第80番 白牛山 国分寺 | 香川県高松市

80番讃岐国分寺

聖武天皇の勅願によって全国に建立された国分寺の一つ。寺伝によれば行基菩薩が丈六の十一面観世音菩薩の像を刻み、本尊として安置したという。『続日本紀』の記事から、天平勝宝8年(756)には完成していたことがわかっている。伽藍は後世の再建だが創建時と同じ場所にあり、以降の保存状態が良いことから国の特別史跡に指定されている。

名称 白牛山 千手院 国分寺
御本尊 十一面千手観世音菩薩
本尊真言 おん ばざら たらま きりく
御詠歌 国を分け野山をしのぎ寺々に 詣れる人を助けましませ
所在地 香川県高松市国分寺町国分2065 [Mapion|googlemap]
公式サイト https://sanukikokubunji.jp/
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目次

讃岐国分寺の納経(御朱印)

80番国分寺の納経
(1)
80番国分寺の納経
(2)

(1)平成元年拝受の納経。揮毫は「千手尊」と思われる。中央の宝印は円の中に蓮台と千手観音の種字「キリーク」。右上の印は「四国八十番」、左下は「千手院」。

(2)平成19年拝受の納経。揮毫・朱印ともに平成元年のものと同じ。

昔の納経

天保11年の納経
(3)
天保12年の納経
(4)
明治38年の納経
(5)

(3)天保11年(1840)の納経。版木押しで「讃岐」「国分寺 大悲殿」「惣目代」。中央の朱印は勅願所を示す十六八重菊の御紋。右の印は「四国八十番」、左下は現在のものとほぼ同じ「千手院」。

(4)天保12年(1841)の納経。版木・朱印ともに天保11年のものと同じ。

(5)明治38年(1905)の納経。揮毫は「奉納経」「本尊千手観音」「サヌキ(讃岐)国分寺」。中央の宝印は「仏法僧宝」の三宝印。右上の印は「四国八十番」、左下は現在のものとほぼ同じ「千手院」。

略縁起

聖武天皇の勅願によって諸国に建てられた国分寺の一つ。『続日本紀』の記事から、天平勝宝8年(756)には完成していたことがわかっている。

讃岐国分寺は建物こそ後世の再建であるが、創建時の境内と同じ場所にあり、しかも遺構の保存状態がよいので、国の特別史跡に指定されている。

寺伝によれば、行基菩薩の開創で、丈六の千手観音を刻んで本尊とした。弘仁年間(810~24)弘法大師が留錫し、伽藍や本尊を修復したという。

現在の本堂は鎌倉時代のもので、創建時の講堂の礎石を利用している。天正年間(1573~92)長宗我部の兵火にかかるが、本堂は焼失を免れた。その前には金堂の礎石が残っている。

行基菩薩の作と伝えられる巨大な本尊は、実際には平安後期のもののようで、永長元年(1096)に出された諸国の国分寺に丈六の観音像を安置するようにという命との関連が考えられるという。

境内の鐘楼にかかる梵鐘は、県内最古という名鐘。天平年間の鋳造とも伝えられる。伝説によれば、この鐘は香川郡安原郷(高松市塩江町)の百々渕に住む大蛇がかぶっていたものという。この大蛇が周囲の人々に害をなすため、弓の名人の戸次八郎が退治に向かったが、鐘をかぶっているために矢が当たらなかった。そこで、日頃信仰する国分寺の千手観音に祈願したところ、見事に討ち取ることができたので、その鐘を奉納したという。

後に高松藩主となった生駒一正は、名鐘と名高いこの鐘を持ち帰り、御城下で時を告げる鐘とした。ところが、それ以来、高松の町には怪異が起こり、しかも鐘はかつての美しい音を響かせることなく「国分にいぬ(帰る)」と鳴った。一正は鐘の祟りと悟り、国分寺に返したと伝えられる。

写真帖

讃岐国分寺
仁王門
鐘楼
鐘楼
境内
境内(金堂の礎石)
大師堂
大師堂
本堂
本堂

讃岐国分寺の概要

山号 白牛山(はくぎゅうざん)
寺号 国分寺(こくぶんじ)
院号 千手院(せんじゅいん)
通称 讃岐国分寺
御本尊 十一面千手観世音菩薩
所在地 香川県高松市国分寺市国分2065番地
創建年代 天平13年(741)
開山 行基菩薩
宗派等 真言宗御室派
文化財 〈重文〉本堂 木造千手観音立像 銅鐘 〈特別史跡〉讃岐国分寺跡

交通アクセス

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