西久保八幡神社は江戸八社八幡の一。社伝によれば、寛弘年間(1004~12)源頼信(多田満仲の三男)が霞ヶ関のあたりに石清水八幡宮の御分霊を勧請したことを創祀とする。太田道灌が江戸城築城に際して現社地に遷したという。崇源院(徳川秀忠の正室・お江)は関ヶ原の合戦に際して戦勝を祈願、奉賽として寛永11年(1634)社殿が造営された。
正式名称 | 八幡神社〔はちまんじんじゃ〕 |
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通称 | 西久保八幡神社〔にしくぼ はちまんじんじゃ〕 |
御祭神 | 品陀和気命 息長帯比売命 帯中日子命 |
社格等 | 旧郷社 |
鎮座地 | 東京虎ノ門5-10-14 [Mapion|googlemap] |
公式サイト | http://www.hachimanjinja.or.jp/ |
御朱印
平成17年拝受の御朱印。朱印は「八幡神社」、左下は「西久保八幡神社之印」。
御由緒
西久保八幡神社は、明治の神仏分離までは八幡山普門院と称し、東叡山寛永寺の末寺であった。富岡八幡宮や大宮八幡宮などとともに江戸八所八幡の一に数えられたという。
社伝によれば、寛弘年間(1004~12)源頼信(多田満仲の三男)が霞ヶ関の辺り(一説には榎坂ともいう)に石清水八幡宮の分霊を勧請したことを創祀とする。太田道潅の江戸築城により、現社地に遷った。
関ヶ原の合戦に際し、徳川秀忠の正室・崇源院(浅井長政とお市の方の三女・お江)が戦勝を祈願、その報賽として社殿を建立する遺志を残していた。寛永11年(1634)に社殿を造営し、御神像3体と明王像(不動明王立像と愛染明王坐像)が奉安された。
享保8年(1723)と文化8年(1811)に火災で焼失し、文政元年(1818)に再建されたものの宝物・旧記等はことごとく失われたという。
明治5年(1872)郷社に列格。昭和20年(1945)米軍の空襲により社殿等を焼失。同28年(1953)総檜造りの社殿を復興した。同40年(1965)国道1号線の拡幅工事のため、鳥居や石灯籠を移築した。
境内に東京都指定史跡の西久保八幡貝塚がある。
写真帖
メモ
桜田通り(国道1号線)沿い、地下鉄日比谷線・神谷町駅の南の小高い丘に鎮座する。社殿の背後に聳える巨大な建物は霊友会の本部・釈迦殿である。
なお、公式サイトによれば平成25年12月より「昨今の現状を鑑み、当面の間御朱印の授与を中止いたします」とのことである。
西久保八幡神社の概要
名称 | 八幡神社 |
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通称 | 西久保八幡神社 |
旧称 | 八幡山普門院 |
御祭神 | 品陀和気命〔ほんだわけのみこと〕(応神天皇) 息長帯比売命〔おきながたらしひめのみこと〕(神功皇后) 帯中日子命〔たらしなかつひこのみこと〕(仲哀天皇) |
鎮座地 | 東京都港区虎ノ門五丁目10番14号 |
創建年代 | 寛弘年間(1004~12) |
社格等 | 旧郷社 |
例祭 | 8月13~15日 |
神事・行事 | 2月3日/節分祭 2月17日/祈年祭 6月30日/夏越大祓式 11月23日/新嘗祭 12月31日/年越大祓式 |
交通アクセス
□神谷町駅(日比谷線)より徒歩2分
□六本木一丁目駅(南北線)より徒歩10分