
阿波国の国分寺。聖武天皇の勅願によって全国に創建された国分寺の一つ。寺伝によれば行基菩薩の開基で、自ら刻んだ薬師如来像を本尊として安置したという。弘仁6年(815)弘法大師が参籠したと伝えられる。天正年間(1573~92)の兵火で焼失し、寛保元年(1741)吼山養獅和尚が再興、曹洞宗に改められた。
| 名称 | 薬王山 金色院 国分寺 |
|---|---|
| 御本尊 | 薬師如来 |
| 本尊真言 | おん ころころ せんだり まとうぎ そわか |
| 御詠歌 | 薄く濃くわけわけ色を染めぬれば 流転生死も秋のもみじ葉 |
| 所在地 | 徳島県徳島市国府町矢野718-1 [Mapion|googlemap] |

阿波国分寺の納経(御朱印)


(1)平成元年に拝受した納経。揮毫は「薬師如来」。中央の宝印は「仏法僧」の三宝印。右上の朱印は「四国十五番」、左下は「国分之寺」。
(2)平成18年に拝受した納経。揮毫は薬師如来の種字「バイ」に「薬師如来」。朱印は平成元年のものと同じ。
昔の納経



(3)天保11年(1840)の納経。揮毫は「奉納十五番」「本尊薬師如来」「阿州薬王山」「国分寺」。中央の宝印は勅願所であることを示す十六八重菊の御紋。右上の朱印は「一国一場」、左下は「国分禅寺」。
(4)天保12年(1841)の納経。揮毫は「奉納十五」「本尊薬王佛」「薬王山」「国分禅寺」。朱印は天保11年のものと同じ。
(5)明治38年(1905)の納経。揮毫は「奉納」「本尊薬師如来」「アハ(阿波)国分寺」。中央の宝印は「仏法僧」の三宝印、右上の印は「四国十五番」、左下は「国分之寺」で、いずれも現在のものとほぼ同じ。
略縁起
天平13年(741年)聖武天皇の勅願によって全国に建立された国分寺の一つ。寺伝によれば開基は行基菩薩で、自ら刻んだ薬師如来を安置したという。聖武天皇が釈迦如来像と大般若経を納め、また光明皇后の御位牌厨子が奉安されたと伝えられる。
当時は法相宗であったが、弘仁6年(815)四国巡錫中の弘法大師が参籠され、真言宗に改められたという。
天正年間(1573~92)長宗我部の兵火にかかって焼失。元禄2年(1689)の『四国徧礼霊場記』では、小さなお堂に薬師如来を祀るのみとなっている。
寛保元年(1741)丈六寺の吼山養獅和尚により再興され、曹洞宗に改められる。この時再建された本堂は重層入母屋造の立派なものである。内部には聖武天皇と光明皇后の位牌も安置されている。天保年間(1830~43)には大師堂が再建された(平成7年に火災で焼失)。
本堂の向かって右側には烏枢沙摩明王〔うすさまみょうおう〕堂があり、弘法大師の作と伝えられる烏枢沙摩明王が祀られている。天正の兵火で唯一焼け残ったものともいわれる。
ただ、烏枢沙摩明王はむしろ曹洞宗で祀られることの多い尊格である。また、四国偏礼道指南や四国徧礼霊場記にも烏枢沙摩明王のことは触れていないが、『日本歴史地名大系 徳島県の地名』によれば、『奇応記』に、文化13年(1816)風眼のために目が見えなくなっていた名西郡石井村(現・石井町)の百姓が、国分寺の雪隠に祀られていた烏枢沙摩明王に一心に祈願して目が見えるようになったという逸話が記されているという。
うに、烏枢沙摩明王が祀られるようになったのは吼山和尚による再興以降のことではないだろうか。現在の本堂が完成した後、それまで本尊の薬師如来を祀っていた堂に烏枢沙摩明王を祀るようになったと考えれば、辻褄があうように思うのだが。
境内にはかつての七重塔の心礎や小堀遠州作という庭園も残る。
現在の山号は薬王山だが、『四国徧礼霊場記』では法養山となっている。江戸時代の納経帳でも薬王山になっているが、法養山となっている例もあり、詳細についてはよくわからない。
写真帖



阿波国分寺の概要
| 山号 | 薬王山(やくおうざん) |
|---|---|
| 寺号 | 国分寺(こくぶんじ) |
| 院号 | 金色院(こんじきいん) |
| 通称 | 阿波国分寺 |
| 御本尊 | 薬師如来 |
| 所在地 | 徳島県徳島市国府町矢野718番地1号 |
| 創建年代 | 天平13年(741) |
| 開山 | 行基菩薩 |
| 宗派等 | 曹洞宗 |
| 文化財 | 〈名勝〉庭園 〈県史跡〉阿波国分寺跡 |
交通アクセス
□JR徳島線「府中駅」より徒歩約40分

