櫻田神社 | 東京都港区

櫻田神社一の鳥居

櫻田神社は、治承4年(1184)渋谷庄司重国が源頼朝の命により霞山(現在の霞ヶ関桜田門外)に奉斎したことに始まる。かつては霞山稲荷明神と称した。文治5年(1189)頼朝が30貫の田地を神領として寄進、その境界に桜を植えたことから桜田村の名が起こったという。寛永元年(1624)江戸の町の整備に伴って氏子ともども麻布の現社地に遷座した。沖田総司・乃木将軍初宮参りの宮としても知られる。

正式名称 櫻田神社〔さくらだじんじゃ〕
御祭神 豊宇迦能売大神
社格等 旧村社
鎮座地 東京都港区西麻布3-2-16 [Mapion|googlemap]
巡拝等 港七福神(寿老神)
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目次

御朱印

櫻田神社の御朱印 櫻田神社の御朱印 櫻田神社の御朱印
(1) (2) (3)
櫻田神社寿老神の御朱印 none none
(4)

(1)平成17年拝受の御朱印。中央の朱印は「櫻田神社」、左下は「霞山」。

(2)平成26年にいただいた書き置きの御朱印。中央の朱印は「櫻田神社」で、以前のものとほぼ同じだが、新調したもののようだ。右上に三つ巴の神紋、左下は「霞山」。

(3)平成29年拝受、オリジナル御朱印帳限定の御朱印。中央の朱印は桜花に「櫻田神社」。左上に三つ巴の神紋、右下に沖田総司の家紋である丸に木瓜。

(4)港七福神の寿老神の御朱印。平成19年拝受。

昔の御朱印

櫻田神社の御朱印 櫻田神社寿老神の御朱印 none
(1) (2)

(1)昭和10年の御朱印。朱印は「櫻田神社之章」。下のスタンプは寿老神を象徴する鹿と社頭風景に「麻布稲荷七福神」。

(2)昭和10年、麻布稲荷七福神(港七福神の前身)寿老神の御朱印。中央の朱印は寿老神の御神影。右上は「麻布稲荷七福神」、左下は「櫻田神社 霞山稲荷」。

御由緒

櫻田神社『江戸名所図会』

『江戸名所図会』霞山稲荷社

〔国会図書館デジタルコレクション〕

御祭神

■豊宇迦能賣神

明治の神社明細帳では、豊宇迦能賣神を主祭神とし、天照大御神・大宮女神・天御柱神・国御柱神・加茂大神を相殿に祀るとしている。

由緒(歴史)

櫻田神社麻布絵図

麻布絵図(部分)〔国会図書館デジタルコレクション〕

櫻田神社は、古くは霞山稲荷大明神あるいは霞山櫻田稲荷社と称し、治承4年(1180)源頼朝の命により渋谷庄司重国が霞山(後の霞ヶ関桜田門外)に祀ったことを創祀とする。

文政寺社書上に記された縁起によれば、重国が麻布郷で狩りを行ったとき、部下を伴って霞山の石窟前に到り、獲物を燻り出すために枯れ草を集めて火を付けた。すると白狐が飛び出して天に向かって3丈(約9m)ほど気を吹き上げ、その中から忽然と十一面観音(稲荷大明神の本地仏)が姿を現した。

大いに驚いた重国はこれを頼朝に言上し、以後、燻り出しや毒流しによる狐の殺生を禁ずるとともに、その場所に社を建てて霞山稲荷大明神と号した。源義国(新田氏・足利氏の祖)の守り本尊で、秩父重弘に伝えられた荼枳尼天像を御神体として安置したという。

文治5年(1189)源頼朝が神領として30貫の田地を寄進。この御神田を一般の田と区別するため、畦ごとに桜を植えた。その桜が見事に咲き誇ったことから「桜田」と呼ばれ、村の名も桜田村と称したとされる(※ただし桜田郷の名はすでに平安時代の『和名類聚抄』に見えるという)。因みに霞ヶ関の地名は、霞山の麓に関所が設けられたことによる。

文明年間(1469~87)太田道潅は当社の縁起を聞いて社殿を再興、領地の守護神として崇敬し、太刀甲冑を奉納した。長く社宝として伝えられていたが、惜しくも弘化2年(1845)の青山火事で焼失したという。

元和年間(1615~24)江戸の整備に伴い、氏子とともに霞ヶ関から桜田溜池に遷座、さらに寛永元年(1624)現社地に遷った。因みに桜田門の名は桜田郷に由来する。また、一部の氏子は幸橋御門外を経て愛宕下に移された。これが芝桜田七ヶ町(現・西新橋の一部)で、現在も櫻田神社の氏子となっている。

当時の別当は霞山桜田寺観明院(現・廃寺、天台宗)で、本尊の十一面観音は伝・春日作、開山の観明院秀慶に源頼義の守り本尊であるというお告げがあったことから、霞山稲荷の本地仏として祀ったと伝えられる。『江戸名所図会』にも霞山稲荷社の図があり、当時の繁栄ぶりを偲ぶことができる。

櫻田神社(麻布区史)

櫻田神社(『麻布区史』より)

〔国会図書館デジタルコレクション〕

明治5年(1872)11月5日、村社に列格、当時は稲荷神社を正式名称とした。明治28年(1895)現社号に改称。昭和20年(1945)の戦災で社殿等灰燼に帰したが、昭和26年(1951)に再建された。

さらに昭和50年(1975)、社殿を改築するとともに境内にマンションを建設。玉垣・参道を整備し、文化元年(1804)に桜田久保町(現・西新橋一丁目)の氏子が寄進した狛犬、文政13年(1830)に育種家として有名な旗本・松平定朝が寄進した二の鳥居、弘化4年(1847)奉納の手水盤などを配した。

沖田総司・乃木希典初参りの宮

当社は新選組の沖田総司や乃木大将の初宮参りの宮として知られている。

沖田総司は、陸奥国白河藩士・沖田勝次郎の長男として当社に隣接する白河藩下屋敷(上掲「麻布絵図」の阿部播磨守屋敷)で誕生した。生年については天保13年(1842)とも天保15年(1844)ともいわれる。沖田総司初宮参りの宮として多くのファンが訪れるそうで、当社のオリジナル御朱印帳には三つ巴の神紋とともに沖田家の家紋である木瓜紋が配されている。

また、乃木将軍は嘉永2年(1849)当社にほど近い長府藩上屋敷(「麻布絵図」の毛利甲斐守屋敷)で誕生した。乃木将軍の産着は当社に奉納されたが、後に乃木神社に譲渡され、社宝になっているという。

写真帖

櫻田神社一の鳥居

一の鳥居

櫻田神社参道

参道

櫻田神社手水舎

手水舎

櫻田神社狛犬

狛犬(文化元年奉納)

櫻田神社二の鳥居

二の鳥居(文政13年奉納)

櫻田神社拝殿

拝殿

櫻田神社天水桶

天水桶

櫻田神社福寿稲荷社

福寿稲荷社

メモ

初めての参拝は平成17年5月、ちょうど夕立となり、社務所にて雨宿りをさせていただいた。宮司さん(先代の?)の奥様が対応して下さって、しばしいろいろな話をした。沖田総司が初参りをしたということで知られており、新撰組のファンがよく参拝するそうである(ちょうど一緒に雨宿りした二人連れもそうだったらしい)。六本木ヒルズができてからは、外国人の参拝も増えたそうだ。

その後も港七福神巡拝などで何度か参拝したが、平成29年の正月にはオリジナル御朱印帳が頒布されるということで改めて参拝。沖田総司に因んだデザインで、あまりの反響の大きさに頒布を約半年延期、1月1日から8日の期間限定で授与されたものである。参拝時も御朱印帳を受ける女性を見かけ、改めて沖田総司の人気の高さを再認識した次第。

櫻田神社の概要

名称 櫻田神社
旧称 霞山稲荷大明神 霞山櫻田稲荷社 霞山稲荷神社 稲荷神社
御祭神 豊宇迦能売大神〔とようかのめのおおかみ〕
鎮座地 東京都港区西麻布三丁目2番17号
創建年代 治承4年(1180)
社格等 旧村社
例祭 9月22日
神事・行事 6月30日/大祓式・道饗祭・鎮火祭
12月31日/大祓式・道饗祭・鎮火祭
巡拝 港七福神(寿老神)

交通アクセス

□六本木駅(日比谷線)より徒歩5分
□六本木駅(都営大江戸線)より徒歩8分
□乃木坂駅(千代田線)より徒歩12分
□麻布十番駅(南北線・都営大江戸線)より徒歩13分

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