惣岳山青渭神社

青渭神社

青渭神社里宮

青渭神社は延喜式内社(論社)で、高水三山の一・惣岳山(標高756m)の山上に鎮座する。創建年代は不詳だが、崇神天皇7年(B.C.91)神地神戸を賜って官祭に預かり、天慶年間(983~47)源経基が社殿を再建したと伝えられる。三田氏・北条氏・徳川氏からも崇敬を受けたという。明治初年、山麓に拝殿(現在の里宮)を建立した。

正式名称 青渭神社〔あおいじんじゃ〕
御祭神 大国主命
社格等 式内論社 旧郷社
鎮座地 里宮:東京都青梅市沢井3-639 [Mapion|googlemap]
奥宮:東京都青梅市沢井3-1060 [Mapion|googlemap]
最寄り駅 沢井(JR青梅線)
御嶽(JR青梅線)
バス停:鵜の瀬橋入口

御朱印

  • 青渭神社(青梅)の御朱印

    (1)

  • 青渭神社の御朱印

    (2)

(1)平成19年拝受の御朱印。中央の朱印は「青渭神社」。

(2)平成30年拝受の御朱印。朱印・揮毫ともに平成19年のものと同じ。

御由緒

青渭神社奥宮

惣岳山上の御本社(奥宮)

御祭神

■大国主命

『青梅市史』によれば、昭和35年(1960)社殿を改修した際、惣岳山上の末社27社のうち、真名井神社を除く26社を合祀したという。ただし「神社明細帳」で確認できる末社は真名井神社を含む25社しかない。「神社明細帳」に記載されている末社と御祭神は以下の通り。

(1)愛宕神社 迦具土命
(2)金山社 金山彦命
(3)真名井社 罔象女命
(4)神明社 天照皇大神
(5)八幡社 誉田別天皇
(6)稲荷社 倉稲魂命
(7)天満社 菅原道真朝臣
(8)二荒社 月読命
(9)鹿島社 武甕槌命
(10)春日社 天児屋根命
(11)日吉社 大己貴命
(12)龍田社 天御柱命・国御柱命
(13)浅間社 木花咲耶姫命
(14)八雲神社 素戔嗚命
(15)諏訪社 建御名方命
(16) 三島社 大山津見命
(17)箱根社 火々出見命
(18)氷川社 速須佐之男命
(19)白山社 伊弉冉命
(20)伊豆神社 宇気持命
(21)熊野社 伊弉冉命
(22)厳島社 市杵島姫命
(23)山神社 大山祇命
(24)御嶽社 少彦名命
(25)住吉社 底筒男命・中筒男命・上筒男命

御由緒

青渭神社は青梅市の西部、奥多摩町との境界にほど近い惣岳山の山頂に鎮座し、古くは惣岳明神とも称された。現在は惣岳山上に本社(奥宮)、山麓に里宮がある。延喜式神名帳所載多磨郡八座の一・青渭神社の論社である。

『新編武蔵風土記稿』に「社説に云う、総(惣)岳は山の名なり、故に総岳山青渭神社と号す」とある。宝暦4年(1754)の沢井村上分明細帳は「想(惣)岳山青渭大明神」、寛政11年(1799)の沢井村明細帳は「式内社青渭神社」とする。

惣岳山は標高756mで、高水山・岩茸石山とともに高水三山と呼ばれる。『武蔵演露』によれば近隣の霊山を中国の五嶽に擬えて高水山を東岳、大嶽山を西岳、光明山(高明山)を南岳、惣岳山を北岳、御嶽山を中岳とし、「近傍の諸山を総管する」という意味から惣岳山と呼ばれるという(『青梅市史』)。

山頂近くに真名井と称する年中涸れることのない霊泉がある。別名を青渭の井といい、これが社名の由来とされる。神社明細帳に、沢井・川井の両村名もこの霊泉に因むという古老の説が記されている。

創建年代は不詳。社伝によれば、崇神天皇7年(B.C.91)国内に悪病が流行して多くの死者が出たため、天皇は諸国の神々に疫病退散を祈願した。この時、当社も神地神戸を賜り、初めて官祭に預かったという。

延喜の制では小社に列した。天慶年間(983~47)武蔵国に赴任した源経基は当社を深く崇敬し、社殿の再建や神領の寄進を行ったと伝えられる。その後も三田氏・北条氏・徳川氏により尊崇され、最盛期には巫女数名が奉祀していたとされる。

慶長7年(1602)火災により社殿が焼失し、神宝・社記も多くが失われた。その後も二度の火災に見舞われ、特に文化3年(1806)の火災では神主の屋敷も延焼し、社記・古文書も悉く焼失した。天保~弘化年間(1831~48)社殿が再建された。創建以来たびたび火災に遭ったにも関わらず、御神体に被害が及ぶことはなかったという。

明治6年(1873)郷社に列格。

明治の初め頃、山麓の横尾子に拝殿を設け、遙拝殿として祭事の多くを行うようになった(現在の里宮)。昭和9年(1934)拝殿を改築し、現在の形になった。さらに昭和35年(1960)本社を改修し、その際、末社27社のうち真名井神社を除く26社を合祀した。

本社(奥宮)

惣岳山の山頂に鎮座している。現在は平坦な広場に本殿が建つのみだが、かつては拝殿や鳥居、さらに末社27社があったという。

現在の社殿は文化3年(1806)の火災の後、弘化2年(1845)に多摩川沿い26ヶ町村の浄財を持って再建されたもの。一間社流造で、壁面に見事な彫刻を配する。

山頂から少し下ったところには末社の真名井神社がある。真名井、あるいは青渭の井と呼ばれる霊泉の上に小さな祠が設けられている。

式内論社

延喜式神名帳所載の多磨郡・青渭神社については、当社の他、稲城市東長沼の青渭神社(青沼明神)や調布市深大寺の青渭神社(青波天神)を当てる説もある。いずれも深く水に関わる由緒を持つ神社である。

当社は惣岳山上の霊泉・真名井(青渭の井)をその名の由来とするのに対し、深大寺の青渭神社は社前に大きな池があったとし、長沼の青渭神社は大きな青い沼があったとする。

明治の神社明細帳によれば、寛文8年(1668)などの検地帳に「青渭」の社号が記され、寛政11年(1799)代官・伊奈某に提出した明細帳には「式内青渭神社」と記載されているという(※日本歴史地名大系『東京都の地名』によれば「式内社青渭神社」)。

伴信友の『神社覈録』は深大寺の青波天神とする『武蔵野地名考』の説と「沢井村にあり」とする『式内神社考』の説を載せる。鈴鹿連胤の『神社覈録』は「青渭は阿袁奴と訓べし。祭神大己貴命、杣保内沢井村に在す」とするが、青波天神を当てる『武蔵野地名考』の説も紹介している。

『神祇志料』は深大寺の青波天神、『特選神名牒』は長沼の青沼明神を当てる。

写真帖

里宮

  • 青渭神社一の鳥居

    一の鳥居

  • 青渭神社二の鳥居

    二の鳥居

  • 青渭神社社号標

    社号標

  • 青渭神社境内

    境内

  • 青渭神社神楽殿

    神楽殿

  • 青渭神社手水舎

    手水舎

  • 青渭神社狛犬

    狛犬

  • 青渭神社拝殿

    拝殿

  • 青渭神社社号額

    社号額

  • 青渭神社本殿

    本殿

奥宮

  • 青渭神社奥宮登山口

    青渭林道からの登山口

  • 青渭神社しめつりの御神木

    しめつりの御神木

  • 青渭神社登山道の注連縄

    登山道の注連縄

  • 青渭神社真名井神社

    末社 真名井神社

  • 青渭神社惣岳山頂

    惣岳山頂

  • 青渭神社奥宮

    本社(奥宮)

  • 青渭神社奥宮社殿

    本社(奥宮)社殿

  • 青渭神社奥宮正面

    奥宮 社殿正面

  • 青渭神社奥宮社号額

    社号額

  • 青渭神社奥宮社殿彫刻(蝦蟇仙人)

    社殿彫刻 蝦蟇仙人

  • 青渭神社奥宮社殿彫刻(控鶴仙人)

    社殿彫刻 控鶴仙人

  • 青渭神社社殿彫刻(浦島太郎)

    社殿彫刻 浦島太郎

メモ

里宮は沢井駅から徒歩15分ほどの沢のそばにある。青梅街道沿いの参道入口に一の鳥居があるが、沢井駅からの近道を歩いた場合は里宮境内の入口となる二の鳥居の手前に出る。境内には社殿の他、神楽殿などがある。御朱印は里宮の傍にある宮司様宅にて拝受できる。

奥宮は惣岳山上に鎮座する。里宮の脇を通る青渭林道を進んでいくと、惣岳山へ向かう登山道がある。ただし、現在は御嶽駅からの関東ふれあいの道を使う人が多くなり、沢井側からの道は林業の衰退とともに使う人が少なくなったため、以前より道が荒れているとのことである。

初めての参拝は平成19年、この時は時間がなかったこともあり、里宮のみを参拝した。二度目の参拝は平成30年で、惣岳山上の奥宮へも参拝した。ルートは往復ともに沢井側から。登りは里宮から50分少々、下りは40分ほどであった。

惣岳山の山頂は広場になっているが、木々に覆われて展望はよくない。社殿は思っていたより大きかった。広場の端にあるのは、かつてはその前に拝殿や鳥居があったからだろう。平日ではあったが、岩茸石山から御嶽駅に向かうらしい登山客が次々通過していた。

青渭神社の概要

名称 青渭神社
通称 お惣岳さま
旧称 惣岳明神 惣岳山青渭大明神 惣岳山青渭神社
御祭神 大国主命〔おおくにぬしのみこと〕
鎮座地 里宮:東京都青梅市沢井三丁目639番地
奥宮:東京都青梅市沢井三丁目1060番地
創建年代 不詳/崇神天皇7年(B.C.91)以前
社格等 式内社(論社) 旧郷社
延喜式 武蔵国多磨郡 青渭神社
例祭 4月18日前後の日曜日
神事・行事 1月1日/元旦祭
10月17日に近い日曜日/秋祭り
※『平成「祭」データ』による

交通アクセス

《里宮》
□JR青梅線「沢井駅」より徒歩15分
□JR青梅線「御嶽駅」より徒歩17分
《奥宮》
□JR青梅線「御嶽駅」より徒歩90分
□JR青梅線「沢井駅」より徒歩90分

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