巣鴨大鳥神社・子育稲荷神社は、元は巣鴨稲荷社と称し、貞享5年(1687)巣鴨村の新左衛門が勧請したことにはじまる。嘉永2年(1849)別当・霊感院の住職が「子育稲荷大明神」と称して霊験を鼓吹し、多くの参詣者が集まるようになった。元治元年(1864)より酉の市を行うようになり、巣鴨大鳥神社とも呼ばれるようになった。
正式名称 | 稲荷神社〔いなりじんじゃ〕 |
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通称 | 巣鴨大鳥神社〔すがも おおとりじんじゃ〕 子育稲荷神社〔こそだて いなりじんじゃ〕 |
御祭神 | 宇迦之御魂命 日本武尊 |
社格等 | 旧無格社 |
鎮座地 | 東京都文京区千石4-25-15 [Mapion|googlemap] |
御朱印
(1)平成17年拝受の御朱印。中央の朱印は「巣鴨大鳥神社」、右上は「神璽」、左下の印は宮司さんのお名前と思われる。
(2)平成28年拝受の御朱印。朱印・揮毫ともに平成17年のものと同じ。
御由緒
子育稲荷神社・巣鴨大鳥神社は、貞享5年(1687)巣鴨村の新左衛門というものの勧請により巣鴨稲荷社として創建された。元禄9年(1696)日蓮宗の稲荷山霊感院(現・廃寺)が別当となる。宝暦5年(1755)時の鐘が造られ、明治の初めまで刻を告げたという。
嘉永2年(1849)当時の霊感院住職が大願を発し、「子育稲荷大明神」と改称して社殿を建立、『慈悲の手の内』という文書を著して霊験を鼓吹したところ、多くの参詣者が集まるようになった。社前の通りも賑わうようになり、「いなり横丁」あるいは「いなり小路」と呼ばれるようになった。戦前までは毎月13日が縁日で、露店も出て大変賑わったという。
元治元年(1864)より酉の市が行われるようになり、今に続いている。以来、巣鴨大鳥神社の通称で知られるようになった。
昭和20年(1945)戦災で社殿等焼失、同24年(1949)仮社殿を建立。同56年(1981)稲荷神社の社殿を新築し、大鳥大神(日本武尊)と相殿で祀られていた稲荷大神(宇迦之御魂命)を分祀した。
補足
一般には巣鴨大鳥神社の名で知られ、社務所の看板や御朱印も「巣鴨大鳥神社」となっているのだが、宗教法人としては「稲荷神社」が正式名称となる。御祭神についても、東京都神社庁のサイトでは「日本武尊」と「保食神命(うがのみたまのみこと)」で、同格もしくは巣鴨大鳥神社が優先的な扱いになっているが、『平成「祭」データ』では主祭神は宇迦之御魂命のみで、大鳥神社の日本武尊は境内社としての扱いである。ただ、現状では大鳥神社が本社で、子育稲荷が境内社のような印象になっている。
資料
小石川区史
稲荷神社(子育稲荷)
宮下町に在り、祭神は保食命である。俗に子育稲荷とも呼ばれ、又合殿に大鳥大神を祀るので大鳥神社とも言ふ。その由緒は不明であるが、江戸時代には別当霊感院が有り、境内に時の鐘が有ったが、明治以後神仏分離した。現在の境内は百六十余坪、祭典は四月十三日及び十一月酉の日である。
写真帖
メモ
境内手前に子育て稲荷の社殿、奥に大鳥神社の仮殿がある。社殿の再建が計画されたこともあったようだが、景気の低迷のため、中断したままになっているようだ。何度か参拝したが、そのたびに不在のようだったので、酉の市に参拝して御朱印をいただくことができた。
酉の市は前の通りに多くの屋台が並び、境内には熊手の店も出て大変盛大である。
巣鴨大鳥神社の概要
名称 | 稲荷神社 |
---|---|
通称 | 巣鴨大鳥神社 子育稲荷神社 |
旧称 | 稲荷社 巣鴨稲荷社 |
御祭神 | 〈子育稲荷神社〉 宇迦之御魂命〔うかのみたまのみこと〕 〈巣鴨大鳥神社〉 日本武尊〔やまとたけるのみこと〕 |
鎮座地 | 東京都文京区千石四丁目25番15号 |
創建年代 | 貞享5年(1687) |
社格等 | 旧無格社 |
例祭 | 2月初午(初午祭) 11月一の酉(酉の市) |
神事・行事 | 11月酉の日/酉の市 |
交通アクセス
□JR山手線・都営三田線「巣鴨駅」より徒歩5分
□都営三田線「千石駅」より徒歩5分
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