豊栄稲荷神社は、元は田中稲荷神社と称し、現在の渋谷駅近くの渋谷川の畔に鎮座していた。鎌倉時代の初め、河崎重家によって創建されたと伝えられる。昭和27年(1952)道玄坂上の豊沢稲荷神社を合祀、同36年(1961)区画整理のため金王八幡宮隣の現社地に遷座、豊栄稲荷神社と改称した。
正式名称 | 豊栄稲荷神社〔とよさかいなりじんじゃ〕 |
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御祭神 | 宇迦之御魂命(田中稲荷大神・豊沢稲荷大神) |
社格等 | 旧無格社 |
鎮座地 | 東京都渋谷区渋谷3-4-7 [Mapion|googlemap] |
御朱印
平成22年拝受の御朱印。中央の朱印は「豊榮稲荷神社」、左下は「豊栄稲荷神社社務所」。
※御朱印は金王八幡宮で拝受できる。
御由緒
渋谷川のほとりに鎮座していた田中稲荷神社に、道玄坂上に鎮座していた豊澤稲荷神社を合祀し、昭和36年(1961)現社地に遷座して豊栄稲荷神社と称するようになった。
田中稲荷神社は、鎌倉時代の初め、渋谷高重によって奉斎されたと伝えられる。高重は、渋谷八幡宮(金王八幡宮)を創建した河崎基家の曾孫である。
旧鎮座地は渋谷駅に近い渋谷川のほとりであった。かつて渋谷川は渋谷城の堀として利用されていたことから堀ノ外稲荷と呼ばれていたという。江戸時代の文化年間の頃から田中稲荷と称されるようになり、また、川の端にあることから川端稲荷とも呼ばれた。
『豊多摩郡誌』(大正5年)には「旧中豊沢村の内にて昔は附近五ヶ村の氏神なりし由」「金王八幡神社の境外末社なり」とある。
豊澤稲荷は、猿楽町にあった豊岡藩京極家の下屋敷に祀られていたが、明治の初めに道玄坂上に遷座し、中豊沢にあった多くの稲荷祠を合祀したという。
当時の正式名称は稲荷神社で、豊沢稲荷の名は鎮座地(中渋谷字豊沢)によるのであろう。『豊多摩郡誌』では稲荷社とあり、「金王八幡神社の境外末社なり」とする。
昭和27年(1952)豊澤稲荷を田中稲荷に合祀、さらに同36年(1961)都の区画整理のため、金王八幡宮に隣接する現社地に遷座し、豊栄稲荷と称するようになった。現社殿は昭和47年(1972)に落成したもの、さらに同50年(1975)研修道場「蔵脩館」が建てられた。
境内に並べられた庚申塔は、江戸時代、中渋谷村・中豊沢村・宮益町などに建立されたもので、延宝2年(1672)から元文4年(1739)までの銘がある。明治になって都市化が進む中、順次、田中稲荷の境内に集められたという。
昭和35年(1960)田中稲荷が現社地に遷座して豊栄稲荷神社と称するようになったとき、これらの庚申塔は金王八幡宮の社殿脇に移された。しかし同47年(1972)金王八幡宮と豊栄稲荷の境内が整備された際、再度、豊栄稲荷境内に移された。
写真帖
メモ
金王八幡宮と道をはさんで隣接している。正面の鳥居をくぐると、稲荷神社らしく拝殿まで朱の鳥居が並ぶ。境内の周囲には信者から奉納された赤い提灯がつり下げられている。休みの日などは、研修道場から剣道の稽古をしているらしい声が聞こえる。
豊栄稲荷神社の概要
名称 | 豊栄稲荷神社 |
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旧称 | 田中稲荷神社/稲荷神社 堀ノ内稲荷 川端稲荷 豊沢稲荷神社/稲荷神社 |
御祭神 | 宇迦之御魂命〔うかのみたまのみこと〕(田中稲荷大神・豊沢稲荷大神) |
鎮座地 | 東京都渋谷区渋谷三丁目4番7号 |
創建年代 | 鎌倉時代の初め |
社格等 | 旧無格社 |
例祭 | 10月13日 |
神事・行事 | 1月1日/歳旦祭 2月17日/祈年祭 旧2月午の日/初午祭 6月30日/大祓 11月23日/新嘗祭 12月31日/大祓 ※『平成「祭」データ』による |
交通アクセス
□JR山手線・東急東横線・東京メトロ「渋谷駅」より徒歩約10分