第44番 菅生山 大寶寺

44番大宝寺

名称 菅生山 大覚院 大宝寺
御本尊 十一面観世音菩薩
所在地 愛媛県上浮穴郡久万高原町菅生1173 [Mapion|googlemap]

【本尊真言】
おん まか きゃろにきゃ そわか

【御詠歌】
今の世は大悲のめぐみ菅生山 ついには弥陀の誓いをぞまつ

【略縁起】
用明天皇の御代(585~87)に百済の聖僧がこの山中に奉安したという観音像を、大宝元年(701)猟師の明神右京・隼人兄弟が発見し、草庵に祀ったことに始まる。これを聞いた文武天皇は勅命を下して寺院を建立し、年号に因んで「大宝寺」と名付けられた。弘仁13年(822)弘法大師が滞在し、密教の修法を行ったという。

大宝寺の納経(御朱印)

  • 44番大宝寺の納経

    (1)

  • 44番大宝寺の納経

    (2)

(1)平成元年拝受の納経。揮毫は十一面観音の種字「キャ」に「十一面観音」。中央の宝印は蓮台上の円に十一面観音の種字「キャ」、不動明王の種字「カーン」、毘沙門天の種字「ベイ」。右上の印は「四国四拾四番」、左下は「菅生山」。

(2)平成18年に拝受した納経。揮毫・朱印ともに平成元年のものと同じ。

江戸時代の納経

  • 天保11年の納経

    (1)

  • 天保12年の納経

    (2)

(1)天保11年(1840)の納経。揮毫は「奉納」「キャ(十一面観音の種字)円通殿」「菅生山」「大寶寺」。円通殿は観世音菩薩を祀るお堂のこと。観世音菩薩の異称・円通大士による。中央の宝印は勅願所であることを示す五七の桐と十六八重菊の御紋。右上の印は「四拾四番」、左下は「菅生山」。

(2)天保12年(1841)の納経。揮毫は「奉納」「本尊十一面観音」「菅生山」「大寶寺」。朱印は天保11年のものと同じ。

明治時代の納経

  • 明治38年の納経

    (1)

(1)明治38年(1905)の納経。版木押しで、「奉納経」「本尊十一面観音」「菅生山」「大寶寺」。朱印は現在のものとほぼ同じで、中央の宝印は蓮台上の円に十一面観音の種字「キャ」、不動明王の種字「カーン」、毘沙門天の種字「ベイ」。右上の印は「四国四拾四番」、左下は「菅生山」。

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大宝寺について

山号 菅生山(すごうざん)
寺号 大寶寺(だいほうじ)
院号 大覚院(だいかくいん)
御本尊 十一面観世音菩薩
所在地 愛媛県上浮穴郡久万高原町菅生1173番地
創建年代 大宝元年(701)
開基 明神右京・隼人
宗派等 真言宗豊山派

覚え書き

弘法大師を接待したという老婆・お久万さんの名に因むと伝えられる久万の町の山中に、たびたびの火災を乗り越えて再建された堂宇が並ぶ。
寺伝によれば、用明天皇の御代、百済の僧が奉持した観音像を、狩人の明神右京・隼人兄弟が発見し、草庵に安置したことを起源とする。大宝元年(701)文武天皇の勅願により寺院を建立し、年号に因んで大寶寺と号する。弘仁年間(810~24)弘法大師が留錫した。
仁平2年(1152)失火により焼失するが、保元年間(1156~58)後白河法皇が病気平癒を祈願したところ、霊験があったので、勅願寺として再建。妹宮を住職として下向させた。妹宮が亡くなった後は五輪塔と墓廟を建立し、陵権現〔みささぎごんげん〕として祀ったという。
朝廷との関わりが深く、庶民の信仰も得て寺運は隆盛した。七堂伽藍を備え、最盛期には山内に48坊を数えたというが、天正年間(1573~92)長宗我部の兵火により再び焼失。元禄年間(1688~1704)住職の雲秀法師が再興した。
寛永15年(1638)には大覚寺の空性法親王〔くうしょうほっしんのう〕(後陽成天皇の弟君)が大寶寺から出発して四国霊場を巡拝しており、同行した大寶寺の賢明が『空性法親王四国霊場御巡行記』を遺している。
明治7年(1874)塔頭の理覚坊を残して三度全焼。現在の伽藍はそれ以降の再建である。
なお、かつて45番札所岩屋寺は大寶寺の奥の院であった。

写真帖

  • 大師堂

    大師堂

  • 本堂

    本堂


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