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染井稲荷神社 | 東京都豊島区

染井稲荷神社

染井稲荷神社は上駒込村染井の鎮守。江戸時代の染井は多くの植木屋が集住する園芸の中心地で、特にソメイヨシノの発祥の地として名高い。その名は当社の御手洗であった染井という泉に因むと伝わるが、江戸時代の半ばにはわずかにその跡を残すのみであったという。
豊島区の神社

正式名称 染井稲荷神社〔そめいいなりじんじゃ〕
御祭神 保食命
社格等 旧無格社
鎮座地 東京都豊島区駒込6-11-5 [Mapion|googlemap]
東都神社御朱印集
東京の神社400社以上の御朱印や由緒などの紹介。珍しい江戸時代から昭和戦前までの御朱印も掲載。
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御朱印

  • 染井稲荷神社の御朱印

    (1)

(1)平成29年拝受の御朱印。中央の朱印は「染井稲荷神社印」、下は「染井稲荷」、右に「染井よしの発祥の地」。

御由緒

境内

当社の由緒については、豊島区文化財調査委員だった鴻杜正三氏による『染井稲荷神社の由来と染井村』に詳しい。御朱印を拝受した際にいただいたので、これを中心に他の資料も参照しつつまとめてみる。

御祭神

■保食命

『平成「祭」データ』、東京都神社庁のサイト等による。昭和8年(1933)の『北豊島郡神社誌』では「保食命・大山祇命」、明治の神社明細帳では「祭神・保食命、合殿・大山祇命」とある。

御神体は石造の十一面観音像(稲荷大明神の本地仏)で、背面に延宝2年(1674)に「於松女、伊藤猪兵衛、西福寺祐心」によって造立された旨が刻まれている。「伊藤猪兵衛」は染井を代表する植木職人・伊藤伊兵衛のことであろう。もう一体、寛政年間(1789~1801)に黒川某が奉納した石像があったが、現在は西福寺に戻されているという。

『新編武蔵風土記稿』には、お前立として稲を負った老翁と荼枳尼天の木像が安置されていたことが記されている。

由緒

切絵図

染井稲荷神社は旧上駒込村字染井の鎮守。元は隣接する藤林山西福寺の境内社であった。
※西福寺公式サイト…https://somei-saifukuji.tokyo/

『江戸名所図会』の西福寺の項には「染井稲荷社 本堂の左にあり。往古よりの鎮座にして、染井一村の鎮守なり。昔、この所に染井と号〔なづ〕くる泉ありしが、今は水涸れてその跡を失う。村を染井というもこの泉によるとぞ」とある。

染井の里碑

染井地区は上駒込村の北西部に当たるが、元は一村であった。西福寺に残る明暦元年(1655)の銘のある六地蔵の碑に「武州豊島之郡染井村」とある。ただし『改正新編江戸志』には「往古はこの名なきにや、北条分限帳にも見えず、西ヶ原の内にて染井の里といふ也」とある。

『新編武蔵風土記稿』によれば、元禄年間(1688~1704)には「駒込村枝郷染井村」と記され、その後、時期は不明だが上駒込村の小名となり、「上駒込村染井」と呼ばれるようになったという。

江戸時代には庭木や盆栽を扱う植木屋が集住しており、特にソメイヨシノ発祥の地として名高い。まずツツジの名所として知られるようになり、楓・梅・椿など各種の植木が栽培された。中でも伊藤伊兵衛家は有名で、四代伊兵衛政武は「江府一番の植木屋也」と称された。

染井の植木屋は庭園を遊覧の場として開放していた。徳川吉宗は伊兵衛家など染井の植木屋をたびたび訪れたという。万延元年(1860)に染井を訪れた英国の植物学者ロバート・フォーチュンは「私は世界のどこへ行っても、こんなに大規模に、売り物の植物を栽培しているのを見たことがない」と述べており、世界でも有数の園芸植物の生産地であったことがわかる。

染井稲荷神社社殿

染井稲荷神社の創建については詳らかでないが、御神体の十一面観音の石像に「染井稲荷大明神本地 延宝二年二月吉日」の銘があり、延宝2年(1674)以前の創建であることが分かる。

『新編江戸志』には「染井稲荷の御手洗にて、往古より是を染井といふ。今は埋りて僅か計りに形残れり。此井あるゆゑに此辺を染井といふよし」とあるという。また『改正新編江戸志』には「正一位稲荷神社 古より鎮座にて此辺の鎮守也」とあり、染井の里の発祥と深く関わる古社であることが覗える。

『新編武蔵風土記稿』には「神体石造なり。秘して開扉せず。前立稲負老人、荼枳尼天像共に木像なり。また伊弉諾尊、伊弉冉尊共に石造、聖天一躯皆相殿す。染井一区の鎮守神なり」とある。

神宝に木製黒漆塗りで三つ葉葵の紋が入った御神酒徳利一対がある。『染井稲荷神社の由来と染井村』によれば、年代から推測して、徳川吉宗が伊藤伊兵衛家に小休した際に下賜されたものを奉納したのではないかという。

『北豊島郡神社誌』によれば、安永3年(1774)の『江戸近在名所集』に「午の日に返す染井の借りた傘」という川柳があり、また寛政2年(1790)に染井の氏子が奉納した大幟などさまざまな奉納品が残っており、往時の繁栄を知ることができる。

染井稲荷神社古写真

『北豊島郡神社誌』(昭和8年)より(国会図書館デジタルコレクション)

明治の神仏分離により西福寺から独立する。旧社格制度においては無格社であった。

昭和6年(1931)社殿の改築が行われた。第二次世界大戦の戦災も免れて現在に至る。

境内社

稲荷社

境内社としては稲荷社がある。神社明細帳によれば、御祭神は本社と同じく保食命である。

写真帖

社頭風景

社頭風景

鳥居

鳥居

手水舎

手水舎

手水鉢

手水鉢

染井の里碑

「染井の里」碑

稲荷社

稲荷社

境内

境内

狛犬

狛犬

拝殿

拝殿

拝殿の扁額

拝殿の扁額「神徳惟馨」伊藤博文筆

本殿

本殿

染井稲荷神社社殿

社殿

メモ

旧別当・西福寺に隣接して鎮座する。向かいには平成21年(2009)に開園した豊島区立染井よしの桜の里公園がある。ソメイヨシノ発祥の地の神社に相応しく、境内にはソメイヨシノが植えられ、桜の季節には見事な花を咲かせる。

初めての参拝は平成20年頃だったと記憶するが、当時は御朱印の対応をしておらず、宮守の方から申し訳なさそうに断られて『染井稲荷神社の由来と染井村』の冊子をいただき、かえって恐縮した。その後、ネットで御朱印対応を始めたことを知り、平成29年の正月に参拝、御朱印をいただいた。

その上で4月の桜の時期に写真を撮ろうと計画したのだが、ちょうどいい時期に時間が取れず、花の盛りを過ぎた頃の参拝となった。とはいえ、境内が桜の花びらで覆われ、これはこれで風情のある情景を楽しむことができた。

拝殿には伊藤博文の筆になる「神徳惟馨」の扁額が掲げられている。

染井稲荷神社の概要

名称 染井稲荷神社
旧称 稲荷神社
御祭神 保食命〔うけもちのみこと〕
鎮座地 東京都豊島区駒込六丁目11番5号
創建年代 延宝2年(1674)以前
社格等 旧無格社
例祭 9月15日に近い土・日曜日
神事・行事 1月1日/歳旦祭
2月11日/初午祭
6月30日/大祓式
12月31日/除夜祭

交通アクセス

□JR山手線・東京メトロ南北線「駒込駅」より徒歩約8分

豊島区の神社
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