名称 | 医王山 無量寿院 薬王寺 |
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御本尊 | 厄除薬師如来 |
所在地 | 徳島県海部郡美波町奥河内285-1 [Mapion|googlemap] |
公式サイト | http://yakuouji.net/ |
【本尊真言】
おん ころころ せんだり まとうぎ そわか
【御詠歌】
皆人の病みぬる年の薬王寺 瑠璃の薬をあたえましませ
【略縁起】
寺伝によれば神亀3年(726)聖武天皇の勅願により行基菩薩が開創した。弘仁6年(815)平城天皇の勅により、弘法大師が厄除薬師如来を刻んで本尊とし、厄除けの根本祈願寺とした。以来、嵯峨天皇や淳和天皇など歴代天皇が厄除けの勅使を差し遣わし、今も厄除けの寺として全国的に信仰を集めている。
薬王寺の納経(御朱印)
(1)平成元年拝受の納経。揮毫は薬師如来の種字「バイ」に「厄除薬師」。中央の宝印は火炎宝珠に薬師如来の種字「バイ」。右上の朱印は「四国第廿三番」、左下は「無量寿院」。
(2)平成18年に拝受した納経。揮毫・朱印ともに平成元年のものと同じ。
江戸時代の納経
(1)天保11年(1840)の納経。揮毫は「奉納」「本尊厄除薬師如来」「阿州 薬王寺 役人」。中央の宝印は火炎宝珠に薬師如来の種字「バイ」。右上の朱印は「四国廿三番」、左下は判読できない。
(2)天保12年(1841)の納経。揮毫は「奉納経」「本尊厄除薬師如来」「阿州日和佐」「薬王寺」。薬王寺のある奥河内村は日和佐浦の枝村だった。朱印は天保11年のものと同じ。
明治時代の納経
(1)明治38年(1905)の納経。揮毫は判読しづらいが「奉納」「バイ(薬師如来の種字)厄除薬師如来」「薬王寺」と思われる。中央の宝印は火炎宝珠に薬師如来の種字「バイ」。右上の朱印は「四国第廿三番」、左下は「無量寿院」。
薬王寺について
山号 | 医王山(いおうざん) |
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寺号 | 薬王寺(やくおうじ) |
院号 | 無量寿院(むりょうじゅいん) |
御本尊 | 厄除薬師如来 |
所在地 | 徳島県海部郡美波町奥河内字寺前285番地1号 |
創建年代 | 神亀3年(726) |
開山 | 行基菩薩 |
宗派等 | 高野山真言宗 別格本山 |
備考 | 阿波七福神霊場(寿老人) |
覚え書き
厄除けの寺として全国的に知られる阿波国最後の札所。寺伝によれば、神亀3年(726)聖武天皇の勅願により行基菩薩が開創したとされる。
弘仁6年(815)、平城天皇の勅願により、弘法大師が薬師如来像を刻んで本尊とし、厄除け祈願の根本道場とした。以後、嵯峨・淳和天皇など、歴代天皇が厄除けの勅使を差し遣わしており、現在に到るまで厄除けの寺として広く信仰を集めている。
文治4年(1188)、大火のために諸堂は焼失したが、本尊は光を放ちながら玉厨子山に飛び去った。その後、伽藍が再建されて、新しい本尊が安置した。すると、以前の本尊が玉厨子山より戻ってきて、後ろ向きに本堂へ入ったという。そのため、薬王寺の本堂には前向きと後向きの二体の本尊がある。
その後も天正年間(1573~92)の長宗我部の兵火など、たびたび祝融の災に遭うが、その度に再建されてきた。
仁王門をくぐると33段の女厄坂があり、絵馬堂を抜けると本堂前まで42段の男厄坂がある。さらに本堂の横から瑜祇塔まで60段の還暦厄坂があり、それぞれ一段ごとに厄銭を供える。
本堂の脇には弘法大師の石像を祀ったお堂があり、霊水が湧いている。肺病などに効果があると言われるところから、「肺大師」の名がある。
瑜祇塔は『金剛峰楼閣一切瑜伽瑜祇経』という経典に基づくもので、昭和38年(1963)に建立された(因みに高野山の金剛峯寺という寺号も、この経典に由来している)。五つの相輪を備えた端正な姿で、薬王寺のシンボルともいうべき存在である。内部には金剛界の五智如来を安置し、寺宝なども展示されている。
奥の院は、御本尊が避難したという玉厨子山の泰仙寺である。