正式名称 | 武蔵野稲荷神社〔むさしのいなりじんじゃ〕 |
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御祭神 | 宇迦之御魂神 |
社格等 | - |
鎮座地 | 東京都練馬区栄町10-1 [Mapion|googlemap] |
【由緒概要】
武蔵野稲荷神社は明治から昭和戦前にかけて「練馬のお稲荷さん」と呼ばれ、民間信仰の社として病気治しや加持祈祷を行っていた。第二次大戦による混乱と主宰者の死により衰退するが、天理教の流れを汲む日の本神誠講が引き継いだ。昭和43年(1968)神社本庁付属の宗教法人として認可を受けた。
武蔵野稲荷神社の御朱印
平成17年拝受の御朱印。朱印は「武蔵野稲荷神社之印」。
武蔵野稲荷神社について
名称 | 武蔵野稲荷神社 |
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通称 | 江古田のお稲荷さん |
御祭神 | 宇迦之御魂神〔うがのみたまのかみ〕 |
鎮座地 | 東京都練馬区栄町10番1号 |
創建年代 | 不詳(明治の頃?) |
社格等 | - |
例祭 | 2月上午の日 |
御由緒
武蔵野稲荷神社の創建は不詳だが、明治から昭和戦前にかけ民間信仰の社として、病気治しや加持祈祷を行っていたようである。「練馬のお稲荷さん」として信仰を集め、毎月三の日には縁日が立ち、非常に賑わったという。
本殿の建っている塚は瓢箪塚あるいは割塚と呼ばれ、文明9年(1477)江古田・沼袋の合戦で太田道潅に敗れた豊嶋氏の軍勢の死者を葬った塚という言い伝えもある。白狐が十数匹住み着いていたことから白狐塚とも呼ばれたとという。
先の大戦による混乱と主宰者の死去に伴い、社殿も荒れ果ててしまったが、日の本神誠講がこれを引き継いだ。
日の本神誠講は天理教-ほんみち-天理三輪講-天理神之口明場所の系譜に連なる教団である。日の本神誠講の初代教主・岡本ツエは東十条を拠点に衆生救済を行っていたが、昭和27年(1952)当地に本部を移した。
昭和43年(1968)、日の本神誠講本部の一部を武蔵野稲荷神社が無償で借り受け、神社本庁所属の宗教法人として認可を受けた。
昭和50年(1975)から5ヶ年計画で境内の整備を進め、本殿・拝殿・随身門などを新築した。なお、祭儀殿は大正7年(1918)の建築である。
写真帖
メモ
西武池袋線江古田駅からすぐのところにある。緑におおわれた境内は手入れがよく行き届き、非常に気持ちがよい。社殿・祭儀殿・随身門など小ぶりながら立派なもので、散策するには非常によい神社である。大黒の臼造りの手水鉢も珍しい。