天保15年(1844)六十六部の納経帳(5)

天保15年六十六部納経帳表紙

天保15年(1844)から弘化4年(1847)にかけて、信濃国の人と思われる六十六部廻国行者が信濃から東海、紀州、四国、中国、丹後、若狭を経て信濃に戻った巡礼の納経帳。そのうち出雲国内の寺社の納経を紹介する。

出雲国内で納経を受けた寺社は前回紹介した安来の清水寺を含めて15ヶ所。この納経帳では一番多い。

清水寺から西に進んで宍道湖南岸の寺社を巡り、杵築大社(現在の出雲大社)を参拝。その後、島根半島の寺社を参拝しながら東に進み、最後に松江市(旧島根町)の潜戸太神宮(現在の加賀神社)を参拝した後、再び伯耆国に入っている。安来の清水寺から潜戸太神宮まで約20日で巡拝している。

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出雲国分寺(安国寺)/平濱八幡宮

出雲国分寺・平濱八幡宮の納経

【右】出雲国分寺(安国寺)
天平山 国分寺(宝亀山 安国寺)
本尊:薬師如来(安国寺の本尊は十一面観音)
宗派:臨済宗
所在地:出雲国意宇郡竹矢村(島根県松江市竹矢町)

■墨書は「奉納経/雲州竹矢/本尊薬師如来/天平山國分寺/役者/行者丈」、日付は弘化三年午六月二十九日」。中央の宝印は「佛法僧寶」の三宝印、左下の印は「國分寺」。
※出雲国分寺は早くに退転したが、本尊の薬師如来像などは近くの安国寺に遷され、現在に至っている(中国四十九薬師霊場39番の札所本尊)。この納経は出雲国分寺としてのものだが、実際には安国寺で受けたものと見て間違いないだろう。

【左】平濱八幡宮
平濱八幡宮
祭神:応神天皇・仲哀天皇・神功皇后
所在地:出雲国意宇郡八幡村(島根県松江市八幡村)

■墨書は「雲州八幡/平濱八幡宮 大廣前/大宮司/惣検校内/役人」、日付は「弘化三年六月二十九日」。中央の宝印は五七の桐と十六八重菊の御紋。右上の朱印は白抜きで「御祈願所」、左下は「平濱」。

★安木の清水寺から山陰街道に戻り、松江方向に進んだのであろう。安国寺は山陰街道から少し東に入ったところにある。平濱八幡宮は山陰街道沿いにあり、安国寺からは700mほどしか離れていない。
★次の伊弉諾大社(現在の真名井神社)は平濱八幡宮の前の道(現在の県道247号線、八重垣神社竹矢線)を西に2kmほど進んだところにある。

真名井神社

真名井神社・?の納経

【右】真名井神社
伊弉諾大社(真名井神社)
祭神:伊弉諾神
所在地:出雲国意宇郡山代村(島根県松江市山代町)

■墨書は「出雲国/伊弉諾大社 大御前/廣江神主」、日付は「弘化三年丙午年六月廿九日」。中央の宝印は二重亀甲に「齋」。右上の朱印は白抜きで「式内真名井神社」、左下は「景明」で、神主の名前か?

【左】不明(真名井神社か?)

■墨書は「出雲國/高天大明神/天瓊矛尊/長谷川□□」、日付は「弘化三午六月晦日」。中央の宝印はない。左下の印は「藤原□□」。
※高天大明神とあるが、伊弉諾大社(真名井神社)と次の神魂大社(神魂神社)の間に相当すると思われる神社がない。少し離れたところに惣社六所大明神(六所神社)があるが、祭神等から違うと思われる。対応したのは長谷川氏になっているが、江戸時代前期に伊弉諾大社が神魂大社から独立した際に神主となったのが長谷川氏である(六所大明神は神魂大社の秋上氏が兼帯)。よって伊弉諾神社(真名井神社)に関係しているのではないかと思われるが、現時点では断言できない。

★次の神魂大社(神魂神社)は伊弉諾大社の南西約1.3kmのところにある。

神魂神社/菅原天満宮

神魂神社・菅原天満宮の納経

【右】神魂神社
神魂大社(神魂神社)
祭神:伊弉冉大神・伊弉諾大神
所在地:出雲国意宇郡大庭村(島根県松江市大場町)

■墨書は「同国/神魂大社/祭神 伊弉諾尊 伊弉冉尊/別火(花押)」、日付は「弘化三午六月晦日」。右上の印は判読できない。

【左】菅原天満宮
菅原天満宮
祭神:菅原道真
所在地:出雲国意宇郡上来海村(島根県松江市宍道町上来待)
公式サイト:http://www.mable.ne.jp/~s-tenma/

■墨書は「出雲国/御祈願所/御誕生地也/菅原天満宮/神主/土師宿祢後胤菅氏」、日付は「弘化三午年七月 日」。中央の宝印は「御祈禱」、その上の印は「唯弌神道」(弌=一)。右の印は白抜きで「菅原」。左下の印は判読できない。

★菅原天満宮は宍道湖に流れ込む来待川の上流に鎮座する。神魂神社から山陰道に戻って宍道湖の南岸を西に進み、来待川を南に進んだのだろうと思われる。
★次の一宮神社(三刀神社)は斐伊川上流に鎮座する。菅原天満宮からは一度山陰道に戻り、宍道宿から出雲街道を進んだと考えられるが、山陰道に戻らず山中の道を使って出雲街道に入った可能性もあるだろう。

三刀神社/出雲大社

三屋神社・出雲大社の納経

【右】三刀神社
一宮神社(三刀神社)
祭神:素戔嗚尊(現在は大己貴命を主祭神とする)
所在地:出雲国飯石郡給下村(島根県雲南市三刀屋町給下)

■墨書は「雲刕/一宮神社 廣前/素戔嗚尊/執事」、日付は「弘化三午七月三日」。右上の朱印は「出雲風土記曰御門神社□□」、左下は「幣頭執事」。
※享保12年(1727)の納経帳に「抑当社者素盞嗚尊御鎮座山田大虵御退治此所」とあり、当時は八岐大蛇(=山田大虵)を退治した地として素盞嗚尊を主祭神としていたようだ。

【左】出雲大社
杵築大社(出雲大社)
祭神:大国主大神
所在地:出雲国神門郡杵築宮内村(島根県出雲市大社町杵築東)
公式サイト:http://www.izumooyashiro.or.jp/

■墨書は「日本/大社/摂社七社/大國主大神 大御前/末社三十八社/執事」、日付は「弘化三年午七月五日」。中央の宝印は雲に「天日隅宮」。左下の印は「社頭執事」。

★一宮神社から杵築大社(出雲大社)へは斐伊川沿いに下ったものと思われる。
★杵築大社の次は鷺神社(伊奈西波岐神社)の納経になっているが、実際には先に日御碕神社を参拝している。海岸沿いに日御碕神社に向かったものと思われる。

伊奈西波岐神社

伊奈西波岐神社の納経

【右】伊奈西波岐神社
鷺神社(伊奈西波岐神社)
祭神:(稲背脛命)
所在地:出雲国神門郡鷺浦(島根県出雲市大社町鷺浦)

■墨書は「出雲國/鷺神社 廣前/月番」、日付は「弘化三年午七月八日」。右上の朱印は「也久毛(やくも)」、左下の印は白抜きで「長谷川氏」。

★鷺神社(伊奈西波岐神社)は杵築大社(出雲大社)の裏山を越えた日本海側の鷺浦に鎮座する。ただし日付から見て先に日御碕神社に参拝している。日御碕神社からは海岸沿いの道がない(あっても不便)ようなので、一旦杵築大社に戻り、大社裏の山道を越えていったのではないだろうか。

日御碕神社/鰐淵寺

日御碕神社・鰐淵寺の納経

【右】日御碕神社
日御碕社(日御碕神社)
祭神:天照大御神・神素盞嗚尊
所在地:出雲国神門郡日御碕(島根県出雲市大社町日御碕)

■書き置き(木版)で「出雲/太神宮 両本社 大廣前/日御碕社頭年行事」、日付は「弘化三年午七月六日」。左下の朱印は「上宦」か。

【左】鰐淵寺
浮浪山 一乗院 鰐淵寺
本尊:薬師如来・千手観世音菩薩
宗派:天台宗
所在地:出雲国楯縫郡別所村(島根県出雲市別所町)

■墨書は「奉納経/根本堂 薬師如来 千手観音 宝前/雲州 浮浪山鰐淵寺/執事」、日付は「弘化三年七月九日」。右上の朱印は「雲州第一之伽藍」か。左下は「鰐淵執事」。

★上述のように杵築大社-日御碕神社-鷺神社の順で参拝している。杵築大社から日御碕神社へ海沿いの道を使って往復、その後、杵築大社裏の山道を使って鷺神社に向かったと思われる。
★鷺神社からは東に向かい、河下村から唐川川、さらにその支流の鰐淵寺川に沿って鰐淵寺に向かったのだろう。
★次の一畑寺へは平田町経由で斐伊川から宍道湖の北岸を東に向かい、現在の一畑電鉄一畑口駅あたりから北に向かったのではないだろうか。

一畑薬師/佐太神社

一畑寺・佐太神社の納経

【右】一畑薬師
医王山 一畑寺
本尊:薬師瑠璃光如来
宗派:臨済宗
所在地:出雲国楯縫郡小境村(島根県出雲市小境町)
公式サイト:http://ichibata.jp/

■墨書は「奉納經/根本堂藥師如来寶前/雲州小境醫王山/一畑禅寺/執事/行者丈」、日付は「弘化三年午七月十四日」。中央の宝印は薄くて判読できないが、「佛法僧寶」の三宝印ではないかと思われる。右上の印は「醫王山」、左下は判読できない。

【左】佐太神社
佐陀大社(佐太神社)
祭神:伊弉諾尊・伊弉冉尊(現在は佐太大神で猿田彦大神と同一とされる)
所在地:出雲国秋鹿郡佐陀宮内村(島根県松江市鹿島町佐陀宮内)
公式サイト:http://sadajinjya.jp/

■墨書は「雲州/佐陀大社 本社三殿/神在祭社是也/正神主内 役人」、日付は「弘化三丙午年七月十七日」。中央の宝印は火炎宝珠で、中の文字は判読できない。右上の印は「出雲足日山」、左下は判読できない。

★一畑薬師から佐陀大社(佐太神社)へは島根半島を西に進んだと思われるが、日本海側を通ったか、神事湖岸を通ったかについては判然としない。
★次の潜戸太神宮(加賀神社)は佐陀大社の北東8kmほどの日本海岸にある。日本海の海岸沿いを進んだのであろうが、詳しい経路はわからない。

加賀神社

加賀神社・安国寺の納経

【右】加賀神社
潜戸〔くけど〕太神宮(加賀神社)
祭神:支佐加比賣命
所在地:出雲国島根郡加賀浦(島根県松江市島根町加賀)

■墨書は「出雲國加賀郷/式内/潜戸太神宮 廣前/金津神主小野秀親」、日付は「弘化三丙午七月十九日」。朱印は二つあるが、どちらも判読できない。

★出雲国の寺社は潜戸太神宮で終わり、次は米子の安国寺である。ルートとして考えられるのは松江経由で山陰街道を使う、境港経由で境往来を使うなどが考えられるが、判断材料がないのでどちらともいえない。

天保15年(1844)から弘化4年(1847)にかけて西日本方面を巡拝した、信濃の人と思われる六十六部廻国行者の納経帳。表紙にタイトルは...

天保15年(1844)六十六部の納経帳(1)信濃~尾張
天保15年(1844)六十六部の納経帳(2)伊勢~紀伊
天保15年(1844)六十六部の納経帳(3)四国
天保15年(1844)六十六部の納経帳(4)美作~伯耆・書き置き
■天保15年(1844)六十六部の納経帳(5)出雲
■天保15年(1844)六十六部の納経帳(6)伯耆~信濃


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