亀塚稲荷神社 | 東京都港区

亀塚稲荷神社

亀塚稲荷神社の創建年代は不詳だが、『更級日記』に見える竹芝伝説に関わる伝承がある。竹芝の衛士の屋敷(亀塚公園・済海寺のあたり)にあった酒壺の下に白い霊亀が住み着き、人々が神として祀ったところ非常に霊験があった。ある大雨の翌朝、酒壺も亀も石になっていたため、祠を建ててますます信仰するようになったという。

正式名称 稲荷神社〔いなりじんじゃ〕
通称 亀塚稲荷神社〔かめづか いなりじんじゃ〕
御祭神 宇迦御魂命 伊邪奈伎命 伊邪奈美命
社格等 旧無格社
鎮座地 東京都港区三田4-14-18 [Mapion | googlemap]
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目次

御由緒

亀塚稲荷神社は、かつて三田台町(現・三田四丁目16-20)の亀塚公園にある亀塚の頂に鎮座していたが、明治の初めに旧・三田功運町の現社地に遷座した(『平成「祭」データ』による。ただし、宝暦4年(1755)功運寺境内に遷座という資料もあるようだ)。

当社の創建年代は不詳だが、『更級日記』に記されている竹芝伝説に関わる由緒が伝えられている。

それによれば、竹芝の衛士の屋敷(後の竹芝寺)は亀塚公園及び隣接する済海寺のあたりにあったという。その邸内にあった酒壺の下に白い霊亀が住み着いた。それを当地の人々が神として祀り、和合豊熟を祈願したところ、非常に霊験があったという。

それから年を経たある夜、大雨があった。翌朝、土地の人々が参拝にいくと、酒壺も亀も石になっていた。人々が驚いて祠を設け、ますます崇敬するようになったのが亀塚稲荷のはじまりであるという。太田道潅は河図と名付けて、篤く帰依したと伝えられる。

正徳4年(1714)亀塚周辺は沼田藩土岐氏の下屋敷となり、当社もその邸内社となったようである。明治維新後は華頂宮邸となったが、当社は現社地に移転し、三田功運町の鎮守となった。

境内には港区の文化財に指定されている「弥陀種字板碑」三基がある。阿弥陀如来を表す梵字(種字)の「キリーク」が刻まれた秩父石の板碑で、それぞれ文永3年(1266)、正和2年(1313)、延文6年(1361)の銘がある。

御朱印

  • 亀塚稲荷神社の御朱印

平成17年拝受の御朱印。朱印は「亀塚神社」。

写真帖

  • 鳥居

    鳥居

  • 社殿

    社殿

  • 板碑

    弥陀種字板碑

メモ

亀塚公園から300mほど北東、聖坂の途中に鎮座する。拝殿はなく、街角の小さなお稲荷様という感じ(というか、そのものなのだが)。御朱印は社務所にて拝受した。

亀塚稲荷神社の概要

名称 稲荷神社
通称 亀塚稲荷神社 亀塚神社
御祭神 宇迦御魂命〔うかのみたまのみこと〕
伊邪奈伎命〔いざなぎのみこと〕
伊邪奈美命〔いざなみのみこと〕
鎮座地 東京都港区三田四丁目14番18号
創建年代 不詳
社格等 旧無格社
例祭 5月9日・10日
神事・行事 2月11日/稲荷祭
11月14日/霊亀祭
※『平成「祭」データ』による

交通アクセス

□田町駅(JR)より徒歩8分
□三田駅(都営浅草線・都営三田線)より徒歩8分

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