篠崎浅間神社は天慶元年(938)5月15日の創建と伝えられ、区内でもっとも古い神社とされる。下総国弥山の人・弥山佐奈比が神人として仕えた後、平貞盛が霧島神社を祀り、関東の平安を祈って金幣と弓矢を奉納した。これをもって創建とする。7月の例祭は「幟祭」と称し、2年に一度、日本最大級という大幟10本が立ち並ぶことで知られる。
正式名称 | 浅間神社〔せんげんじんじゃ〕 |
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通称 | 篠崎浅間神社〔しのざき せんげんじんじゃ〕 |
御祭神 | 木花開耶媛命 |
社格等 | 旧郷社 |
鎮座地 | 東京都江戸川区上篠崎1-22-31 [Mapion|googlemap] |
最寄り駅 | 篠崎(都営新宿線) バス停:浅間神社 |
公式サイト | http://shinozaki-sengenjinja.or.jp/ |
御由緒
篠崎浅間神社は天慶元年(938)の創建と伝えられ、江戸川区内で最古の神社といわれる。旧別当は金瀧山無量寺(篠崎町3)であった。
社伝によれば、承平2年(932)下総国弥山から来住した弥山左那比が、浅間神社(当社)と神明社(現・浅間神社境内社の天祖神社)に神人として奉仕したという。
その後、承平・天慶の乱の際、平貞盛は霧島神社を祀り、金幣と弓矢を奉納して平將門の追討と関東の平安を祈願した。その日が天慶元年(938)5月15日で、これをもって当社の創建とする。
一説に、元は現在の篠崎町四丁目の辺りに鎮座していたが、大風で神札が飛来し、この地に留まったので遷座したともいう。村上天皇の宝剣(本阿弥家の鑑定による)や後花園天皇の連歌の巻物を蔵し、古くから崇敬を集めていたことをうかがわせる。
江戸時代、文化文政の頃(1804~31)になると江戸やその近郷からの参詣者が増え、講社が組織されるほどになった。
明治5年(1872)村社に列し、明治7年(1874)郷社に昇格した。
7月1日に行われる例大祭は幟祭と称し、隔年で日本最大級という大幟が立てられる。幟の高さは20m以上、重さは約1tもあるという大幟を、旧上篠崎・下篠崎の5地区が2本ずつ合計10本立てる。一時はクレーンなどを使っていたというが、今はすべて人力で行われ、その勇壮な様は見る人を魅了するという。
補足
『新編武蔵風土記稿』には、下篠崎村には富士浅間社が2社あり、1社は村の鎮守で境内に御小嶽社があり、もう1社は下の宮と号すという。御小嶽社は当社境内本社登り口にある御嶽宮、下の宮は同じく下浅間宮のことと思われるので、いずれかの時点で二つの浅間神社がまとめられたものと思われる。
御朱印
(1)平成18年拝受の御朱印。中央の朱印は「神璽」、左下の印は「浅間神社之印」。
(2)平成26年拝受の御朱印。中央の朱印は「浅間神社之印」、左下の印は「宮司之印」。
写真帖
メモ
千葉県との県境に近く、江戸川のほとりに鎮座する。周辺は農村の風情を残す。参道を進むと大鳥居があり、黄金の注連飾りがかかっている(コンクリート製の注連縄から金属製の紙垂を垂らす。境内は広く、社叢は区の天然記念物。また摂社の霧島神社をはじめ、多数の摂末社がある。
本殿・拝殿は富士塚の上に建っている。登り口の左右には下浅間神社・下浅間御嶽宮があり大山祇命と磐永媛命が祀られている。その他にも旧上篠崎村・下篠崎村で祀られていた社が遷されている。
神社の概要
名称 | 浅間神社 |
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通称 | 篠崎浅間神社 |
旧称 | 富士浅間社 |
御祭神 | 木花開耶媛命〔このはなさくやひめのみこと〕 |
鎮座地 | 東京都江戸川区上篠崎一丁目22番31号 |
創建年代 | 天慶元年(938) |
社格等 | 旧郷社 |
例祭 | 7月1日(幟祭) |
神事・行事 | 2月17日/祈年祭 8月1日/厄祓祭 12月1日/新嘗祭 12月31日/大祓祭 ※『平成「祭」データ』による |
交通アクセス
□篠崎駅(都営新宿線)より徒歩15分、またはバス
■京成バス小岩駅行き「浅間神社」下車徒歩3分
□小岩駅(JR総武線)よりバス
■京成バス篠崎駅経由一之江駅・瑞江駅行「浅間神社」下車徒歩3分
■京成バス(直通)江戸川スポーツランド行「浅間神社」下車徒歩3分