西小松川天祖神社は西小松川村の鎮守。創建年代は不詳だが、社伝によれば康正2年(1456)現社家の祖先である秋元刑部左衛門橘瀧次が下総国から来住、神職として奉仕するようになった。現在の社殿は慶応3年(1867)の造営、昭和30年(1955)に増築したもので、平成14年(2002)に全面的な改修が行われた。
江戸川区の神社
正式名称 | 天祖神社〔てんそじんじゃ〕 |
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御祭神 | 天照大神 香取大神 鹿島大神 |
社格等 | 旧村社 |
鎮座地 | 東京都江戸川区西小松川町 [Mapion|googlemap] |
最寄り駅 | 船堀(都営新宿線) バス停:東小松川二丁目 |
御朱印
御朱印は平井諏訪神社でいただくことができる。
(1)平成29年拝受の御朱印。中央の朱印は三つ巴の神紋、左下は「天祖神社」。右側に「旧西小松川村総鎮守」「御鎮座一四五六年(室町時代)」。
御由緒
御祭神
主祭神
■天照大神
副祭神
■香取大神(経津主大神)
■鹿島大神(武甕槌大神)
上記は社頭掲示による。『平成「祭」データ』では天照大御神一座。『葛西誌』は「鹿島、香取大神二座を相殿に祀る」とする。神社明細帳では天照皇大御神・経津主命・武甕槌命の三座で、相殿・配祀等の記述はない。
また、神社明細帳によれば明治45年に無格社・諏訪神社の建御名方命を合祀しているが、現在の御祭神には含まれていない。旧鎮座地の諏訪公園に社があるようなので(ただし非法人)、戦後に復座したのかもしれない(未確認)。
由緒(歴史)
西小松川天祖神社は、江戸時代以前は神明社と称し、間々井香取神社とともに西小松川村の鎮守として崇敬されてきた。
水害で旧記等が流失したため創建年代等については詳らかでないが、社伝によれば、室町時代の康正2年(1456)下総国の千葉氏に仕えていた秋元刑部左衛門橘瀧次(現社家の祖先)が当地に来住し、神職として奉仕したという。以来、子孫が継承して現代に至る。
『新編武蔵風土記稿』の西小松川村の項を見ると、香取社(間々井香取神社)に「村の鎮守なり」、神明社(西小松川天祖神社)に「これも村の鎮守」とあり、村の北部にある香取社と南部の神明社がともに鎮守とされて崇敬されていたことがわかる。
明治維新の後に天祖神社と改称、明治5年(1872)村社に列格した。
明治45年(1912)2月26日、村内の無格社・諏訪神社を合祀する。ただし、現在は建御名方命が当社の御祭神に含まれておらず、旧鎮座地の諏訪公園に諏訪神社のお社があるので、戦後になって復座したのではないかと思われる(未確認)。
江戸時代以来たびたび社殿の改築が行われ、寛永5年(1628)、享保14年(1730)、宝暦4年(1754)、寛政5年(1793)、文化13年(1816)、昭和30年(1955)の棟札が残されている。
現在の社殿は慶応3年(1867)に造営され、昭和30年(1955)に増築したもの。平成14年(2002)本殿の土台などを全面的に改修した。
境内社としては、社殿の東に稲荷神社、西に疱瘡神社がある。『新編武蔵風土記稿』にも末社として稲荷神・疱瘡神が挙げられている。稲荷神社は文化5年(1808)の創建で、神社明細帳によれば御祭神は保食命。疱瘡神社は創建年代不詳である。
写真帖
メモ
荒川と並んで流れる中川に面して鎮座する。ただし、これは荒川放水路の開削公示以後のことで、かつては田畑が広がる中に鎮座していたのであろう。因みに元の西小松川村は荒川西岸の江戸川区小松川も含んでいた。
境内は広場のようになっており、一段高くなった基壇の上に社殿が建つ。周辺のマンションや民家との間が通常のブロック塀やフェンスになっており、社殿の基壇がコンクリートで固められていることもあって少々殺風景な印象を受ける。社殿そのものは端正な神明造の木造社殿である。
西小松川天祖神社の概要
名称 | 天祖神社 |
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通称 | 西小松川天祖神社 |
旧称 | 神明社 |
御祭神 | 天照大神〔あまてらすおおみかみ〕 〈相殿〉 香取大神〔かとりのおおかみ〕(経津主大神) 鹿島大神〔かしまのおおかみ〕(武甕槌大神) |
鎮座地 | 東京都江戸川区西小松川町1番3号 |
創建年代 | 康正2年(1456) |
社格等 | 旧村社 |
例祭 | 8月21日・22日 |
神事・行事 | 2月21日/祈年祭 ※『平成「祭」データ』による |
交通アクセス
□都営新宿線「船堀駅」より徒歩20分、またはバス
■都営バス新小岩駅前・錦糸町駅前行き「東小松川二丁目」下車徒歩6分