奥氷川神社

奥氷川神社

奥氷川神社は景行天皇52年(122)日本武尊により創建されたと伝えられる。无邪志の国造となった出雲臣が祖神・氷川神を祀り、これが所沢市の中氷川神社、大宮の氷川神社に遷されたとも言われる。そのため当社を武蔵の氷川神社の起源とし、中氷川神社・大宮の氷川神社と併せて武蔵三氷川と称することもある。
西多摩地域の神社

正式名称 奥氷川神社〔おくひかわじんじゃ〕
御祭神 素盞嗚尊 奇稲田姫命 建御名方命
社格等 旧村社
鎮座地 東京都西多摩郡奥多摩町氷川178 [Mapion|googlemap]
東京は江戸時代以来、約400年にわたり日本の中心として繁栄してきた。そのため、江戸幕府や明治政府から特別の崇敬を受けた重要な神社がいくつ...
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御朱印

御朱印は1月の流鏑馬祭と8月の例大祭の時に書き置きのものをいただける。

  • 奥氷川神社の御朱印

    (1)

(1)平成30年拝受の御朱印、書き置き。揮毫は「奉拝/第一義/奥氷川神社」。中央上の朱印は「奥氷川神社印」、下は「奥氷川神社社掌之印」。

昔の御朱印

  • 奥氷川神社の御朱印

    (1)

  • 奥氷川神社の御朱印

    (2)

(1)昭和8年の御朱印。上の朱印は「奥氷川神社」、下は雲と日月に「奥氷川神社御璽」、左下は「武蔵國氷川本源」。

(2)昭和8年の御朱印、(1)と同じ集印帖に納められたもの。上の印は(1)と同じ「奥氷川神社御璽」、下は八稜鏡に「神素盞嗚尊 櫛稲田比賣命 建御名方刀美命 末社十一社皇神」。

御由緒

社号額

御祭神

■素盞嗚尊
■奇稲田姫命
■建御名方命

明治の神社明細帳には祭神・速須佐之男命、配祀・建御名方命となっている。

武蔵三氷川

武蔵国には数多くの氷川神社があるが、中でも足立郡大宮(さいたま市大宮区)の氷川神社、入間郡氷川村(所沢市山口)または三ヶ島村(所沢市三ヶ島)の中氷川神社と当社を合わせて武蔵三氷川と称することがある。中氷川神社、奥氷川神社の社号は大宮の氷川神社に対するものという説がある。

中氷川神社については『特選神名牒』に「明細帳にも入間郡中氷川村中氷川神社 式内、足立郡氷川神社並びに多摩郡杣之保内氷川村鎮座上氷川神社(奥氷川神社)里程中央にして当村鎮座中氷川神社なりとみえたるが如く」とあるように、大宮の氷川神社と奥氷川神社の中央にあることから中氷川の名があるとされている。

一説には无邪志(後の武蔵)の国造となった出雲臣は、当初多摩川下流に拠点を構えた。その上流である奥多摩氷川の愛宕山を、故郷・出雲の日御碕神社の神岳に見立て、この地に祖神である氷川神を祀ったのが武蔵の氷川神社の起源であるという(昭和初期の御朱印にある「武蔵国氷川本源」はこれによると思われる)。

その後、无邪志国と知知父国が合わせられたことにより本拠地を府中に移し、氷川神を中氷川を経て大宮に移したのではないかとされる。

由緒

拝殿

奥氷川神社は、古くは多摩郡氷川村と呼ばれた奥多摩町氷川に鎮座する。中世、杣保と呼ばれた青梅市・羽村市・奥多摩町の内、日向和田から西を氷川郷と称した。この名も奥氷川神社に由来するもので、奥氷川神社が古社であることを示している。

以下の由緒は神社明細帳による。

景行天皇52年(122)日本武尊の東征の砌、素盞嗚尊と大己貴命が軍勢を守護したので、これを当地に祀ったことに始まるとされる。宝亀2年(771)奇稲田姫命と少彦名命を合祀した。

大同2年(807)当地を麻葉の里と称し、神名を大麻止乃豆乃天神と称した。貞観2年(860)簸川修理大輔土師行基が再興し、神名を奥氷川大明神と改め、社号を大麻止乃豆乃天神社とした(※式内・大麻止乃豆乃天神社であるとの主張であろうが、現在は式内論社であることを主張していない)。これより当地を氷川と称するようになったという。

嘉応3年(1171)建御名方命を相殿に祀り、諏訪大明神と称した。

文和3年(1354)細川頼春の家臣・村野忠一が当地に来住、その子・武清が貞治3年(1364)正月の祭祀を執り行い、以来近代まで社家として神前に奉仕した。

本殿

寛文8年(1668)代官・曽根五郎左衛門が氷川村の検地を行い、8畝10歩を除地とした。寛政4年(1792)代官・伊奈友之助が参拝し、金5両を寄進した。また元禄年間(1688~1704)現在の本殿が造営されたという伝承がある。

明治2年(1869)社号を奥氷川神社と改めた。

かつての境内地は今よりもかなり広かったと伝えられる。現在境内の横を通っている青梅街道は社地の中央を通り、事実上の参道となっていたと伝えられる。御神木の三本杉は境内のほぼ中央にあり、社殿はその傍にあったという。

しかし明治9年(1876)現在の境内地以外は払い下げとなり、民地に編入された。さらに明治12年(1879)近隣の民家の火災により社叢の大半と神楽殿、鳥居が類焼し、著しく風致を損なった。

明治15年(1882)本殿を現在の位置に移築し、拝殿を新築した。

祭礼

獅子舞

8月の例大祭には獅子舞が奉納される。寛政4年(1792)以前に始められたもので、江戸時代には8月朔日に暴風防除を祈願して行われていた。明治5年(1872)から9月1日に行われるようになり、現在は8月第2日曜日に行われる。奥多摩町の無形民俗文化財に指定されている。

1月の流鏑馬祭は、1月から12月を象徴する12本の矢を放ち、1年の五穀豊穣などを占うという神事。正保2年(1645)以来、毎年1月1日に行われていたが、現在は毎年1月第4日曜日に行われる。

写真帖

  • 社号標

    社号標

  • 鳥居

    鳥居

  • 手水舎

    手水舎

  • 神楽殿

    神楽殿

  • 氷川三本杉

    氷川三本杉

  • 氷川三本杉

    氷川三本杉(根元)

  • 境内社

    境内社

  • 狛犬

    狛犬

  • 拝殿

    拝殿

  • 社号額

    社号標

  • 本殿

    本殿

  • 例大祭の神輿

    例大祭の神輿

  • 獅子舞

    獅子舞

メモ

青梅線の終点、奥多摩駅から歩いてすぐのところに鎮座する。御朱印は年2回の祭礼時にいただけるということで、8月の例大祭に参拝した。残念ながら当日は雨天で、特に獅子舞の奉納の時は激しい雨が降った。御朱印は無事にいただけたが、後日写真撮影のために再訪した。

奥氷川神社の概要

名称 奥氷川神社
旧称 奥氷川大明神 氷川明神社 上氷川
御祭神 素盞嗚尊〔すさのおのみこと〕
奇稲田姫命〔くしなだひめのみこと〕
建御名方命〔たけみなかたのみこと〕
鎮座地 東京都西多摩郡奥多摩町氷川178番地
創建年代 景行天皇52年(122)
社格等 旧村社
例祭 8月第二日曜日とその前日
神事・行事 1月下旬の日曜日/流鏑馬祭
文化財 〈都天然記念物〉氷川の三本杉

交通アクセス

□JR青梅線「奥多摩駅」より徒歩約3分


※掲載の情報は最新のものとは限りません。ご自身で確認をお願いします。

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