「熊川駅」より徒歩約10分

更新情報

2006.01.29.公開
2018.04.11.改訂、WPへ移行、御朱印・画像を追加

東都神社御朱印集
東京の神社400社以上の御朱印や由緒などの紹介。珍しい江戸時代から昭和戦前までの御朱印も掲載。
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