阿伎留神社

阿伎留神社

阿伎留神社は延喜式神名帳に記載された多摩郡八社の一。阿伎留は秋留・畦切とも書くが、いずれも「あきる」と読む。創建年代は不詳だが、社伝によれば崇神天皇7年(B.C.91)武蔵国造・土師連男塩が初代の神主となったとされる。古くから朝廷の崇敬篤く、全国でも七十数社しかない勲位を授けられた神社の一つである。武将の崇敬も篤く、藤原秀郷の戦勝祈願や源頼朝・足利尊氏・後北条氏による社領寄進が伝えられ、徳川家康も朱印地10石を寄進した。

正式名称 阿伎留神社〔あきるじんじゃ〕
御祭神 大物主神 〈配祀〉味耜高彦根神 建夷鳥神 天児屋根命
社格等 式内社 旧郷社
鎮座地 東京都あきる野市五日市1081 [Mapion|googlemap]
最寄り駅 武蔵五日市(JR五日市線)
バス停:五日市

御朱印

  • 阿伎留神社の御朱印

    (1)

(1)平成17年拝受の御朱印。上の朱印は「阿伎留神社」、右下の印は「武蔵国造 勲功一宮 畦切政所」、左下は八方崩しの書体だが判読できない。「勲功一宮」は、勲位において武蔵国第一であることによると思われる(武蔵国で勲位を受けた神社は勲六等の阿伎留神社と勲七等の秩父神社のみ)。

御由緒

阿伎留神社

平成17年撮影

御祭神

【主祭神】
■大物主神
【配祀】
■味耜高彦根神
■建夷鳥神
■天児屋根命

阿伎留神社の由緒書・平成「祭」データ・東京都神社庁の公式サイト等による。神社明細帳では大物主神・味耜高彦根命・建夷鳥命の三柱で、『明治神社誌料』もそれに従っている。『新編武蔵風土記稿』は味耜高彦根命の一柱。

由緒(歴史)

阿伎留神社は延喜式神名帳の多磨郡八社の筆頭に記載された古社で、旧五日市村の南部、秋川北岸の小名・松原(神社明細帳では五日市町字松原ヶ谷戸)に鎮座する。中世には鎮座地に因んで松原大明神と称され、現在も「松原さま」と呼ばれる。

「阿伎留」は「畦切」「秋留」とも書かれたが、いずれも「あきる」と読む。『日本歴史地名大系 東京都の地名』(平凡社)によれば、阿伎留・秋留は「畦切」の転訛で、当地方の開発に関わる神社であろうとする。

創建年代は不詳だが、『三代実録』の元慶8年(884)7月15日条に「武蔵国正五位上勲六等畦切神に従四位下を授く」とある。勲位を授けられた神社は六国史を通じて七十数社しかなく、武蔵国では阿伎留神社の他に秩父神社の勲七等があるのみなので、古代の武蔵国でも有数の神社であったことがうかがえる。

また、社伝によれば崇神天皇7年(B.C.91) 天穂日命十七世孫の武蔵国造・土師連男塩が初代の神主となり、以後、現在に至るまで七十余代にわたってその子孫が奉仕しているという。

武将の崇敬も篤く、藤原秀郷は平将門征討に際して戦勝を祈願、山城国の大原野神社(京春日)の土を遷して祀ったと伝えられる。鎌倉時代の建久4年(1193)には源頼朝が社領を寄進、さらに足利尊氏や後北条氏も社領を寄進した。

社宝の御正体懸仏台盤は建武5年(1338)に鋳造奉納されたもの。「武蔵国秋留神社小塩村松原大明神之御本躰建武五年二月一日 沙弥本願敬白」という銘文があり、当時、秋留神社または松原大明神と称されていたことがわかる。

天正19年(1591)徳川家康は秋留郷松原のうち10石を朱印地として寄進。寛永年間(1624~45)より故あって春日大明神と称するようになり、朱印状の宛名も徳川家光までは松原大明神だが、家綱以降は春日大明神となっている。

江戸時代には当社の神主が秋川流域の神主の触頭を務めていた。触下28人の神主が二班に分かれて毎年6月・9月の末日に当社で天下泰平の祈願を行い、年中二度の大祭と称していた。さらに正徳年間(1711~16)からは神輿が五日市宿を渡御するようになった。

しかし天保元年(1831)五日市大火のために社殿から神主屋敷にいたるまで灰燼に帰した。そこで寺社奉行に願い出、江戸府中及び武蔵国中での勧化許可を受けたが、幕末の混乱のため社殿造営には至らず、嘉永3年(1850)に建造された仮殿のまま明治を迎えた。ただし末社の大鳥神社社殿は天保年間に再建されたものが現在も残っている。

明治6年(1873)郷社に列格。明治21年(1888)現在の本殿・拝殿が再建され、その後も大正・昭和・平成の御大典記念事業として境内の整備が進められた。

摂末社

阿伎留神社大鳥神社

大鳥神社

拝殿前の掲示には下記の末社が掲載されている。

大鳥神社 若雷神社 熊野神社を合祭
菅原神社 小川神社 占方神社 倭建命神社を合祭
日枝神社 伊多弖神社 松尾神社 平野神社 庭津神社 国造社を合祭
稲荷神社 松原稲荷神社 白光稲荷神社 福徳稲荷神社
琴平神社 境外末社 入野峰山頂に祀る
熊野神社 境外末社 入野熊野山に祀る

ただし、近年境内の整備が行われ、鳥居を入ったところに占方神社、日枝神社のあった場所に松原天満宮の社殿が設けられるなど、境内の様子が変わっている。

大鳥神社

『平成「祭」データ』によれば、主祭神:思兼神、配祀:大名持神・事代主神、合祀:加茂別雷神となっている。加茂別雷神は合祀されている若雷神社の御祭神であろう。

社殿は五日市大火の後、天保年間(1831~45)に再建されたものである。

若雷神社

国史見在社。御祭神は加茂別雷神。創建年代は不詳だが、『三代実録』の貞観6年(864)7月27日条に武蔵国従五位下若雷神に従五位上を奉授したことが記されている。元は乙津村(現・あきる野市乙津)に鎮座していたが、天文年間(1532~55)の兵乱により当社境内に遷座した。現在は大鳥神社に合祀されている。

伊多弖神社

国史見在社。御祭神は、『平成「祭」データ』によれば五十猛命と思われる。神社明細帳では祭神不詳とし、勲功武神七十余社の神霊を合祀するとある。創建年代は不詳だが、『三代実録』の貞観7年(866)12月26日条に武蔵国従五位下伊多弖神に従五位上を奉授したことが記されている。社頭掲示や『平成「祭」データ』では日枝神社に合祀とあるが、平成30年現在、日枝神社のあった場所には松原天満宮があり、現在どの社殿に祀られているかは未確認。

占方神社

以前は菅原神社に合祀されていたが、現在は鳥居脇に社殿が設けられている。御祭神の櫛真知神は卜占の神であり、かつて当社で行われていた肩焼神事(太占神事)に関わる社であろうと思われる。

五日市まつり

秋の例大祭は「五日市まつり」の名で知られ、二宮神社の「生姜まつり」・正一位岩走神社例大祭とともにあきる野三大まつりと称される。

全国でも珍しい百貫を超える六角神輿が五日市街道を渡御。中学生が担ぐ中神輿や子供神輿5基の巡行や、氏子5町内のお囃子の奉納などが行われる。また、神輿の担ぎ出しに先立ち、露払いとして五日市入野の獅子舞の奉納がある。

写真帖

  • 阿伎留神社鳥居

    鳥居

  • 阿伎留神社占方神社

    占方神社

  • 阿伎留神社手水舎

    手水舎

  • 阿伎留神社神楽殿

    神楽殿

  • 阿伎留神社大鳥神社

    大鳥神社

  • 阿伎留神社祓戸大神

    祓戸大神

  • 阿伎留神社井戸

    井戸

  • 阿伎留神社夫婦杉

    御神木・夫婦杉

  • 阿伎留神社松原天満宮

    松原天満宮

  • 阿伎留神社白光稲荷神社

    白光稲荷神社

  • 阿伎留神社神輿庫

    神輿庫

  • 阿伎留神社拝殿

    拝殿

  • 阿伎留神社社号額

    社号額

  • 阿伎留神社本殿

    本殿

  • 阿伎留神社忠霊塔

    忠霊塔

  • 阿伎留神社御旅所

    御旅所

メモ

JR武蔵五日市駅から徒歩15分ほど、街道筋から南に入った秋川沿いの段丘上に鎮座する。緑豊かな鎮守の森に、風格のある木造社殿が鎮座する。社殿脇のまいまいず井戸や六角の大神輿を安置する神輿庫など見どころも多い。

初めての参拝は11月末の穏やかな日。ご祈祷が多かったようで、一段落つくまで待つことにした。ちょうど地元の歴史探訪の行事と重なったようで、参加者の団体が続々と訪れ、おかげで案内者の説明を一緒に聞くことができた。

阿伎留神社の概要

名称 阿伎留神社
通称 松原さま
旧称 松原大明神 春日大明神 秋留神社 畦切神
御祭神 大物主神〔おおものぬしのかみ〕
〈配祀〉
味耜高彦根神〔あじすきたかひこねのかみ〕
建夷鳥神〔たけひなとりかみ〕
天児屋根命〔あめのこやねのみこと〕
鎮座地 東京都あきる野市五日市1081
創建年代 不詳
社格等 式内社 旧郷社
延喜式 多磨郡 阿伎留神社
例祭 9月28日~30日
神事・行事 1月1日/元旦祭
1月7日/七種祭
1月15日/古札焚上
1月25日/天神祭
2月節分の日/節分祭
2月初午の日/初午祭
2月22日/祈年祭
4月10日/山王祭(旧馬まち)
5月5日/琴平祭・熊野祭
6月30日/大祓(水無月祓)
11月一の酉・二の酉の日/大鳥神社祭
11月15日/七五三祭
11月23日/新嘗祭
12月31日/大祓・除夜祭

交通アクセス

□JR五日市線「武蔵五日市駅」より徒歩15分

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