社伝によれば鎌倉時代の末期の創建。天保3年(1832)神祇伯白川家より正一位足穂稲荷大明神の神号を賜った。明治40年(1907)旧馬橋村内にあった御嶽神社・白山神社・天神社・水神社を合祀。昭和40年(1965)住居表示制度の実施によって馬橋の地名がなくなることを惜しみ、社号を馬橋稲荷神社と改めた。
正式名称 | 馬橋稲荷神社〔まばし いなりじんじゃ〕 |
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御祭神 | 宇迦之魂神 大麻等能豆神 〈相殿〉伊弉册神 美都波能賣神 菅原道真朝臣 |
社格等 | 旧村社 |
鎮座地 | 東京都杉並区阿佐谷南2-4-4 [Mapion|googlemap] |
公式サイト | http://www.mabashiinari.org/ |
御朱印
(1)平成17年拝受の御朱印。上の朱印は「馬橋稲荷神社」、下は「宮司之印」。
(2)平成28年拝受の御朱印。上の朱印は「馬橋稲荷神社」、下は「馬橋稲荷神社参拝章」。
御由緒
馬橋村の鎮守。別当は真言宗の海原山福泉寺(廃寺)であった。その歴史は詳らかでないが、鎌倉時代の末期に創建されたと伝えられている。
天保2年(1831)大谷作六他53名の村民が寄付を募り、白川神祇伯家の御役所に御神体と御神号の宣下を願い出た。翌3年(1832)正一位足穂稲荷大明神の御神号を賜り、勧遷の許可を得て、厳かに勧遷の式を執り行った(白川家では勧請を勧遷といった)。天保11年(1840)拝殿を改築。
明治40年(1907)本殿を改築し、村内の御嶽神社、白山神社、水神社、天神社を合祀した。それにより五社神社と呼ばれたこともあったという。昭和2年(1927)村社に昇格、同13年(1938)総檜入母屋流造の拝殿・幣殿・祝詞殿が落成する。拝殿には「稲荷宮」と「御嶽宮」の額が掲げられている。
昭和25年(1950)境内に斎霊殿を設けた。日清・日露・大東亜戦争の氏子戦歿者並びに神社関係物故者の御霊を祀り、春秋に慰霊祭を行う。
昭和40年(1965)住居表示の実施により、馬橋の地名がなくなった。そこで、馬橋の名を後世に伝えるため、現在の社名に改めた。同時に真鶴産の6tの本小松石を用いた社号標を参道入口に建てた。
昭和50年(1975)御鎮座700年を記念して随身門を新築。昭和62年(1987)神楽殿を改築して舞殿が完成。平成5年(1993)正面参道の中鳥居、平成8年(1996)大鳥居を建立し、大神輿の参道巡幸が可能になった。
写真帖
メモ
木々の緑に朱色の鳥居や神門が引き立つ。社殿は素木だが、拝殿前に朱色の鳥居と玉垣があるため、朱塗りのような印象を受ける。正面の朱塗りの大鳥居は樹齢400年のヒバを使っており、高さは8mとのこと。二の鳥居は御影石製の稲荷鳥居だが、柱に龍が巻き付いている。随神門に吊された開運の鈴は、都内最大の鈴とのこと。重さ5tという手水舎の伊予の青石も見事である。規模の大きな神社ではないが、随所にこだわりや見栄えへの配慮が感じられる。
馬橋稲荷神社の概要
名称 | 馬橋稲荷神社 |
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旧称 | 稲荷神社 正一位足穂稲荷大明神 五社神社 |
御祭神 | 宇迦之魂神〔うかのみたまのかみ〕 大麻等能豆神〔おおまとのづのかみ〕 〈相殿〉 伊弉册神〔いざなみのかみ〕 美都波能賣神〔みずはのめのかみ〕 菅原道真朝臣〔すがわらみちざねあそん〕 |
鎮座地 | 東京都杉並区阿佐谷南二丁目4番4号 |
創建年代 | 鎌倉時代末期 |
社格等 | 旧村社 |
例祭 | 9月選日 |
神事・行事 | 1月1日/歳旦祭 1月7日/とんど焼き 2月節分の日/節分祭 2月初午の日/初午祭 3月春分の日/春季慰霊祭 4月第一日曜日/新入学児童祈願祭 6月30日/夏越の大祓 7月夏休み最初の日曜/子供縁日大会 9月秋分の日/秋季慰霊祭 11月23日/新穀感謝祭 12月30日/大祓式 12月31日/除夜祭 |
交通アクセス
□JR中央線「阿佐ヶ谷駅」より徒歩約7分
□東京メトロ丸ノ内線「新高円寺駅」より徒歩約10分