十勝神社 | 北海道広尾郡広尾町

十勝神社

十勝神社は十勝地方最古の神社。シマウリ海岸に漂着した流木が龍神に似ていたため、社を設けてお祀りすると年々豊漁が続いたため、人々の信仰を集めて刀勝大明神と呼ばれるようになったという。明治になって御祭神を大綿津見神とし、社号を十勝神社と改めた。

正式名称 十勝神社〔とかち じんじゃ〕
御祭神 大綿津見神 保食神 塩土老翁神
社格等 旧県社
鎮座地 北海道広尾郡広尾町茂寄1番地13 [Mapion|googlemap]
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目次

御朱印

  • 十勝神社の御朱印

    (1)

(1)平成22年に拝受した御朱印。朱印は「十勝國一ノ宮十勝神社」。

昔の御朱印

  • 十勝神社の御朱印

    (1)

(1)大正15年(1926)頃の御朱印。中央の朱印は「神璽」。上の印は「十勝神社」、下は「社司之印」。

御由緒

拝殿

御祭神

■大綿津見神
■保食神
■塩土老翁神

保食神は明治22年(1889)に合祀された稲荷神社の御祭神。塩土老翁神は同年合祀された鹽竈神社の御祭神。『平成「祭」データ』では保食神を配祀、塩土老翁神を合祀としている。

『明治神社誌料』は主祭神を大綿津見神、合祀の神を塩土老翁大神・武甕槌大神・経津主大神・倉稲魂大神・猿田彦大神・大宮能女大神の六柱とする。塩土老翁・武甕槌・経津主の三柱が鹽竈神社、倉稲魂・猿田彦・大宮能女の三柱が稲荷神社の御祭神と思われる。

由緒

拝殿

 

十勝神社は、かつてのトカチ場所の中心であった広尾町に鎮座する。十勝地方で最も古い神社であり、十勝国一ノ宮を称する。江戸時代には刀勝〔トカチ〕大明神、戸賀智〔トカチ〕明神社などと呼ばれた。

「トカチ(十勝)」はもともと十勝川・浦幌十勝川を指す河川名、もしくは浦幌十勝川(かつての十勝川の本流)の河口にあるコタン名だが、広義には場所(松前藩が定めた交易場)を表す広域地名であり、それが転じて会所元であるヒロウ(広尾)を指すようにもなった。

創建年代は不詳だが、伝承によれば、当地のシマウス海岸に漂着した流木が龍神のような姿をしていたので、一社を設けてお祀りした。以来、毎年豊漁が続いたので人々の篤い信仰を集めるようになり、刀勝大明神と呼ばれるようなった。

その後、御神体の流木は彫刻が施されて木像とされた。その時期はわからないが、4寸ほどの小像で、聖徳太子の姿に似ていたという。

寛文6年(1666)松前藩の家老でトカチ場所を知行地としていた蠣崎蔵人広林〔ひろしげ〕が、主君・松前矩広の安泰を祈念し、円空作の観音像を本地仏として奉納した。現在、この像は町内の禅林寺に奉安され、道の有形文化財に指定されている。

もともと海岸部(現在の会所前)に鎮座していたが、19世紀初頭にトカチ会所が高台(現在の会所通)に移転した際、当社も一緒に遷座したと考えられている。弘化3年(1846)トカチ会所から出た火災で類焼するが、翌弘化4年(1847)トカチ場所請負人・福島屋杉浦嘉七によって再建された。

明治8年(1875)開拓使社寺係からの通達で、仏像・仏具を取り除き、御祭神を大綿津見神とすることになった。明治9年(1876)郷社に列格。

明治16年(1883)社殿が損壊し、明治22年(1889)再建された。この時、同じく明治16年に社殿が損壊した鹽竈神社と稲荷神社を合祀した。

鹽竈神社は、安政7年(1860)2月、十勝を領地とした仙台藩の陣屋に奥州一宮の鹽竈神社から御分霊を勧請したものである。明治16年に社殿が損壊した後、奥州の鹽竈神社に戻されていたが、明治21年(1888)合祀の許可を得、明治22年に合祀した。

稲荷神社は十勝神社の境内社で、天保6年(1835)神祗伯家の勧請と伝えられる。明治16年に社殿が損壊した後は本社に祀られていたが、明治21年に合祀の許可を得、明治22年正式に合祀した。

十勝神社古写真

『十勝宝盟鑑』(大正14年)より(国会図書館デジタルコレクション)

大正7年(1918)現社地に社殿を新築して遷座。さらに昭和16年(1941)新社殿の造営に着手し、翌昭和17年(1942)現在の総檜造りの本殿・幣殿・拝殿が落成した。

昭和20年(1945)5月、県社に昇格。

文化財

天保7年の手水鉢

天保7年(1836)奉納の手水鉢

■東蝦新道記彫字板(とうかしんどうきちょうじばん)

寛政10年(1798)10月24日、幕臣で探検家の近藤重蔵が択捉島・国後島探検の帰途、ヒロウを訪れた。そして、当地に滞在した11月1日までの間に、私費を投じ、危険な海岸沿いの道に替わるルベシベツからビタタヌンケ(えりも町との境)までの山道を開削した。これが蝦夷地における最初の道路開削とされる。

この顛末を従者の下野源助が板に彫って刀勝神祠(十勝神社)に奉納したのが「東蝦新道記彫字板」である。現在のものは、旧板が傷んだため万延元年(1860)に再刻されたもので、北海道の有形文化財に指定されている。

■手水鉢

天保7年(1836)トカチ会所の支配人・喜右衛門以下、トカチ場所で働く番人一同が、平安無事を祈って奉納したもので、広尾町の有形文化財に指定されている。

■石灯籠

慶応2年(1866)越後国糸魚川の北前船船頭・喜次郎が奉納したもの。同じく広尾町の有形文化財に指定されている。

写真帖

一の鳥居

一の鳥居

二の鳥居

二の鳥居

慶応2年の石灯籠

慶応2年奉納の石灯籠

狛犬

狛犬

天保7年の手水鉢

天保7年奉納の手水鉢

拝殿

拝殿

拝殿の彫刻

拝殿の彫刻

社号額

社号額

本殿

本殿

メモ

帯広から約2時間半バスに乗って参拝。4月の初めだったが、まだまだ雪が残っていた。なかなか行けるところではないので、確実に御朱印をいただきたいと思って事前に連絡を入れた。すると、参拝予定の時間帯はお留守ということで、書き置きの御朱印を準備してくださった。

十勝神社の概要

名称 十勝神社
旧称 刀勝大明神
御祭神 大綿津見神〔おおわたつみのかみ〕
〈配祀〉
保食神〔うけもちのかみ〕
〈合祀〉
塩土老翁神〔しおつちのおじのかみ〕
鎮座地 広尾郡広尾町茂寄1番地13
創建年代 寛文6年(1666)以前か
社格等 旧県社
例祭 9月21日
※9月20日/宵宮祭
※9月22日/後祭
神事・行事 1月1日/歳旦祭
1月15日/焼納祭(どんど焼)
2月2日/交通安全祈願祭
2月3日/厄除祭
4月下旬/大漁安全祈願祭
5月10日・11日/祈年祭(春祭り)
6月30日/大祓式
12月31日/大祓式・除夜祭
※『平成「祭」データ』による
文化財 〈道有形文化財〉東蝦新道記彫字板

交通アクセス

□JR根室本線「帯広駅」よりバス
■十勝バス広尾営業所前行き(約2時間30分)「十勝神社前」下車すぐ

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